5 月 19 2009

評論 review

Published by 遠州

ここでは、自分の興味を引いた建築やアートに関わる書籍・講演・展覧会などを読み、聴き、鑑賞した後の印象や分析、批評を書き綴っていきます。作家の考えや思想、哲学を文章と画像で表現し、ここを訪れて戴いた人々に共感や理解、刺激を受けて貰えれば幸いです。

It writes the impression and the analysis, the review after this place reads the architecture which it interested a book about the art a lecture on it an exhibition about it and so on, listens to it it it it and appreciates them.  It is happy if expressing the idea and the thought, the philosophy of the writer by the sentences and the image and it is possible to get sympathy and understanding, stimulation from the people who received this place by visiting it by receiving them.

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50 Responses to “評論 review”

  1. 伊神誠治on 20 6 月 2009 at 10:15 AM

    後藤慶二とは大正期のロマンティシズム的(日本では「白樺派であろう)な一面を建
    築に込め、且つエンジニアへのビジョン追求(建築術:テクネ)を惜しまなかった才
    能あるアーキテクトであった。建築史ならびにその相前後したアーキテクトからは崇
    敬され、且つ彼から大いなるシンパシーを抱いたことは、現在の職業的建築家の諸氏
    には理解困難であろうが、いまの経済資本主義第一理の建築業界からすれば「外延」
    もしくは「他人事」としか受容できないであろう。それを真摯に受けたとしてもそれ
    は馬耳東風のごとき、いまの自己を、いまの社会に馴化するだけの「偽装」受容であ
    り、建築の根本義を所詮軽視していることにしか過ぎないのであろう。いまの建築界
    に望むべくは、よい環境や社会というお題目を企てる前に法人乃至は自己の倫理を鑑
    みなくてはいくら自然美とか社会通念(流行?常識?)、メディアリテラシーなどと
    ほざいても、ニヒリズム的な液体に溶融されたまま人生ないしは時間が過ぎ去ってし
    まうのであろう、そこで後藤慶二氏が残した遺稿の諸論文の意味が、いま見直されて
    だしている。そのタイミングで「日本の表現主義」の前衛性なるものの発見をめぐる
    展覧会開催や、『後藤慶二氏遺稿』が廉価な値で復刻(ゆまに書房)された企図の理
    由(わけ)が垣間みられて内省の観を抱かせる。・・・それにしても、なんて博愛の
    美徳を感じる書物なんだろうこと・・・か。
    伊神

  2. 伊神誠治on 24 6 月 2009 at 11:05 AM

    坂倉準三の設計した神奈川県立近代美術館で、本人の没後40年の展覧会を見てきた。当日は雨天であったが、本館下の池一面を覆っている蓮の群棲は予想した通りの風情を醸し出していた、わたしは晴天よりもこの雨天の美術館の風情が大好きだ!・・・ということで本題の坂倉準三展であるが、竣功するまでの過程に描かれる本人のスケッチといったものがないのが、この建築家の特筆なのだろうか、とくに戦後高度成長期以後の作品にはそれらが顕著であろう。磯崎新は図録でインプレサリオ(黒幕)・岸田日出刀の路線(戦後近代史といった)からははずされた存在であり日本では居場所のなかった建築家坂倉準三を指摘していた。そういえば、坂倉の師匠はル・コルビュジェであり、徹してコルの影響化を機転とした日本の伝統(建築)やら環境(都市)を語っていたように思える。だから洗練よりも形式にこだわる西洋イズムの遺伝子を根っこにしていた。少なくとも日本で活躍する大建築家にはそれなりの師匠が存在してそれらを媒介として育ってゆくのであるが、坂倉準三はその師を日本では持たなかったというよりもバカにしていた(日向水的なグローバリゼーション)、要するに西洋の建築言語、乃至は精神といったものの真実が日本では理解されていないと思ったのであろう。だから西澤文隆が所長を継承するまでは洗練の度合が著しく劣っている、それは戦後すぐのこの鎌倉館や日仏会館、和歌山高島屋支店、そして飯箸邸などの切り褄やバタフライ屋根、プレファブなどにも顕著である。しかし、この忌わしき「洗練」(昨今のトレンド)という操作への介入を虚脱したからこそ勝ち得た建築の存在性が坂倉準三の伝統を直截的には意識されない建築の大文字観を曝け出していていつみても心地よいのである。何故だか隣の別館が閉鎖されているのを見るにつけ、この本館の逞しさ、否存在観がより活き活きと写って見えたのはわたしだけではないはずであろう!

  3. 伊神誠治on 25 6 月 2009 at 10:36 AM

    ディータ−・ラムスというデザイナーのポリシーをどこかの雑誌で気になって耽読すると、「デザインの10箇条」なることを信条にした機能美を語っていた。要は「Less is More」(ミース・ファン・デル・ローエの言説)ならぬ「Less and More」らしい。・・・ということでちょっと気になって展覧会が行われている府中市美術館サイトを覗いてみて驚愕した。昔どこかで見たようなデザイン製品がプラグマティックなる機能が裸にされたとたんにモダンの理性が甦ってくるようで・・・これは是非とも見てみたいと思ったので紹介します。ポスターと図録のデザインはその業界の賞をとったそうである。確かに4000円もする価値はあるのかもしれない。

  4. 伊神誠治on 26 6 月 2009 at 11:01 AM

    ネットでマイケル・ジャクソンが逝った一報が入った。・・・憶うに、あ
    のJポップの最高アルバム「スリラー」が以前までの音楽業界の王道を崩壊ならしめ、
    否堕落の途に突き落とした?・・・といった個人的にはそうした評価を今日まで抱い
    ていたのであった。振りかえると、わたしの学生時代の音楽は百花繚乱で多様なジャ
    ンルを耳にしていたのであり、ジャクソンファイブ時代のソウルフルな音楽もそのひ
    とつであった。畢竟するにマイケルのこのヒットで音楽はマーケティング主義に陥っ
    てしまい、いまでは真の音楽というものを探すのは困難となってしまい、「明日の音
    楽の見えない」状況は主観の域にゆだねるディレッタンティズムに媚びるだけとなっ
    てしまったようである。ただマイケル・ジャクソン当人の音楽センスは・・というと
    それは非凡なるまでに天性をもったアーティストであったことは間違いない。50歳
    とは、同時代を生きてきたものとしては早世なのであろうが、マイケルならば十分予
    期できたシナリオと皆思っていたのだろうと思う。もうひとり、これもよく見ていた
    「チャーリーズエンジェル」のファラ・フォーセットが癌(告知しての)で逝った。
    当時、彼女は健康的でセクシーなブロンド美女であった。そもそも癌というのは健康
    (健康だからならない)とは乖離なものと思っている、医療技術がいくら発達したと
    ころで、未来永劫それはまさに運命、否天命そのものを認めなくてはならないだろう。
    人間の構造は科学に犯されるほど、野暮な身体ではない。

  5. 伊神誠治on 13 7 月 2009 at 10:33 PM

    「坂倉準三展シンポジウム雑感」

    昨日、鳥居坂・国際文化会館で行われた坂倉準三(1901-1969)に関するシンポジウムに友人と参加してきました。関係者の話しによると応募の締切が数日で達っしたそうで、坂倉準三という建築家が日本でどういった位置づけであったのか・・・といったあたりを直接接した美術史家の高階秀爾氏、建築家の磯崎新氏から聞けるとの期待感・・・・が膨らんだからかもしれませんが・・・・大盛況でした。第一部(午前)が、その両氏に加え、司会:太田泰人、モデレータ−:鈴木博之で行われ、第二部(午後)が、展覧会制作委員のメンバーからのコメントと建築家の内藤廣氏を含めて、モデレーター:太田泰人によるディスカッションが主なプログラムレビューしでした。
    殊に、わたしが気になっていたのは、戦前戦中戦後と日本の近代建築意匠乃至は理論のシステム構築を扇動(流行を促進)してきた岸田日出刀(1899-1966)と坂倉準三との齟齬であり、専ら磯崎が言うように前川國男−丹下健三ラインに建築王道の型を収斂させていったというモデルから疎外された存在であるという、その実態をどのように坂倉準三という建築家乃至は作品から受容できるのだろうかという・・・その一点でありました。
    冒頭(実際は最後に)で子息の竹之助氏(坂倉建築研究所代表)から・・・坂倉(父)は建築を志すならば建築工学部で卒業しなさいと強く謂われていたそうであり、仕事の上では学閥の権威的なるもののコンプレックス(坂倉準三は東大文学部美術史学科卒業)を感じていた節が伺えると話されていました。
    とく戦後の左翼(共産主義というものではなく)を伺わせる民衆のための・・・という国家住宅政策(西山夘三、吉武泰水の牽いたnLDK路線)や浜口隆一などの批評にも岸田日出刀の見えないラインが存在するといった旨を述懐していた磯崎氏の指摘は、昨年末の岸田日出刀研究会での知見によるところ大で、坂倉準三が戦前に付き合っていた最右翼(日本での)とみられるスメルクラブの小島威彦の思想(国民精神論)の説明(京大の田路貴浩『構成の精神』)も聞いて、そういえば岸田と坂倉も参加していた『現代建築』という国策建築雑誌にはその臭いを伺わせいた内容であったということを思い出しました。・・・ただ戦後の岸田日出刀や丹下健三、前川國男といった建築学科出のひとたちは、戦後のアメリカ統治で思想が逆転します。・・・というかビジョンを・・・まあ時代性として片付けざる得ない枠組で建築界のシステムを構築させてしまったといえるでしょう。(これには内藤さんが問題提起した『影の主役−米国グローバリズムへの抵抗』も興味ある意見でした)しかし、坂倉準三の仕事(作品)の本質はル・コルビュジェ、シャルロット・ぺリアンといった師の思想を貫き通す(殆ど、影響されている)ことと、優秀なる所員(とくに西澤文隆)のアイデアに翻弄(嫉妬する)されながらも人間を育てたということに尽きるような気がしてしょうがないといえます。「キレがないのには理由がある」といった内藤廣氏の人間愛(人間のことを考えていたから作品にキレ味がない)発言(人間に立脚した坂倉に対し前川、丹下は国家に向いていた)や弟子筋のひとたちの回想を聞くにおよび、「坂倉準三」の建築について考えさせられた一日でありました。

  6. 伊神誠治on 31 7 月 2009 at 10:03 AM

    「皆既日食にみる万物の法則と建築家角南隆の思想」

    いま、46年ぶり(1963年に観測・・・ということはわたしが3歳であった)の皆既日食が中継されている。詳細なことは報道やらで十分過ぎるほど紹介され、説明もされるであろう。そもそもこういった人間にはどうしようもない超自然現象(手の加えようもない)、ないしは宇宙万物への魅力を尊ぶひとは多いのだろうが、ここに紹介する建築家、角南隆 Sunami Takashi(1887-1980)という神社建築の第一人者(伊東忠太や大江新太郎というひとは多いのだろうが)が、残した遺稿にもそういった宇宙や人類といったエンジニアにしては希有な論が描かれており、死後27年を経て漸く二巻が完結された。角南のデザインした明治神宮、近江神宮、橿原神宮、といった神社建築の型式ないしは空間形式などの斬新さはアカデミー(学会)においても就中、拡く周知されてはいないのが現状であろう。彼は東京帝国大学を出て、内務省神社局を定年まで全うして95歳で逝くなった。その生涯で培ったものの背後にある彼の思想には人間の生きる娑婆の世を超越する(戒める)宇宙や神の域の根本思想を得々と解いていて、日本人の本来持っていた民族観をそれに準(なぞら)え、現代の経済豊かで尊敬や信用といったものが淘汰されてゆく「日本国」を憂い、万物(宇宙)や神(宗教)への理解を問うている。

    第一巻『万物は生きている』/角南隆著/パレード(出版)/2006
    第二巻『神とは何ぞや』/角南隆著/パレード(出版)/2009

  7. 伊神誠治on 31 7 月 2009 at 10:07 AM

    「「かたちは、うつる Iconomorphosis」展が問いかけるもの」

    国立西洋美術館所蔵の版画コレクション展が、当館で開催されている。タイトルは「かたちは、うつる」である。イコノモルフォーシスは造語で美術史家のアビ・ヴァ−ルブルグ(1866-1929)のメタモルフォーシス(変容)としての歴史的イコン(図像)を捩っているとされる。そういえばヴァ−ルブルグと言えばそういった研究学問で近代的思考の枠組を開拓した学者で、建築分野でもルネサンス研究で有名となったルドルフ・ウィットコワ−『ヒューマニズム時代の建築原理』、そしてコーリン・ロウ『理想的ヴィラの数学』といった図像比較論への影響は絶大で、近年に於いても未だに史学しいては美学の領域ではもてはやされている。今回は所蔵されている版画やリトグラフからアレゴリカル(神話的な)なイメージと図像形態の意味論的なものを投げかける展示となっており、お馴染みのルネサンス期の巨匠アルブレヒト・デュラ−の「メランコリア」から新古典期のジョバンニ・バティスタ・ピラネージまで多種多才である。因に谷川渥が「<うつし>の美学−イメージの起源神話」7/25、田中純が「情念の形態学−アビ・ヴァ−ルブルグ「ムネモシュネ」の解読」8/1、による無料での講演会が開催されるとのこと。詳細は下記サイトにて、また同時にル・コルビュジェと国立西洋美術館展も8/30まで開催しています。こちらは、ル・コルビュジェ設計の国立西洋美術館の貴重な図面・模型やスケッチ画をはじめ、契約書、基本設計アルバムなどが展示されていて興味深い内容ですが、世界遺産延期のためか盛り上がりには欠けるのは否めません。

    http://www.nmwa.go.jp/jp/index.html

  8. 伊神誠治on 31 7 月 2009 at 10:09 AM

    「5原則のパラダイム」

    ル・コルビュジェは「建築の革命」と称し、所謂これまでの旧い概念の建築を覆すために、一つ前の世代であるワグナーやベーレンス、ヴェルデなどの利己的(ブルジョア中心主義)な言説を超えて、全人類に簡便な方途によって訴えかけた。それが彼の唱える「建築の5原則」(ロースの「装飾と犯罪」にも鼓舞されたとも言われているが・・・?)であった。その主旨や概念は皆さんプロ(建築を職としているひとが多いということで)でしょうから御存じであるので略しますが、やはり当時は他者の目線を意識してのパフォーマンスもあったようで、理解されるには時期早々の観は拭い得ませんでした。しかし、同世代のグロピウス、ライト、ミ−スなどの抽象的な語りと裏腹にル・コルビュジェのディスコース(形式論)は、ツアストガイスト(時代性)を呼び込んで近代建築の王道を究めた概念として、いまでも誰もが認知し得る変革点であったと歴史は実証しています。
    昨日、民主党から他党に先立って(とくに与党)マニュフェストがメディアをも通して発表され、政権運営の理念と方法と称して「政治主導の5原則」が打ち出された。これまでの政治の文言は曖昧模糊としたものが多く、官僚や業界、フィクサーなどへの配慮も滲ませた玉虫色的なるもので茶を濁していたといって差し支えないだろう。いわば、それが政治の世界であったのだろう・・・。だから、旧い体質を撃ち破って「政治の革命」が実現できる場が用意されたのも今回の選挙(衆議院)なのかも知れない。5原則という語呂も上手いぐあいな効果を見せ、躍進が期待される民主党ではあるが、ル・コルビュジェがロンシャン礼拝堂やラ・トゥーレットへと自己変革をしたように、政権交代後の実行というよりも、5原則それぞれの概念が未来永劫、成長変革できていけるような枠組の創出が求められよう。何時だったか忘れたが、細川政権の二の舞いではご免である。

  9. 伊神誠治on 10 8 月 2009 at 11:03 AM

    「別冊太陽の特集「小堀遠州−綺麗さびのこころ」」

    此の程、平凡社から別冊太陽160号として「小堀遠州−綺麗さびのこころ」が出版されました。小堀遠州は、最近夙に関連する出版が続いていますが、今回はかなり素人にはわかりやすい内容となっているので「本を、掲載されているキャプションだけで購入しているひと」にとっては絶好の書籍でしょう。近くの書店に寄ったら手にとってみては如何でしょうか?
    ところで、聚落第と遠州が注いだ意匠のデイモンを比較すると桃山と江戸の差異がわかるんでしょうが、意匠への情念といったものはどちらにも存在しますね。しかし遠州の知性は豊臣秀吉をフォローした工人とは明らかに違うと感じ魅入ります。

  10. 伊神誠治on 10 8 月 2009 at 11:20 AM

    「芸能・文化・教養の陥穽と奢侈」

    いま、殊に「芸能・文化・教養」に秀でているひと・・・と言ってみても、故人なら兎も角、誠に尊敬に値するひとはそうはいないねえ!・・・とそんな風に殆どのひとはそう答えるであろう、ある意味「虚構でしか成立しない世情を生き抜いたひと」しかし、多くは自己の考えとは反してメディアなどのでっちあげ(ブームに引き摺られて)で熱烈に崇拝するもの(とくに若者)もいることも隠せない事実であろう。以前には虚構を装っていてもそういうひとには少なくとも立派なアウラ(自己の技芸を貫き通すといった)が存在した。だから裏切られた思いはあまり倍加しない。しかし、昨今の芸能人、文化人、教養人といった技芸を信条とするひとたち(すべてとはいえないのだが)の、仕事への浮薄さ観は、虚構ではなく明らかに偽装(ひとを騙す)ならぬ「衒学(げんがく)」としか感受できない。だから言葉が「巧み」ではなく真意を欠いてしまう。況してや言葉がひとに「真意」を伝えていないし、語ること(カッコ悪い)を拒絶している。それでいて、それを受容する側もこのような態度であれば、近親や家族までをも騙されようひともでてくるといえる。それにしても、何時の時代にも人生には大きな陥穽(かんせい)と奢侈(しゃし)はつきものであり、未来永劫殿様稼業は継続はしないんだ・・・ということは分っていてもひとは奢侈な欲が天然の栄養源なのであろう。いま話題の「麻薬やMDMA」もその栄養源の一部なんであろう・・・のりピー(酒井法子)でさえも。

  11. 伊神誠治on 12 8 月 2009 at 10:12 PM

    「フランク・ロイド・ライト論の名著刊行」

    フランク・ロイド・ライトの本は巷の本屋には選択に迷う程多くが出典されているのであるが、今回紹介する二著は間違い無く名著であり、ライトに興味を抱くひとには欠かせない必見なる書であろう。・・・とわたしは思うのだが。
    ところで、フランク・ロイド・ライトの自叙伝は、既に翻訳され日本語版が中央公論美術出版から二巻(『ある芸術の形成』、『ある芸術の展開』)として出版されている。しかし、ライト自身によってそこで語られていることは事実とは異なる怪聞が多いという噂で、所謂彼の生きざまが詐術的に描かれている・・・といわれている。その真実を当時、ライト一筋で追っかけをしていたジャーナリスト・ブレンダン・ギル氏によって暴露された「Many Masks-A Life of Frank Lloyd Wright」が漸く、というか待望の日本語訳で出版された。ずばり・・・『仮面の生涯』。1987年の著作で、三番目の妻であったオルギバンナの1985年の死によって実現したのだが、おかげで此の本は米国で超ロングセラーとなったつわもの本である。これが真実のライトを実証するのならば誰でも是非とも読んでみたくなるのも然りであろう。
    そして、もうひとつは昨年3月に亡くなった草森紳一氏(稀代の雜文家と称されている)が『SD誌(鹿島出版会)』に1984年から1985年にかけて連載掲載したものを単行本として纏めた『フランク・ロイド・ライトの呪術空間』である。こちらは、わたしがSD誌を購読していた頃に眼に留めていたので記憶しているが、ライトの代表的な建築作品を写真家の大倉舜二氏のイコンめいたカット写真と一緒にまわっての草森流ライト観が綴られていて話題をよんだエッセイであった。単行本化を生前の氏がなし得なかったのは意外であったが、ライトを単なる近代建築巨匠というデザイン的偏狭として理解するだけではなく、グロテスクとか魔術とかオカルトとか霊的とみる神秘的思想観に、仮面の裏側に潜む真実のライトが見事なまでに顕現されていて痛快である。帯びに「生命としての人間の根っこをライトはあけっぴろげなまでのしつこさで、ひっつかまえているからだ。」という草森の言葉が其の旨を証している。
    『ライト 仮面の生涯』/ブレンダン・ギル著塚口眞佐子訳/学芸出版社/3800円+税
    『フランク・ロイド・ライトの呪術空間/草森紳一著大倉舜二写真/フィルムアート社/2600円+税

  12. 伊神誠治on 19 8 月 2009 at 11:05 AM

    「狙われた御所」の痕跡

    15日の終戦記念日に際して朝日新聞夕刊紙誌上にて「狙われた御所−古都の戦争と平和」と題して5回連載された記事には思いも寄らない京都御所の変貌が語られていたので驚愕した。これまでにわたしは、建築史家藤岡通夫の『京都御所(彰國社)』や岸田日出刀の『京都御所(相模書房)』(ともに入手しにくい書籍−戦前の冩眞が含まれている)の研究成果や緒言、要するに御所の時代考証と建築美から彼らが述懐する戦後の無惨なまでに破壊された御所の復元への憶いが語られていたのをこの書から受容していた。しかし、その仔細な実態は宮内庁の保護化にあってか明らかにはされていなかった。それが、大凡ではあるが今回の記事で明らかとなったのである。第1回は「庭先にただ1度の銃弾」で、空襲に曝され板塀で覆われた春興殿の冩眞や11箇所の防空壕が整備されていたなど、米国から文化財として保護されていた理由ではなく原爆投下の候補地として広島と京都が挙がっていたという事実(「空襲が比較的少なかったのは原爆の威力を確かめるために街並が温存されたにすぎない」誌記事より)、そして一度だけ空襲を受けていたという記録である。第2回「戻らなかった疎開建物」では、空襲の備え(建物疎開という名のもと)ということで戦前に存在した御所の建物の3分の一が取り壊されていたという事実、そして未だに往時の復元にはいたってはいない(御台所と能舞台などは再建されていない)ということ、記事には岸田日出刀の以下の『京都御所』からの引用文が綴られていた。
    「二度とこうした過ちを繰り返さないようにし、貴重な古文化財に対しては、今より以上に慎重な保全策を講じたいものだと念願するだけである」
    第3回「植物園、身代わりに消ゆ」では、戦後の連合国軍総指令部(GHQ)に宛てた書簡で京都御所を進駐軍の住宅建設用地とする旨に対して抵抗した日本側の意志「日本国民の精神的なよりどころ」、その結果、代替地として現・京都府立植物園を充てていたという事実(「アメリカ村」の冩眞が掲載されている)が明らかとされていたということ、また進駐軍は小型飛行機の発着場として京都御苑を要求していたらしく、結果二条城東側の堀川通り一帯(掲載冩眞)が使われていたという実態が浮きぼりにされていた。第4回「開かれた門長蛇の列」では、一般公開が1946年11月に実現されていたということ、それも1906年(明治39)に定められた規定で一般人の参観は全く許されていなかったなかでのことである。いまでは年に一度は公開している参観ではあるが、得意な事情で御所にも民主主義の波が押し迫っていたことを示す実証であろう。第5回「新時代の到来示す芋畑」には、敗戦後の食料難を生き抜くために京都御所の用地が国民学校の給食、サツマイモやカボチャの収穫のために使用されていたという、また労働者の集会祭、所謂「メーデー」が1946年5月に御所の正門、建礼門前で早くも開かれ「働けるだけ食わせろ」「財閥・大資本家を倒せ」といったスローガンを掲げての5万5千人もののデモ行進があったことなど、激動の御所変遷が描き綴られている。(詳しくは8/11から8/17までの朝日新聞夕刊を参照)わたしは、これら旧宮内省資料が徐々にではあるが解明されていくことによって往時の京都御所の建築的エートス(情感)みなぎるトポス(場)が復元されていくことを希望して已まない。

  13. 伊神誠治on 21 8 月 2009 at 11:35 AM

    「レス・ポールの死に憶う」

    レス・ポールといえばギタリストとして名高いが、一般のものからすればエレキギターのモデルとしての方が通説であろう。13日に享年94才で亡くなった。所謂、バイオリンの名器と言われる「ストラディバリウス」に匹敵し得るだろう。因にこれもアントニオ・ストラディバリという製作者の名ととっている。この二つの楽器には前から何か共通するものを魅入っていた。それはボディ、否かたちの美(瓢箪型)というか演奏している側とのフィット観、演奏している構図が抜群にカッコイイと感じていた。その最初の出会いというのはジミ−・ペイジが「ギタリストの為のギター・アルバムだ!」と絶賛した「ブロー・バイ・ブロー(ギター殺人者の凱旋)」というジェフ・ベックのアルバムジャケット、なんてことはないベックがギブソンのレスポールスタンダードを抱えて演奏している構図(ポーズ)に魅せられ、高校でよく使われた下敷き(黒い)に白い塗料を使って描いたものを愛用していたことを思い出す。レス・ポール自身の音楽を聞くことはなかったが、それを愛用している錚々たるギタリストたちを見るにつけ、そういった製作者(創作)の名が冠せられるほどの署名性を有するものづくり(職人)魂(結果的ではあろうが・・・)も、いまでは合理や機能美は名ばかりの営利または実用というコマーシャリズムに、いまの創作者は迎合して生きてゆくしかない(それが匿名性、無印性とはむなしい)・・・そういう職人的な性(さが)に果たして未来はあるのだろうか・・・義理一遍の念仏では?

  14. 伊神誠治on 03 9 月 2009 at 11:08 AM

    「「ACHITECT/2.0−WEB世代の建築進化論」展の行末」

    Before Architecture,After Architecture(建築以前、建築以後)展はMvrdv(オランダの現代建築家)のdesignした表参道のGYREで行われている「ACHITECT/2.0−WEB世代の建築進化論」展を中核としてゲリラ的に東京のアヴァンギャルドな(小規模な)ギャラリーで行われていたもののひとつである。この主題による展覧会の企図が現代建築の「今日的」状況を示唆するものであるとする点は明白なのであろうが、各展覧会を鑑みて思うことは、あるシガラミに固執しないこと、言わばフリーなるものの価値観が今日的だとする、デザインへの命題とクリティークに曝されない楽観的で危機感のない(仕事の量のことではない)スノビッシュで華麗な社会的身のこなし術だけが作品を覆っていたと感じられた。個人的には西沢立衛と青木淳には前述の価値とは無縁な作品に対するパトス(情念)を享受できるのだが、とくに若手輩で著作をものしている長坂や平田、石上、藤本、吉村、そしてキュレータ−の藤村龍至には先述の姿勢がわたしには纏わりついてきてとてもネクスト世代としては認めがたいと思われた。建築を社会性(戦略)や芸術性(イメージ)などといった、伶俐な(賢い)態度が心の奥底で彼らの真意を邪魔しているのだろう・・・かそれとも無なのか。個人、まあキャラクターの存在、所謂「署名性」にはやっぱりレゾンレートル(存在的価値)が求められのであって「匿名性」という後ろ向きめいた存在価値はジャーナリズムの餌食になるだけなのであろう。

  15. 伊神誠治on 07 9 月 2009 at 11:45 PM

    「『デザインサーベイとしての昭和建築家』雑感」

    以前から気にかけていた『デザインサーベイとしての昭和建築家』の展示・講演会・懇親会に参加してきました。今回、テーマが「蔵田周忠 Chikatada Kurata」ということでわたしにとっては、数年前の日本のモダンハウス研究会での成果もあり、また講演者の矢野和之さん、松成和夫さんなど蔵田先生の孫弟子筋(旧武蔵工業大学広瀬研究室)にあたる方からのお話が聞けたことなど、貴重な体験でありました。主催された鈴木工務店(鈴木亨社長、畑さん)様には懇親会にて御馳走に預かり改めて感謝申し上げます。
    さて、参加してみて蔵田周忠という建築家の当時のエスプリぶりを理解でき、また翻ってそれを把捉する(理解したうえで今日的に批評が加えられる粋まで突き詰める)といった点まで期待するのは兎も角としても、蔵田周忠という稀代の建築家のことについて会話ができたことは嬉しい限りでした。ただ、話しの筋(旧武蔵工業大学OBの退嬰的な思考など−松成談)に立脚してみると、逆に蔵田評価(良い意味悪い意味)がアカデミーから封印されてきている現状を垣間見たようにも思われました。隣席していた近代建築史が専門であられる津村泰範さん(矢野さんの文化財保存計画協会に勤務−調べると、藤森研究室で立原道造、生田勉についての修士論文を出されている)からも蔵田のようにあまり知られていない建築家たちの仕事の成果(学的研究)がまだ埋もれているとおっしゃっておりました。わたしは懇親会の席上でこの蔵田周忠の戦前期(モダニズム受容と啓蒙)と岸田日出刀の戦後期(モダニズム受容とその戦略)の行動に、いまの日本建築界の有り様(昭和なるもの)が集約されているのではないか、そして推測ではありますが、単なる作品評価的な観点からではなく建築のよき周縁環境の構築に欠かせない人物として・・・。こうしたパーソナリティを極力排除してきた建築界(評論という「場」についても)は、いま安楽(平和)なのか逆に窮屈な行き場を彷徨っているのか・・・そういった現況を彼らの師やその弟子筋はどのように見ているのだろうか・・・そんな事が交錯した一日でありました。

  16. 伊神誠治on 10 9 月 2009 at 9:57 AM

    「近代建築に関わる世界遺産のこと」

    知っていましたか?近代建築に関わる世界遺産登録について現在、本年に登録されたばかりのストックレー邸を含めて14件です。登録年代順に並べると

    1  アントニオ・ガウディの作品群/スペイン/1984年登録、2005年拡張登録
    2  コスタ&ニ−マイヤー設計のブラジリア/ブラジル/1987年登録
    3  アスプルンド&レヴェレンツ設計の森の火葬場/スウェーデン/1994年登録
    4  ヴァイマール&デッサウのバウハウス校舎と宿舎などの関連施設群/ドイツ/1996年登録
    5  リートフェルト設計のシュレーダー邸/オランダ/2000年登録
    6  ヴィクトール・オルタ設計の住宅群/ベルギー/2000年登録
    7  ミース・ファン・デル・ローエ設計のチュ−ゲントハット邸/チェコ/2001年登録
    8  テル・アビブのホワイトシティ近代化運動/イスラエル/2003年登録
    9  バラガン設計の自邸/メキシコ/2004年登録
    10 オーギュスト・ペレのル・ア−ヴルの都市/フランス/2005年登録
    11 ヨーン・ウッオン設計のシドニー・オペラハウス/オーストラリア/2007年登録
    12 メキシコ国立自治大学のキャンパス/メキシコ/2007年登録
    13 ベルリンの近代集合住宅群/ドイツ/2008年登録
    14 ヨーゼフ・ホフマン設計のストックレー邸/ベルギー/2009年登録

    といったところでしょうか。単体の建築作品以外にも都市や群として登録されているものもありますが、反面、ル・コルビュジェやライトといった巨匠の作品群はいまだに登録されておりません。日本でも当然の事ではありますが、ヤン・レツル設計の原爆ドームが廃虚となって登録されているぐらいです。このことはジャーナリズム的(資本第一主義的)な眼方には惑わされないユネスコ(決定機関)の是々非々の立場が伺える結果ではないでしょうか!ちょっと逸れますが、いま話題の政治問題ですが、昨夜の自民党の失態ぶり(議院総会)、そして官僚、大企業まで含め、指導者の存在価値というものが揺らぎ始めているように思われます。というより不安(信頼性という点で)であります。少なくとも国民に対して是々非々なる立場が望まれていようことは時代がいま要求しているのであって、今後、日本の指導者たち(政治家に限らず)の姿勢が試されてゆくことでしょう。間違いなく、そう意味で第一党となった民主党にはこの是々非々なるものが問われるでしょう!それにしても、天下り先の多い土木・建設業のものづくりシステム(政官癒着構造)が変容することで、世界遺産になり得る建築がもっと多く生まれる環境が創出されるとよいのでしょうが・・・・。

  17. 伊神誠治on 20 9 月 2009 at 12:40 AM

    「スヴェ−ル・フェーンの建築を語る会・雑感」

    昨日、北欧建築デザイン協会(SADI)主催の「スヴェ−ル・フェーンの建築を語る会」に参加してきました。わたしとフェーンとの出会いは80年代に編まれた作品集(洋書)を古書で手にいれて、知ったヴェネチアビエンナーレとブリュッセルの両パビリオンであり、コンクリート(ルーバー)とプラスチック(十字形の柱)の扱いに新たな空間創造(表象)を掻き立てられた憶いが甦る。その後、暫くは歴史的イコンや記号論、ハイテックといった90年代までのポストモダン思考全盛の影に隠れジャーナリズムからは取り残された存在で気に停めることはなかった、そうした中でバブル崩壊とともに建築界ではレム・コールハースやジャン・ヌーヴェル、伊東豊雄といったモダニズム超克を掲げた新しいムーブメントの発露が起こったのであるが、その一方でイギリスのAAスクールでは純正なるモダン再考の動きを受容したなかから、とくにシーグルド・レヴェレンツ(森の火葬場:アスプルンドとの共同設計者)の存在が国際的に公にされだし、ピーター・ズントーやアルベルト・カラチ、そしてこのスヴェ−ル・フェーンの評価に行き着いたとわたしは考えている。彼らの建築は、昨日のシンポで語られていた風土や環境といったフランプトンが述懐した批判的地域主義的思考で括れないもの、まあ一言で言うと「存在」ではない「痕跡」なる建築なのだといえる。ところで、シンポジウムは芸大教授であられた益子先生をはじめ、直接フェーンにインタビューされたプロダクトデザイナーの寺原先生、木質研究者の雨宮さんの3名のレクチャーが主となったシンポジウムでした。益子先生のポイティックなフェーン評には言わずもがなの観があったのであるが、あのニューヨークファイブのひとり、ジョン・ヘイダックとの交誼のことなどは、もっとも聞きたい点であった。寺原先生のインタビュー評はあまりにも多弁的な話しでフェーンの人と為りがうまく掴めなかったが、結論として作品はスカルパに一番影響を受けていたとおっしゃっていたが、わたしにはそれはどうも解せなく、寧ろアスプルンドにリスペクトしていたということ(インタビューから)の方からのものを指摘して欲しかった。最後に雨宮氏は仕事の体験(木構造やプレファブなど)から説得力のある意見を展開し、主観的な発言をされた。フェーンのジャパネスなるものを解いていたのだが、住宅という限定されたるものからの指摘には説得力はなかったといえよう。寧ろ、現代の日本とノルウェーの住宅(建築のゲニウス(場所性))の差異を建設システム(産業)並びに法制(あまりにも安全性に配慮する)からくるものであることを明らかにしてくれていた発言の方が当たり前のことではあるが厭に納得させられた。40名弱の参加があったのであるが、北欧建築デザイン協会の講師の老翁先生たちの熱のこもった話しには、頭の下がる憶いで一杯である。学生たちも社会的な枠組みのなかだけで捉えようとせずも、フェーンの成し遂げようとしたものを自己の言葉で創造してみること、乃至はそれを自己の設計術にいかに仕組むのか、それが「設計することの楽しさ」であること・・・それを学んでほしいと憶うと同時に、その若い学生を指導する側もそれを享受しなくてはならないこと・・・そういった世代を横断する議論の大事さを感じたシンポジウムであった。最後にフェーンの晩年の代表作である「氷河博物館」が厳しい自然と対峙している様を見れば、存在ではなく痕跡であることを証してくれよう!

  18. 伊神誠治on 29 9 月 2009 at 10:58 AM

    「建築家山田守と野田市郷土博物館展・雑感」

    山田守晩年の作品である野田市郷土博物館とその展覧会、講演会に参加してきました。山田守展ですが講演(岩岡、大宮司氏)はちょっと物足りなさ(正倉院へのオマージュとはちょっと安易で、京都タワーや日本武道館の延長と捉えるのは危険であろう)を感じた反面、その建物と展覧会(写真撮影可)、図録(1000円)は充実したものでした。3年程前に研究会で取り上げ、知っている限りの山田守像とは齟齬しない博物館でしたが、プランや姿形のぎこちなさは相変わらずで、逆に時代とは真逆な姿勢、いわば山田守のパトス(情念)が滲み出ていたのは確かでした。とくにエントランスの庇まわりのデザインは、山田らしからぬイタリア合理主義(ドゥーチェの演説台らしき)の影響も伺え、この作品を外に公表しなかった企図(アナクロニズム的な思惟)を自分なりに納得しました。因に展覧会は10/12まで、隣の野田醤油(現・キッコーマン)創設者茂木佐氏の旧邸や庭も、ともに無料で見られます。こちらの和風(国の登録有形文化財)もなかなかのものでした。ところで、さすがに醤油工場が散在する街なのでしょうか、所在する博物館あたりは東武線野田市駅の目と鼻の先なのに高層マンションなどの醜悪なる再開発がされておらず、見上げると天空の占有面積がひろく感じられ、小さい頃の原風景が甦る懐かしい街でした。帰途で遠方から見た怪しげなハンス・ペルツィヒ風の建物(興風会館−国登録文化財)ですが、やはり昭和初期のもので明治大学旧本館を設計した「大森茂」という建築家でした。同行したものがラブホテル風だと言ってその場を退却してしまったのが惜しまれます。

    「興風会館(国登録文化財):昭和4年(1929)に竣工し、建築様式はロマネスクを加味した近世復興式のものでで、大・小講堂、地下ギャラリー、集会室などを備えています。設計者の大森茂氏(1894〜1934)は神田駿河台の明治大学旧校舎や旧細川公爵邸(和敬塾本館・都文化財)などを設計した建築家です。」

    また、その近隣に存在した茂木本家美術館は2006年竣工で彦坂裕氏(環境デザイナーと言われている)の設計でした。これは抽象化した構成主義風なモダンな建物で瓦をコラージュ的に壁に使用するなど、所謂80年代ポストモダンの断片的な操作が見られ、外観からはいかにも旧態依然のシロモノでしか感じ得ませんでした。彼が自負する環境デザイナーの所以ということが、この建物には微塵も感じられないのはわたしだけではないはずで、やはり「環境」という概念を都市(アーバン)と建築(単体)とで同義に扱わなくてはならないことの本意、それがいまの再開発にしろ、またこういった街の単体建築物に見え隠れしているように見えます、だから都市や街をディレクトする建築家にはビルディングのセンスがまったくと言ってよいほど疎いのであり、・・・その結果が現下の都心の街並であり、旧い街に存在するベタな建築物なのです。

  19. 伊神誠治on 07 10 月 2009 at 10:52 AM

    「藤井博己の講演」

    此の名を聞いて、「懐かしい」とおっしゃるひとは多いでしょう。それぐらい、いまではジャーナリズムとは無縁なひとであり、昨今の若手建築家の匿名的建築や似非ニヒリズム的なる思考とは異なる、知の思想や哲学を表現の俎上に載せた建築作品をポストモダン期に提起してきた・・・それが、藤井博己然り、相田武文の両芝浦學派の重鎮であろう。バブル期やその後に於いて、「論理的で社会事情に立脚していない」というジレンマから脱却できず、一刀両断されてきた彼らの建築を、いまの若手(ジャーナリズムやアーキテクト)はアイコンとして彼らに標的を向けてきているといえそうである。ただ、そうではなくロッシやアイゼンマンの形而的観念理解の果てに・・・漂着したであろうもの、その答えを「余白の建築」という主題で投げかける藤井の論を、・・・是非とも聞いてみたいと思う次第である。恐らく、現代の社会論理主義とか状況主義とかを唱える他者伺いの論への警鐘、そして老子や孔子(儒学の祖)が説いた(論理)、「空」や「無」といった自然環境のなかに潜む「美」の奪還を解いてくれることを期待したい。
    □藤井博巳講演会
    演題:「余白の建築」
    講師:藤井博巳氏(建築家)
    開催日時:2009年11月28日(土)16:00開演(15:00開場)
    開場:国士舘大学世田谷キャンパス 梅ヶ丘校舎
    http://www.kokushikan.ac.jp/access/setagaya.html
    入場料:無料(先着申込制、自由席)
    定員:300名
    詳細は、国広研究室のホームページ
    (http://www.eg.kokushikan.ac.jp/eng/kunihiro/

  20. 伊神誠治on 15 10 月 2009 at 3:20 PM

    「建築ジャーナリズム誌の100号は如何に!」

    わたしが配信しているIGM通信が100号と相成った、本年ついに100号/年を突破しました。はじめての快挙です。
    先日、GAギャラリーにて開催されている「世界から見た日本の現代建築」と題する展覧会を見てきました。実は此の展覧会の前に雑誌『GA JAPAN 百号記念特集』が発売されており、何のことはない、それと符合する内容(モデルや写真などはあったのだが・・・)のものでした。雑誌の方では、磯崎、藤森、伊東、鈴木博、隈、藤本、平田氏(菊竹、川添は過去の記録)と二川親子の対談が掲載され、ギャラリーではそのビデオがながされ、丹下や菊竹、安藤、槙、谷口など時代を画した作品の模型や冩眞が展示されていました。それらは別段何ら驚くには値しないものでしたが、どちらかというとGA側の100号という雑誌の積み重ねというか継続に万感の憶いが込められていると感じ入りました。雑誌の内容は、時系列で対談がなされていたようでしたが、最現代で藤本氏がダーウィンとか森とか、平田氏はバイオロジー(生物体系)とか負のエントロピー(生命の秩序)を語って21世紀建築へのビジョンを示し、老齢の二川、磯崎さんは戦後建築の総括を経験則で語る、貴重な対談話しでした・・・。
    そのGA誌はすでに『DOCUMENT』『HOUSE』が100号を達成しており、二川さんの経営手腕もなかなかのもで、華々しき頃の建築ジャーナリズム誌の代表であった戦前の「建築世界/建築世界社」「住宅/住宅改良会」「国際建築/国際建築協会、戦後に美術出版社」そして戦後の「建築文化/彰國社」「建築/青銅社」「都市住宅/鹿島出版会」「SD/鹿島出版会」などが100号を経験しています。しかし、既に廃刊または休刊を余儀なくされている雑誌も多数に及んでいるのが現況で、いま、生き残っている正当なる建築作品&評論の月刊誌としては「新建築及び新建築住宅特集/新建築社」「住宅建築/建築資料研究社」「ディテール/彰国社」ぐらい(各紙、評論に重点は措かれていないのが残念!他に「建築画報」「近代建築」が存在するのだが、いまでは企業建築雑誌に成り下がっている有り様)であります。こうした建築ジャーナリズム誌のなかにも、やはり100号は格別の特集が編まれていたもの(●印)もあったようで、また通過点に過ぎなかったものもあるようで各社各様であります。御参考までに以下、それを今回は紐解いてみました。(戦前からの雑誌は通巻号という概念はなかったようで省きました。例外として「建築雑誌」は通巻でした。)

    「建築雑誌/日本建築学会」現存:1895年04月号ー特集 山形縣下町家一棟改良構造仕様

    「建築文化/彰國社」休刊:1955年03月号ー特集/100号記念特集 戦後建築のあゆみ●

    「建築/青銅社のち内外出版」廃刊:1969年01月号ー創刊100号記念特集 戦後建築思想の反省・対談●

    「SD/鹿島出版会」廃刊:1973年01月号ー特集/大きいとはどういうことか−大石寺正本堂の空間

    「都市住宅/鹿島出版会」廃刊:1976年02月号ー特集 カタログ「都市住宅」2 弁証法的空間批評からマニエリスムの相の下にまで●(99号、101号もカタログ「都市住宅」3巻として編まれた)

    「a+u/エーアンドユー」現存:1979年01月号ー100号記念特大号 世界現代建築の状況●

    「ディテール/彰国社」現存:1989年04月ー創刊100号記念特集号 名住宅の矩計−原図を読む●

    「PROCCESS/プロセスアーキテクチュア」廃刊:1992年01月号ー100号特別号 レンゾ・ピアノ ビルディング・ワークショップ●

    「住宅建築/建築資料研究社」現存:1983年07月号ー木造住宅:その可能性に向けて

    「新建築住宅特集/新建築社」現存:1994年08月号ー特集 村上徹 自作を語る−自立しつづける場をつくる

    「GA DOCUMENT」現存:2008年01月ーコープヒンメルブラウの三作品を中心にして

    「GA HOUSES」現存:2007年08月ーJAPAN VI 日本特集 100号記念●

  21. 伊神誠治on 19 10 月 2009 at 11:18 PM

    「クリエーター加藤和彦の縊死」

    土曜日の朝、IGM通信登録の志田氏からメールをいただき「加藤和彦」の死が知らされた。瞬時に憶い浮かんだのが、彼の処女バンド「ザ・フォーク・クルセダーズ」のヒット「帰ってきたヨッパライ」の「オラは死んじまったダア〜♪」であった、その通りじゃないか。ただ、あまり彼の曲をじっくりは聞いたことがないわたしは、ヒット曲、「あのすばらしい何とか・・・とか」「サディスティック・ミカ・バンドのタイムマシンとか」は堪能していたが、振り返ると作曲家のイメージ、否クリエータ−としての彼を見誤っていたような気がしている。昨今の音楽のネタ切れ的な様相ないしは牧歌的な詩やリズムの乱調ぶりを見れば、そうした世代(団塊世代ともとれる)の顕示する行動の大半は、平和的生活を装っていることに自己逃避してしまうものがほとんどといってよかろう。だから究極の音楽とは何かを問うことの企図を真摯に唱えるものには屈辱の時代なのでしょう、畢竟するには、その鬱憤は「死」を代償としなくてはならないのだろうか。単なる鬱(うつ)とは取れないクリエーターの達成観ないしは陶酔観への「暗」の部分を彼から享受してしまった。

  22. 伊神誠治on 19 10 月 2009 at 11:20 PM

    「駒場の笠間邸(前川設計事務所担当丹下健三作)のこと」

    井の頭線の渋谷駅の改札手前にある岡本太郎の絵画を見て、駒場東大駅前に参上した。目的は生誕120年の両雄、柳宗悦と野島康三の展覧会であったのだが、日本民芸館への途上に気になる和風建築に出会した。それは前川國男建築設計事務所が戦前(1938年)に手掛けた笠間邸という住宅であった。どちらかといえば前川自邸(1942年)が木造モダニズム建築の嚆矢(とくに住空間に於いて)とされているなか、わたしは寧ろ笠間邸の方には形態としての妙味、所謂「抽象化」の美を感じていた。それは竣工当時、帝冠様式(現・九段会館など)として揶揄され嫌われた屋根なるアイコンを、面とした構成的扱いとしている点に顕現されているといえるからだ。入口のヴォイドといい、ハイサイドのような窓がついている2階の突出した部分、建物の全面にある塀といい、非対称性も見事である。和風建築と言えば瓦など勾配屋根を持っている愚直(保守)なデザイン様式が目に留まってしまうのだが、この笠間邸は異なる。それにしても、前川自邸と比較しても「かたち」としての齟齬は顕著である。何故なのか、その解答は藤森照信の『丹下健三』(p50^p51参照)にあった。丹下が大学を卒業して前川のもとで修行したことは知られているが、はじめての現場監理がこの笠間邸であったことは偶然ではあるまい、頗る丹下オーラが全開である(・・・とわたしは思う)。同じ大屋根ではあるが、山口文象の自邸(1940年)は民家を内部に孕んでいる為なのか、やや様式的に見えてしまうのだが、この笠間邸にはロースではないが、まわりには同化しない強い普遍的なるものが感じられた。やはり単なる和風住宅ではなかった・・・それにしてもクライアントの住まい(築70年)への憶いは幾許のものなのだろうか、昨今の凄惨なる住宅の命を鑑みて憶う次第である。(画像は竣工したばかりのもの、雑誌「建築」の記事と現況である)
    PS
    野島康三の冩眞が松濤美術館で開催されている。当日レクチャーしたモランディの論者岡田温司の見方は、野島の写像(見る見られる)とイコン(偶像絵画、神話など)をパラフレーズした点で大変ユニークなものでした。なかでも野島のヌードを腹芸と解釈する見方は新鮮で冩眞のなかに絵画の断片を見ようとする視点に於いて・・・それから野ノ宮アパートと土浦夫妻のことは図録に掲載されているので略します。次回の村山槐多という画家の方は注目ですね。
    http://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/museum/

  23. 伊神誠治on 28 10 月 2009 at 9:57 AM

    「『デザインサーベイとしての建築家−広瀬鎌二』雑感」

    前回の蔵田周忠に引き続き、旧武蔵工業大学(現・東京都市大学)の重鎮であられる広瀬鎌二が、この『デザインサーベイとしての昭和建築家』の最終回(10/24)として取り上げられた。我が研究会でも十二分に勉強し成果を得てきたのであるが、流石に当事者からの意見を聞く術は得られなかったためか隔靴掻痒(かっかそうよう)の観が拭いきれなかった。主催された鈴木工務店の鈴木亨社長さんをはじめ、講演者の矢野和之さん、松成和夫さんは、まさに蔵田・広瀬なる旧武蔵工業大学シューレ(学派)の教育そして薫陶を受けてきたひとたちであり、彼ら以外にも広瀬研OBの方々の参加も予想され、そうした座談から享受できるであろう広瀬鎌二の貴重なお話が伺えたなら・・・という思いで参加してきました。わたしは、蔵田周忠の血をどのように大学教育の場、それからデザイン思想として継承してきたのか・・・ということのひとりとして広瀬鎌二を以前から注視してきました。一般には、ディテール、プレファブ、モデュ−ル論としての鉄骨『SHシリーズ』がその社会的評価ではあったのであろうが、晩年には、巨匠と謂われる建築家が必ずと言ってよい程、最期に執着する「伝統」への 強い想いが研究やら論文、作品となって紡ぎ出されて・・・その果てとしての「俊乗房重源」の語りべ(建築のイデア)となったのでしょう。そんなところを矢野さんは「歴史を現代の建築・都市にどう生かしていけるのか」と斬り込まれた。歴史や伝統やらを単なる考証や知識として止めるのではなく、それを踏まえてどう現代(時代感)に現代の言葉で伝え、新たなる創造または議論をしていけるのかが課せられているし、そこに美学の存在を躊躇する態度があってはならないとも思い至りました。過去の藤井厚二、山越邦彦の環境エコロジー的なる発想の先駆としてではない蔵田周忠、広瀬鎌二の「昭和なるもの」とは何か、旧態依然としてあまり語られてこなかった建築界アカデミズムの土壌に於いて、いまこそ鼓吹(こすい)されるべき時なのではないかと考えております。就中、蔵田と岸田は「昭和なるもの−日本モダニズム建築」を影で牽引してきた最大の功労者であったことを・・・。わたしは、クリエーターの評価というものは作品の表面に顕現されるものだけではなく、作者の「こころ」を紐解くものであってほしい(作品がなければ研究や論説などでも)と過去の研究会を通して常々考えてきました。最期に、広瀬研究室OBの方々の努力で「広瀬鎌二アーカイブス」の成果が書として纏められ、世に発表されることを祈るばかりであります。

  24. 伊神誠治on 28 10 月 2009 at 10:17 AM

    「再考、ロシア・アヴァンギャルド展」

    先日、さいたま浦和方面に用事があって帰りに故黒川紀章設計の埼玉県立近代美術館を覗いたら「ロシアの夢」という展覧会がやっていた。つい「ロシア」という主題の語尾の小さな「ロシア・アヴァンギャルド」という文字が気になり興味を惹かれて入ったら、いきなり大スクリーンでタトリンの第三インターナショナル記念塔の映像(長倉氏のDVD−モスクワに聳える塔のモンタージュ映像)が現れ、リシッキーのプロウン(オブジェ)やら、わたしが興味をもっていたブフテマス工房(ロシアのバウハウスと謂われている)の冩眞やら図面、そしてレニングラード派(西ロシア)の前衛建築の図面も展示されていた。残念ながらアヴァンギャルドの主流であるモスクワ派(東ロシア−ギンスブルグやメーリニコフ、ヴェスニン兄弟など)はあまり取り上げられてはいない。しかし、最後のコーナーではイワン・レオニドフの大きなレーニン図書館学研究所のモンタージュ画像(添付ファイル)が展示されていて圧巻であった。所持しているレオニドフの作品集などではリアリティがあまり感じられなかったのだが、なんてファンタスティックな写像なのだろうか!恐らく実現できればネクストワールドを創出させてくれるに値する建築だと思えたのだが・・・。サイトでは基本的にグラフィックやテキスタイルが中心と解説され、其の通りなのであろうが、ロシアアヴァンギャルドの全貌が図録(ペーパーバック版)では補遺されている。
    PS
    それより次回が凄い。モダン日本絵師の小村雪岱(こむらせったい)である。浮世絵という古典技法をメタモルフォーシスした功績は見逃せない、待望の展覧会で楽しみである。
    http://www.momas.jp/3.htm

  25. 伊神誠治on 31 10 月 2009 at 11:08 AM

    「磯崎新ブックアーカイブス展−回想ポストモダン」

    何時も展覧会の情報をいただいている「ときの忘れもの」(綿貫さん)で、この度、磯崎新ブックアーカイブスと称した展覧会がはじまるようです。今回は筑波センタービルに連関する書籍、版画、家具(倉俣史朗作)がテーマで、所謂ポストモダン論争時を邂逅する試みです。わたしの磯崎書棚で此の頃にもっとも印象に残っているのが、朝日から出版されていた週刊本シリーズのひとつ(いまは絶版)『週刊本17 ポストモダン原論』です。スキゾ(分裂)とかエレクティク(折衷)といった言葉(当時弄ばれた言葉)が一般向けにわかりやすく語られていたと記憶してます、それと、やはり『いま、見えない都市』でのカタストロフ(廃虚)論でしょう。ちょうどバブル期にポストモダンが薄っぺらな歴史アイコンとしてのさばってインテリアなどで弄ばれたこととは異なり、磯崎の提起した建築的ポストモダニズムは従来の建築システム(社会的慣習とくに建築設計業界の馴化)の破壊、要するに異議申し立て、テクスト性(作品と論文の一致)にあったのであり、前述の輩(デザイナーと称した)が解釈した単なる「歴史引用」の作品ではなかった。彼らはそれを曲解し業界で吹聴した結果の流行が「ポストモダン」の短命なる終焉であり、その後のデリダの論である「デコン」も同様にジャーナリズムの煽りを受けた単発なる現象であった・・・とわたしは考える。だから逆説的には磯崎の設計した「筑波センタービル」の提起したプロブレムは、いまの業界の弛緩を冗長した根っこが、ここからはじまったといえなくはないだろうか。
    下記は「ときの忘れもの」サイトです。
    http://www.tokinowasuremono.com/artist-001-tenrankai/index.html

  26. 伊神誠治on 02 11 月 2009 at 1:23 PM

    「半世紀を迎えた神田古本まつりに舌鼓」

    先日、友人と今年で第50回を迎えた神田古本まつりに参加してきました。半世紀もよくぞ継承されてきたこのイベント、通常の古本屋街をぶらつくのとは異なり、じつはなかなか掘り出し物を見つけるのは意外と難儀なんです。けれどわたしはお祭り気分を味わうと同時に、神田神保町界隈あたりの地をブラついて、思ってもみない景色や光景に出会すのが醍醐味で毎回とはいわないまでもちょくちょく参加してきました。・・・でしたが、今回に限って、はじめていいものを見つけました。研究会で取り上げた今井兼次の『旅路−今井兼次作品集/彰國社』と『前川國男作品集−建築の方法(美術出版社)』のふたつ、それに以前に「デザインサーベイとしての昭和建築家」で取り上げられた蔵田周忠の『塔のある風景(彰國社)』です。値は1万円以下(超破格)の掘り出しものでして、友人と「さぼうる」という老舗の喫茶で大変な長湯をしてしましましたが、満更でもない昂揚した気分を味わった一日でした。明日、11/3までの会期です。NHKの『ブラタモリ』でもここいらは紹介されていました、古本が東京という街にいかに密接に繋がっているのかが味わえる光景(物凄いひと、ひと)、そしてここは、本という名の聖地でもあるですね!
    下記は神田古本まつりサイトです。
    http://jimbou.info/news/furuhon_fes_index.html

  27. 伊神誠治on 04 11 月 2009 at 11:29 AM

    「クロード・レヴィ=ストロースの死去に憶う」

    11月28日に101歳を迎えようとしていたフランスの人類学者、クロード・レヴィ=ストロースの訃報を知った。サルトル(実存主義)批判と人類学探査から構造主義なる手法(未開社会の有機的な類縁(婚姻)関係を分析)で描いた著作「悲しき熱帯」「野生の思考」は夙に有名ではあるが、わたしがシンパシーを享受したのはポストモダン全盛の時代からのお付き合いであり、空間(空気、雰囲気)といったものをどのように人間が意識(感受)し、そして行動(行為、創作、または設計)を発生させているのかを開明する研究をしていた学生の頃に遡るのだが、ここで氏の大著「野生の思考」に行き当たったと記憶している。人間の心理をあるアベレージに規程して扱うことに躊躇していた実証的研究から開放された気分を味わった。いわば人間のアベレージではなく人類という雑種の性という世界で創造行為が生まれているということを・・・彼から教わったし、其のことを気付かされたひとりであった。其の当時、建築界では原広司の集落論(境界、領域)や篠原一男が設計した「上原通りの住宅(1978)上原曲り道の住宅(1979)」の住宅(彼に言わせれば大文字の「建築」概念であった)論のストラテージ(戦略)として既に影響下に曝され、レヴィ=ストロースはマンデルブロート(フラクタル理論)と並んで建築アカデミシャンの間でもてはやされ、現在に至っても文藝評論やら写真、社会諷刺など多岐にわたってリファイン(参照)され続けていると聞くに及んでいる。最近、出版された港千尋がレヴィ=ストロース氏にインタビューしたもの『レヴィ=ストロースの庭』(NTT出版)を書店で拝見したのが最期となってしまった・・・就中、表紙の植物は寄り添って生きる人間の貌にも見えてしまうのだが・・・10/31逝去、合掌。

  28. 伊神誠治on 06 11 月 2009 at 11:40 AM

    「原・巨人の「読む力」の勝利に触れて」

    昨夜のプロ野球日本シリーズ第5戦は巨人・阿部の2ランで見事な逆転サヨナラ劇を生み王手をかけたのだが、その指揮官は原辰徳(巨人監督)。日本ハムの追加点を阻み、終盤で逆転するという粘りの野球はペナントからクライマックスまで一貫していたように思われる。特化して強い理由でもないんでしょうが、やはり原監督の采配というより彼の野球観といったものが、例えば中日・落合監督のような天才的采配術とは異なり、空気(雰囲気または出来事)を見て対処するだけではなく、読む力が彼を監督(業)として輝かしい実績を残させている所以だといえるように思えてきた。中国の儒学者に荻生徂徠(おぎゅうそらい)というひとが存在したのだが、彼曰く、「書を読むとは書を看るに如(し)かず」と記している。見た目の力に耽溺(たんでき)するのではなく・・・ということは「自己陶酔(一種の感動)で放置してしまうのではなく」、しっかりと本質「相対的な見地にたって自己を表現(行動)する」を見極めることこそ大事であると、わたしは荻生から教わった。まあ、落合監督が自己陶酔しているとも思えないのだが、原監督の野球観は荻生の言説にピッタリはまっていて・・・逆に奇を衒うこともなく凡庸な知性が支配的である・・・それをジャーナリズムでは天才と呼ぶのだろうが??。それにしても、海の向こうではヤンキースが世界一になり、ワールドシリーズでMVPとなった松井(元巨人)も然り、読売の「ナベツネ」さん、そして「G(巨人)キチ」さんもさぞかし御満悦のことであろう・・・因にわたしは「ドラキチ(中日ファン)」である。

  29. 伊神誠治on 15 11 月 2009 at 4:30 PM

    「東京中央郵便局舎の情けない姿形に一言」

    先日、「逓信建築から郵政建築への軌跡」と題して元郵政省建築部の観音克平氏による講演会があり参加してきました。しかし、期待していた逓信・郵政建築の真髄とは何か・・・謂うなれば、建築界での位置づけといったものまで及ばず、歴史的変遷の紹介と各々の作品の概要説明に留まり、また最後のスライドで東京中央郵便局の工事現況と大阪中央郵便局の構想案(設計は日建設計)の映像を見せられては、参列していた郵政省のOBたちの楽観した雰囲気や態度に驚くばかりでした。ちょうど、東京駅に降り立って、東京中央郵便局舎はいま、どうなっているのかな?・・・と仰ぎ見ると、愕然とした光景の映像に・・・ショックを隠しきれないほどの脱力感で、ただ呆然とするばかりでした。あの鳩山問題以後の郵政の方針である東京駅に面した部分は少なくとも保存するとの話しはどうなったのか?それは、あくまでフェイク(見せ掛け)にするつもりでのカット(一部解体)なのか????。旧・設計者であった吉田鉄郎デザインの命であるカーブのついた面へメスを入れた現・設計者である三菱地所・建築家(担当者)の見識を疑うのと同時に、・・・これが21世紀型建設術なのだろうか・・・と。資本経済で民衆を手玉にとって会社存続のために、建築家の魂を売って生きてゆかねばならない建築家と呼ばれるサラリーマンの性なのでしょう。いま、山口文象と大谷幸夫との対談「建築はどうなる」(1972年夏季号『建築家』より)を読み返し鑑みますと、彼らが危惧していたこと(社会には迎合しない姿勢や精神、思想が消えゆくこと)、そのものが今の建築家に侵犯していると・・・このような行為(責任の所在のわからない)を見て憶う次第でありますが、郵政社長であられた西川氏更迭が引き金なのか、東京中央郵便局舎を愛するひとへの腹いせともとれる行為・・・わたしには一生忘れ得ぬ出来事となってしまった。因に帝国ホテルが陥落(解体)したのは昭和42年(1967)で42年前の出来事でした、いわば「死に(4シ2ニ)」再び居合せてしまったともとれよう。

  30. 伊神誠治on 15 11 月 2009 at 4:33 PM

    「今井兼次自邸の観相」

    昨日、雨の振る悪天候のなか(今井邸に辿り着いたときには晴れてきた)、昭和4年(1929)に建てられた今井兼次(早稲田建築名誉教授−故人)の自邸を見てきました。いま、維持しているのは80年住み続けている、御子息の兼介さんです。といっても相当な高齢の方です。同じ建築家の道を歩んできたので、ここ数年開催されてきた、今井兼次展(12月から多摩美術大学美術館で開催)や師と仰ぐスウェーデンの建築家アスプルンド展にも貴重な資料を提供いただき、またアスプルンドの御子息が参加された講演などにも参加されていました。前から自邸の存在を知っていたのですが、なかなか訪問するチャンスは適いませんでした。現在は大幅な増築をされていましたが、庭やエントランス、表札、急勾配の屋根の形状などで、伺える程度で、竣工写真(あまり公表されていない)の面影を知らない限りはその存在はわからないぐらい、いまでは密集した住宅街にひっそりと溶け込んでいました。隣に住んでおられる方(先代から今井邸の隣にすんでおられた)から聞いた話によると大邸宅がポツンポツンとあるぐらいでここらあたりは野ッパラだったようです。いまでは地元ではない住民(とくに若者)の放逸なる横暴と生活感からなのか、この地を食い荒らす開発業者の手が徐々にではありますが、侵食しつつあります。こうした住宅も先代から息子へと相続される過程で、モノの価値判断や時代の趨勢に翻弄され何れは消えゆく運命を辿るのだろう・・・そんな憶いを馳せながら次の目的地「さざえ堂に関連するイベントが行われる」、東大生産技術研究所(駒場)へと向かいました。こちらは主催者側(日本住宅建設産業会・トステム建材産業振興財団)の思惑が透かしみえる講演や調査報告に、ほんとうの意味での「会津さざえ堂」を解剖せしめるところまで議論しつくせたとは言えなく、調査報告をした腰原さんはともかくとして、デザイナーの六角鬼丈氏と建築史家の藤井恵介氏の見解を享受するまでには至りませんでした。むしろ以前に調査し評論を加えた小林文次さんたちの実測図を見て、その研究に興味が沸いた次第であります。最後に一言、街起しのネタ(キャラクターなど)や道具に使われることを建築家の専門家が言っちゃあ・・・おしまいでしょう。

  31. 伊神誠治on 19 11 月 2009 at 2:32 PM

    「山口文象の晩年作と小野忠重版画展の雑感」
    先日、小野忠重展の会期が迫って考えたあげく町田へ行った。往きすがり、鶴川にある鈴木工務店さんの所有する茅葺きの可喜庵を車窓から確認(新装してかなり目立っていた)した。ところで、今回の目的はふたつありRIAという設計事務所が設計した郷土資料館(いまでは、市立博物館)が1978年に亡くなった創始者の山口文象(1902-1978)の遺作と知られているからで、是非とも見てみたいと思ったのであったが、市内からはちょっと遠方にあり困ったのだが・・・。どことなくアルヴァ・アアルトの設計したイマトラの教会(屋根と塔と開口など)を彷佛させ、アプローチもアアルト流(低いところから高いところへ廻り込む)である。しかも塔もアアルト風とくれば、わたし好みである。外壁の石は、設計時(OBの話し)ではコンクリート打放しであったとされれば尚更のことであろう。開口部のデザインも秀逸で中庭の取り方など、ディテールや材料の取捨選択には甘いものも感じられたが、山口の晩年思い描いていたらしい風土性とグロピウスで培った論理的な面も内部には多少存在したりしていて妙味であった。そしてもうひとつは、大宇根事務所(前川一派)が設計した国際版画美術館である。こちらは芦ヶ谷公園というバカでかい森林の中に佇んでいるが、デザイナーのポリシーは雑であると見た。・・・というよりも建物ではなく、展覧会が目的で、小野忠重(1901-1990)の版画を堪能した。(23日まで)わたしの知らない版画家であったが、何かそそられるものを感じ得た。誰かが言っていたノスタルジア・・・だけではないものを。この作家の経歴を知り、共感の意味がわかった。著作者でもあり、編集者でもあり出版経営者でもあり、研究者でもあった。そして何よりも、1920年代や30年代にプロレタリア運動(マルクス主義)や新興芸術運動(機械美)を扇動し、体現してきたひとであった。彼の作品の厚みである形而上的側面乃至はその表現媒体の手法には驚くばかりでしたが、彫り込まれて黒くなった部分の乱暴なまでの切り裂くような線に彼の生命感が漲っていて、かなり抽象画に近い目線であることが理解できる。同じように中山岩太や野島康三のなどの写真家にも言えるのであろうが、彼らも絵画の目線ですね!何れに於いても昭和初頭の息吹きを体現させられた展覧会でした。

  32. 伊神誠治on 23 11 月 2009 at 1:49 PM

    「メディア文化欄やサイトに見られる建築保存に対する姿勢」

    わたしは、数多(あまた)のサイトに見られるような近代建築の保存やノスタルジーを謳歌するものではないので、彼らの努力には敬服するばかりである・・・と思っている・・・でも、わたしは悪までひとつの建築やその設計者の思想や哲学、美学などをフィルターにしたものとしての近代建築に拘泥したい。だから、何度も発信している「東京中央郵便局」のことなどは日本の近代建築を国家的視点(ランク付けするなど)で捉えて保存することの意義を思弁したまでで、この偉大なる建築を凌駕できると思われる現代建築家の作品が出現されるのならば大出を振って解体は已もう得ないと諦めもつくと考えていた。ヤーンや三菱地所にそれを凌駕できるものは設計以前から(最近設計しているものを鑑みても・・・)できないことはわかっているから、当然の疑義となったのであり、ノスタルジア(何でも保存運動)や形式(三菱1号館復原のような)のお仕着せ程度では、どうみてもクライアントや保存論者の文化・学術的な見識の凡庸さ(経済的効果やジャーナリズム(ネット)効果などに拘泥しての)を感じいってしまう、それをカバーしなくてはならない建築史家や建築専門の報道者、そして見識のある(批評性を備えた)建築家の存在が必要大であろうが、・・・そういったひとたちから聞こえてくる言動はやはり玉虫色的なもの(社会的なる「敵」をつくりたくないというもの)としか発信され得ていなく、ズバリ!核心を突くまでには至っていない・・・それが残念でならない。忽忽とネットなどで過去の偉大なる建築作品や建築家のことを紹介しているサイトや努力されている保存運動に、建築作品への「愛」はあるのだろうが、その真理や道理が見当たらなく「報告」に死守したものが多いように思える、言わば、他者に阿く(媚びる)ばかりではなく、己が何を言いたいのか・・・その議論の果てによいものが生まれ、よい建築が残されてゆくのであろうが・・・。いまではニヒリスト(虚無主義者)+オプティミスト(楽観論者)化した文化人(既にピークを過ぎたと思っている)には、それはある種の「抵抗」なのであろう。

  33. 伊神誠治on 04 12 月 2009 at 11:41 AM

    「「聴竹居」と藤井厚二展とそのシンポジウム」

    先日、竹中工務店東京本店に併設されているギャラリーエークワッドで開催されている「聴竹居」と藤井厚二展を見てきた・・・と同時にその時開催されていたシンポジウムにも参加してきました。シンポジウムでは藤森照信の基調講演があり、日本の柱梁デザイン美の系譜は戦後の巨匠建築家たちに影響を与えていた・・・というものでした。そして終了際にそれをを辿れば、坂倉準三のパリ万博を超えて、この聴竹居に行き当たる・・・と謂われた。すごく漠然と観(雑駁な)した言い様に建築史家と呼ぶには相応しく無い作家観とした面持ちを感じた。その後、家具研究家の小泉和子さんからは趣味人としての藤井厚二がいかに聴竹居でその技を実験したのかを適格に話された、一方で現代建築家の小泉雅生さん(元シーラカンスのメンバー)からは聴竹居という住宅建築の衣服性についての話しがあったのだが、御自身の設計環境論を補填したいがための聴竹居に過ぎない物言いに不満が残った。そして、何よりも彼らを交えてのシンポでは藤井厚二の議論よりも堀口捨己への言及に到ってしまうという展開に、藤井厚二という建築家が、いかに形而下の存在(発見)でしかないということが露呈してしまっていると感じ入ってしまった。展覧会は企画マネージャーである竹中工務店の松隈章さん(聴竹居の管理マネージャーでもある)の主導でかなり濃密なるものになっている。ただ、シンポでも司会されていたのだが、彼の藤井厚二論は故小能林宏城や故神代雄一郎の言説の受売りに過ぎず、新鮮なものが聞かれなかったのが残念であった。わたしの藤井厚二評価は何と謂っても日本ではじめて纏められた建築設備概論のメルクマール『日本の住宅/岩波書店』であり、それが科学的設計術のバイブルとなったからとみている。なんと昭和のはじめなのにもかかわらず、なんども重版、普及版が出版されていた事情もその旨を示唆していよう。その影響はデザインに於いてはアントニン・レーモンドの木造住宅がそうであろうし、学術・研究面に於いては「DOMO DINAMIKA」というコンクリートでそれを実践した山越邦彦という建築家がそれを推進したといえよう。ただし、その影響に比べて藤井厚二の履歴を辿るとデザイン的には疑念を抱く点が少なからず存在する。竹中工務店時代の大阪朝日ビルなどのデザインには、後に入社してきて大作を残す石本喜久治や石川純一郎のような冴えは見られない。しかも武田五一の推薦で京大へ勤務するもその施設設計には手を出していなく個人住宅ばかりを設計していた・・・それも強いては『日本の住宅』という研究成果のためで、その実験で培われた住宅は和風建築に拘っているなど、フィギュアー(外見)には固執していなく、寧ろ武田五一直伝のインテリア(アールデコやアールヌーヴォー)が和風インテリアと遭遇したもの・・・それが聴竹居の大作に及んだのであり、その他の和風建築にはその強度(とくに円弧の扱いなどには)は感じられない。ここで注視されるのは、御抱え棟梁であった酒徳金之助という大工の存在であり、はじめて知ったのであるが、これもかなりこの棟梁に依存していた形跡が垣間みられる。・・・というのは、この棟梁が実施設計図を描いて決定権をかなりもっていた節がわかったからである。遺作となった扇葉荘(中田邸)にはもはやその棟梁の保守的な面、言わば完成されつくした和風の息吹きしか感じられないまでにモダン受容からはかけ離れていってしまったと私的には見ている。先の堀口捨己との比較で言えば、藤井厚二の有名な『聴竹居図案集』と堀口捨己の『紫烟荘図集』が宜しかろう。紫烟荘の出版は聴竹居よりも2年程度早く、堀口の行為にならっての『聴竹居図案集』出版であったとみるべきで、しかも内容的にも紫烟荘にはあの有名な論文「建築の非都市的なものについて」があっての図集となっているのだが、聴竹居には、序文のみでそれ以前の作品集と何ら変わり映えのないものであり、後輩で交誼のあった堀口捨己の行為をなぞっている向きも感じない理由にはゆかない。ただ、総じて藤井厚二のデザインには線が多いのは明らかであり、ル・コルビュジェが桂離宮を見てその旨を示唆したことと同じように思えるし、彼の研究成果を最大限発揮するためにもディテールやその技術(設え)が、そういったデザインとなってしまっていることも呵りなのであろう。聴竹居のみで語ると、それは愚直な言葉でいえば、「モダン数寄」なのであろう、「柱梁デザイン美の根っこ」といった藤森照信には同意できないが、拡げて「線の美」とすれば合点ゆきそうである・・・それにしてもインテリアの出来事でしか過ぎない点に於いては、戦前戦後の堀口捨己の提起したことには遥かに及ばないと思えてしまう。藤井厚二で寧ろ気になる作品をあげれば、自身の墓のデザインであろう・・・これは実にモダンである。

  34. 伊神誠治on 06 12 月 2009 at 5:16 PM

    「村山槐多の絵画にみる情念」

    以前に写真家・野島康三展の会場であった渋谷区立松濤美術館を去る直前に頂いてきた次回の展覧会のチラシに魅了された。それはピンクの下地に黒でバッテンされたなかに村山槐多という奇怪なタイポグラフィーとこちらを鋭い視線で見つめる人物(自画像)のデッサンに何か迫り入るものを感じたからであった。あまりにもこの時代の絵画(とくに洋画家)に疎いわたしなので村山槐多という画家のことは全くわかっていない、解ったつもりでいるのならば教科書で散見されるような岸田劉生、もしくは梅原龍三郎といった巨匠程度(失礼かも?)に留まるのだろう。この画家について自身で適格な評をするつもりはない・・・というかその才も持ち合わせていないが、経歴を見て驚愕した。なんと22才で繪を断たざる得なかった短命な人生であった・・・1919年(大正8年)2月20日、代々木上原の「鐘下山房」、雪まじりの激しい雨の降る夜に発作的に戸外へ飛び出し草むらに倒れていたところを友人に発見され未明に死去、結核性肺炎。1918年4月に喀血し闘病最中の壮絶な死であった。・・・と図録に明記されてあった。同じく夭逝した建築家に後藤慶二という逸材がいた。その彼の『後藤慶二氏遺稿』には「大正8年(1919)2月3日の雪ふる日、駒込病院に於いて、遂に、永遠に覚めざる眠りに入ってしまった」と記されている。そのことを思い浮かべて、ちょっと胸に迫る思いを感じ入ってしまった。・・・というか彼らの像、というか情念(パトス)が重なってしまった、乃至は一致したというべきなのだろうか。この大正という時代性を「夭折」というセンチメンタルな冷評では片付けられない・・・そんな憶いを・・・何よりもわたしは、いまの年齢になったからこそ受容でき形式(教科書的なるもの)には依存しない自己が浮上してきたのであろう。そんな眼で村山槐多(1896-1919)の繪を見ると岸田劉生(1891-1929)との違いが克明に出ている。因に画像で示したある少女を描いた繪を見られよう。岸田は繪の美しさや構成に配慮し、背景もモノシリックに描いて人物を強調し、平面的なる筆が支配的であるが、村山の繪の背景には必ずといってよいほどどこかの風景を描いて、且つ人物を彫塑的る筆で、その場の空気を繪に表現しようと試みている、だから構図や色彩は変調をきたし村山自身の情念が自ずと前面に貌を出してくる。こういっても、それ然り・・・しかし岸田の繪には何かが存在するという。先日亡くなった平山郁夫もシルクロードを描き、美術品の保存を訴えて社会的地位の高い絵書き・・・というか教授でもあり、立派な文化人であった。岸田劉生も文壇や画壇などでリーダーとして秀でていたと誰もが認めている存在であった。ただ、繪を描くという本質、情念は、彼らの命題ではなく社会的認知、もしくは美術家の尊厳(地位向上)を背負っていた・・・とみたらどうであろうか。最後に「ガランス」という言葉も気になった。フランス語らしいが、訳せば「茜(あかね)色:赤色のやや沈んだ色」らしい、村山の好きな色だそうだ・・・というか喀血したときのイマージュとも言われている。最初に「ピンク」といった(チラシのこと)のだが、この作家を本質的に理解しようと努めるのならば、やはり「茜色」なのだろうし、透明感のある血、だとか、夕日が沈む真際の色などを勘案すればピンクに近きなろうことなども認めならざること然りであろう。・・・こんなこと(物言い)どうでもいいだろうよ!・・・まさにそれにこだわった僕がここにいるのである。
    画像は、右が岸田劉生「童女舞姿(1924)」、左が村山槐多「カンナと少女」

  35. 伊神誠治on 11 12 月 2009 at 10:49 AM

    「「内井昭蔵の思想と建築展」開催を知って」

    内井昭蔵の代表作である世田谷美術館で12/12(土)から、故人となった本人の展覧会が開催される。祖父に河村伊蔵(ニコライ堂に関与)、父に内井進というバリバリの建築家の家系であるそうで、また奥さんも内井乃生というデザイナーである。師であった菊竹清訓の前衛的(メタボリズム)な一面から脱し、独立してからは「健康なる建築」を提唱したのだが、総じて新しいビジョンを追求する若手建築家から忌避された存在であった。徹して建築の保守性(地域や風土性に配慮した)を貫いてきた作品が頭を過るのだが、わたしは世田谷美術館の完成度を頂点とするならば、桜台コートビレッジやYMCA野辺山寮などに僅かにインフルーエンスされるのみであり、その後の作品には批評性を触発するようなものはつくれなかったとみている。こうした保守(愚直な)思考を促した背景には前川國男の晩年の設計態度からの理会が伺われる、とくに公共建築に於いては内井昭蔵が、住宅ではモダンリビングを提唱した宮脇檀の存在が浮上してくるのであり、前川國男の正当なる継承者を言うならば、大高正人や鬼頭梓ではなく、わたしは内井昭蔵(1933-2002)と宮脇檀(1936-1998)がそうではなかろうかと思う。・・・でもふたりとも60代で逝ってしまったのだが、多くの作品を残してきたので悔いはないのであろう。世田美は度々訪れているのだが、いつも感じることは、なんて日本的な建築だろうかと思う。建築から厳しさは伝わってこないかわりに安寧したものを受容される、これは一種の「和様」なのだろうか。そう思うと、自然の中に存在する北欧の土着的な建築とは遥かに異なるものをを・・・。

    http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html

  36. 伊神誠治on 13 12 月 2009 at 2:57 PM

    「三たび、今井兼次展を観て憶うこと」

    今井兼次の膨大なる資料を紐解いて見せてくれる3回目の展覧会「建築家 今井兼次の世界−祈りの造形−」が多摩センターという関東圏の西の果て、多摩美術大学美術館で始まった(23日まで)。東にいるわたしにとってはかなりの遠方ではあるが、今井さんの貴重な資料とあっては見逃す理由にはゆかない・・・というわけではじめて資料を纏められている弟子の上松佑二さん、そしてその弟子の石川恒夫さんの講演を聞いた。今回の展示テーマは「教会」だからであろうか、稍弔辞を詠んでいるように語りかける言葉で今井兼次の内面に深く切り込んでいた。(図録の内容と符合)わたしは、研究会を通して今井兼次を理解をしたつもりでいたが、「普遍的人間的愛情」という言葉は重いと感じた。若い時分は「美しい」「心地よい」「かっこいい」「天才的(秀逸)な」として感歎し他者にそれを享受する(普遍性行為)、またひととの付き合いの絆を社会(仕事)に照らし合わして、人情とか愛とかいって自己を正統化する(人間性行為)、どれも根元を突き詰めれば「形式」なる行為、いわば社会通念に寄り添ったもので本意を真摯(好き嫌いではなく)に語りかけることはしてこなかったのではないだろうか・・・と感じた。帰りがけに、最近幾度とも遭遇している人身事故にあってしまった。自殺者が既に3万超えているこの世情はわたしが働いていた頃からするとどう理解すべきであろうか・・・戦後生まれの世代が停年を迎えいまままでに至り人間(どちらかというと家族ではなく他人)や物質(スクラップアンド何々ではなく)への愛情といったものがあの悲惨な戦争体験を直にしていない世代にとっては、TV番組(ドキュメントなど)で表現され得る「過去(翻れば形式)」愛に唯唯「感動」として受容され得るのみで形而下(現実社会)にひとたび戻れば、何食わぬ相貌で「それはそれと」と居直ってしまう・・・謂わば、真意ありきの理解扶助の欠除、それらが巣食っている社会構造に何かビジョンではないこのままでよいとする頽廃的な気分を助長させてしまっているのではないかと感じいってしまう・・・戦前生まれはそれを高みの見物で等閑視しているのであろう。、こんな憶いで今井兼次を語った上松さんの言葉「普遍的人間的なもの」をわたしは受けとめた・・・というか新しい発見であった。展覧会ですごく気になったのは、奥さんであるマリア清水静子と寄り添うように森を見つめる1枚の水彩画(だと思うが)である。お墓のデザインも気持ちが伝わってくるのだが、この絵も当時の今井さんの甘ったるい慈愛なるものというより不偏なる愛というものを提起しているように感じられた。今井兼次のデザインは、いまの建築家が饒舌気味に話す「パクり」という安易な形態模倣操作ではない「読解」が、当然に基本となる。それをガウディやシュタイナー、エストベリーの「パクり」や「模倣」と感じ入るひとがいれば、それは寧ろ正常ないまの建築家なのであろう。そういった教会の作品(図面やスケッチ、模型など)を見ていて、とてもこれだけのものに勢力を傾けて建築するひとや作品が、果たして生まれるだろうか・・・と只唯呆気にとらわれるばかりであった。わたくしも情けなくなるのだが、時代の趨勢は、今月号の「建築雑誌」が特集で取り上げているような「建築界に明日はあるか」であろう。だから一般の方も含めて、改めて「建築は実用品であればよい」ではなく「建築はやはり芸術(真意を備えた)であらねばならない」と・・・また、「巧みなる建築」ではなく「アルチザンとしての建築」が唯一近代建築が生き延びる行為であると、示した今井兼次の作品や言説を単にノスタルジーとして受容してはならないと・・・・思う次第である。

  37. 伊神誠治on 16 12 月 2009 at 10:28 PM

    「狷介孤高な建築評論家・宮内嘉久の死」

    突然の訃報で驚くばかりです。
    13日午前8時、脳硬塞のため建築評論家・宮内嘉久さんが逝くなった、享年83歳。確か最後にお目にかかったのは生誕100年の前川國男展のプレ.シンポジウムの席であり、林昌二さんのレクチャーの時だったと思う。平良敬一氏も来ていて濃い前川國男論が聞けるのではと思い参加したと記憶している。宮内さんの書籍(「廃虚から」「少数派建築論」「建築ジャーナリズム無頼」「建築・都市論異見」「一建築家の信条」「前川國男 敗軍の将」など)は大凡は読んでいるが、わたしには、御自身で出版社を立ち上げて建築ジャーナリズムに撃って出たという(前川國男ではないが)ジャーナリズム界の闘将というイメージが強い。とくに戦後の新建築及び国際建築から「建築年鑑」そして同人誌「風声」「燎(かがりび)」に至るまで、彼が携わったものには独自のイデオロギッシュな建築批評が展開されていて新鮮であり、且つ妥協はなかったといえよう。就中、あまりにも前川イズム論を羨望したあまり若手の建築家から固陋な存在でありもしたが、わたしには逆にブレを許さない厳しい批評家であり、既に故人であられる浜口隆一、神代雄一郎、藤井正一郎、小能林宏城、宮内康に、御存命であられる川添登といった建築評論家とは一線を画したひとであったように思える。最後に編集に携わった前川國男を中心とした同人誌「風声」の出版意義を綴った文で終わろうと思うが、この言葉がいまの建築家にどれほど享受され得るのだろう・・・か。御冥福をお祈りしまして、合掌。

    「それは時代の流れに流されつつ、また、高度成長の波の中で、この国のかつては美しかった街のたたずまいを無惨にも醜いものとしてしまった責めを負いつつ、しかし、なんとか抵抗と歯止めと批判との拠点を築けないものか、そして都市と建築との問題を、広く市民の間にさらす場をつくれないものか、との志向から編まれた。」−1999.8.28「内的風景」序文より

  38. 伊神誠治on 17 12 月 2009 at 10:03 AM

    「タイガーウッズの欲と奢りの果てに」

    スポーツ界(ゴルフ)では、いまタイガーウッズが・・・世界のメディア(ゴシップ騒ぎ)を席巻し、そして科学界(脳)では茂木健一郎・・・少し前に遡ると、芸能界(歌手、俳優)では草薙剛(SMAP)や酒井法子(ノリピー)。皆、品行方正(ひんこうほうせい)な人柄で無欲潔白なイメージで好感度を獲得してきたスターだった。彼らには力がありながら何故だか、頂点に達したと同時にその名声と自己のイメージに馴化してしまい、大なる奢りが露呈してしまったのだろうか・・・???。強いて言えばプロとしてのモラルの欠除であり、ジャーナリズムや各界の魔の手に阿くあまりに自己を見失ってしまったといえよう・・・不倫騒動、脱税、全裸淫行、大麻などなど・・・ほんとうに全くもって残念でならない。しかし、このことは指導者(教育、政治、宗教、法律、技術、文化)たるあらゆる職種のひとにもいえることであり、ひとごととはとても思えないぐらい闇の世界(公にされない)に巣食っている出来事なのであり・・・昨今ではごく自然で身近かな存在だといえよう。芝刈り(ゴルフ)になんら興味を持たないわたしにとっては、「賞金何とか王」とかいってスポーツとして認知されていることすら懐疑的だと思っていたところ・・・の飛んだタイガー騒動でした。やれやれ!

  39. 伊神誠治on 19 12 月 2009 at 9:58 AM

    「伊東豊雄夫人の死に憶いて」

    あまり伝えたくはないことなんですが、建築家の伊東豊雄さんの奥さん(番組制作局長を経てNHK理事を、女性では初歴任)が卵巣がんのため、17日に逝かれたという記事を目にしました。66歳だそうです。思えば学生時代(船ゼミ)に今は無き中野本町の家(ホワイトU)と工事中のシルバーハットを二度ほど見学させていただいた折に、確かお目にかかったような・・・そんな記憶があります。確か、娘さんと一緒にSD、新建築で特集された際に第二自邸となったシルバーハットで登場されていましたね! あまりにも若き奥さんの悼ましい出来事に・・・過ぎ往く時のはやさを身にしみて感じるこの頃です・・・と同時に永遠の生命を維持し続ける「太陽」に感謝感謝であります、合掌。

  40. 伊神誠治on 21 12 月 2009 at 10:46 PM

    「2009年IGM通信・情報を顧みて」

    本年もあと残すところ僅かとなりました。吾がIGM通信(わたし個人以外のもの)で取り上げてきた情報を憶い出すなかで2009年を回顧してみました。メディアでも取り上げられる「今年逝かれたひと」・・・ということでいえば、わた
    しはマイケル・ジャクソンとクロード・レヴィ=ストロース、忌野清志郎でしょうか。おおっと・・・・・忘れていました、最後に、宮内嘉久ですね!もうひとつ最後に、「吉田鉄郎設計の東京中央郵便局」ですなあ!
    そして本年紹介した展覧会で印象に残ったものと・・・いえば、
    「上野伊三郎+リチ コレクション」
    「日本の表現主義−躍動する魂のきらめき」
    「純粋なる形象−ディーター・ラムスの時代」
    「建築家坂倉準三」
    「野島康三−肖像の核心」
    「生誕100年 小野忠重−昭和の自画像」
    「村山槐多−ガランスの悦楽」
    「冷泉家−王朝の和歌守」
    「小村雪岱とその時代」
    「建築家 今井兼次の世界」
    と実に多かった。当たり年でした、学芸員さんの苦労が偲ばれます。講演、シンポジウムなどへの参加で印象に残ったものは・・・というと
    「緊急シンポジウム 東京・大阪中央郵便局の文化財的価値:シンポジウム」
    「北欧最後の巨匠・スヴェレ・フェーンを語る:シンポジウム」
    「坂倉準三の<位置>を考える:シンポジウム」
    「可喜庵−デザインサーベイとしての昭和建築家/蔵田周忠−民家と乾式工法、広瀬鎌二−SHシリーズ:矢野和之」
    「近代建築史の最先端 近代(日本)×近代(西洋)−「機能主義」再読の可能性
    (建築学会):シンポジウム」
    「情念の幾何学−アビ・ヴァールブルク「ムネモシュネ」の解読:田中純」
    「余白の建築:藤井博己」
    だったかな。見学では
    山口さんの紹介による「東京文化会館」、「森五商店」「国際文化会館」「「栃木県立美術館」「慶松幼稚園、つるかわ保育園」「野田市郷土博物館」「笠間邸」「新・根津美術館」「今井兼次自邸」「町田市立博物館」というぐらいでした。最近はわたしを刺激してくれるような建築は、あまりないようです。そして、書籍で気になったものは
    「都市計画家石川榮耀−都市探求の軌跡/中島直人他共著/鹿島出版会」
    「シャルロット・ぺリアン自伝/シャルロット・ぺリアン著/みすず書房」
    「ラファエロとジュリオ・ロマーノ/上村清雄著/ありな書房」
    「政治の美学/田中純著/東京大学出版会」
    「極薄の閾のうえに/磯崎新著/新潮社「新潮」」
    「ライト−仮面の生涯/ブレンダン・ギル著/学芸出版社」
    「神とは何ぞや/角南隆著/パレードブックス」
    「言葉と建築−語彙体系としてのモダニズム/エイドリアン・フォーティ著/鹿島出版会」
    「立原道造全集第四巻/立原道造著/筑摩書房」
    「表現者・堀口捨己−綜合芸術の探求−/藤岡洋保著/中央公論美術出版」
    「今井兼次 建築創作論/今井兼次著/鹿島出版会」
    「後藤慶二氏遺稿(復刻)/ゆまに書房」
    「分離派建築会の宣言と作品全三巻(復刻)/ゆまに書房」
    「小さき室内美術/木のめ舎家具作品集(復刻)/ゆまに書房」
    「インターナショナル建築(復刻)/国書刊行会」
    「Ivan Leonidov 1902-1959/Electaarhitettura」
    古書としては
    「長谷川輝雄氏遺稿/長谷川輝雄著二見秀雄編」
    「これからの室内装飾/森谷延雄著」
    「今井兼次作品集−旅路」
    「前川國男作品集−建築の方法」
    「建築記録/中央電信局」「郵政省の建築」
    「20世紀日本美術再見全三巻(図録)」
    「「工芸時代」−森谷延雄追悼号」
    「齋藤佳三展図録」
    「ブブノワさんというひと」
    「「建築」 特集 RIA 1953-1962」
    でした。

  41. 伊神誠治on 27 12 月 2009 at 10:56 AM

    「戯言を弄する日本のオピニオンリーダーたち」

    流行とは何か?「はやり」であろうが、辞書には一時的なものという言葉が付加されている。これを食いものにしてメディアは半ば強引にまでして流行なるものを丁稚あげ、普遍的なものとして一般大衆を欺いてきた、またそれを利とするものは、其の本意如何に関わらず是としてそれを煽ってきたといえよう。勿論、すべてではないにしてもその頽廃的なる行為を文化人と自負するものはニヒリスティックな物言いに転換し楽観視する。翻って、そこまで問わなくても・・・ということを数多のひとから投げかけられる。所謂、「はやり」というものは人と人を繋ぐ「形式」的なるものであって、「本意」は受取る側に委ねるという、会話論である。こんな難い調子では言いたくはないが、いまの人と人との会話には「本意」的なるもの、いわば自己の流行語ではなく相手に伝えるという自己(自分の考えていること)の説明が不足している。・・・もしもそれが空虚ならば、それは、ある種、誰それの「受売り」的なもの、乃至は「繪すら事」を仄めかしているに過ぎないといえよう。「受売り」を大事にして知識(教養といっているひともいる)を吸収させるのは良いのだが、いまのオピニオンリーダーたる人達(政治、文学、音楽、芸術などなど)には、残念ながら「流行」には呆れかえるほど敏感であるのだが、いざ自己を問うとされたならば「本意」が何なのかが見えない、というか見せない・・・所謂責任逃れである。だから日本のオピニオンなるものの評価も散々である。映画も音楽も論文も文学も政治も・・・云々、殆どが海外評価の後を受けての日本メディア評価であり、うんざりである。・・・それが日本のオピニオンたちの現況ではなかろうか・・・クリエーター以上にオピニオンリーダーたち、況してやそれに感化される側も、自己表現をすること、翻せば責任を自己に背負うということ、皆、多芸多趣味なる教養のお仕着せで終らぬようにしてもらいたいものである。

  42. 伊神誠治on 27 12 月 2009 at 10:57 AM

    「Twitt er(ツウィッター)というツール」

    いま、Twitter(ツウィッター)という言葉をよく耳にする。簡単に言うと「ネット上での会話ツール」らしい。既にオバマや鳩山といった政治家もこれを使用してネクストヴィジョンの糧を得ようとしているとのことで、全くの見ず知らずの他者から貴重な情報源やら参考意見を聞いてバトルしているらしい。そんなんで、これを積極的にビジネスにしようと企てている業界が動き出したのだ。畢竟するに、コミュニケーションツールの垣根が取り払われ、拡げられることのビジネスチャンスらしい。・・・でも、わたしは日本人のビジネスには向かないだろうと思う。それは会話を真正直に受容してしまうか、真意を伝えるべき勝負所に堅く、勘所が自然体ではないからである。それを不座げた口調で話せればよいというものではないので、当然2ch掲示板に登場するもの(一方的なものだから)には他者との会話は無理であろう。就中、このIGM通信を受取って読んでいただいている方もそうなのだが、多くの日本人には、このTwitterを使いこなせるひとは残念ながら少数であろうと思いたくなる、いくら他者のブログやサイトを覗き込んで自己の満足度を得ていてネット通であると憤っても、いま話題のネット業界が売り込む「Twitter」を・・・果たして引き蘢りを謳歌する日本のネッター(ネットを使いこなしているひとたち)はどう受容するのだろうか、さして大きなビジネスチャンス(受容しなければ)にはならないと思うが、寧ろこれを自然体で使いこなせない日本人の消極姿勢の方が、やはり問題であろう。

  43. 伊神誠治on 28 12 月 2009 at 3:48 PM

    「小村雪岱 逍遥」

    今年中に行かなきゃと思っていて、なかなか予定がつかなくて、とうとう本年最終日の24日に埼玉県立近代美術館を訪れる羽目になってしまった。勿論、小村雪岱(ロマン派小説家・泉鏡花の命名)の木版ではなく原画(絹地に彩色)を見ること、そして雪岱が装幀した泉鏡花著の『日本橋』初版本その他を・・・また邦枝・小村の「おせん」挿絵原画を・・・・・・。はじめて見たのだが、案の定わたしを惹き付けて已まない繪であった。師匠の鏑木清方や竹久夢二といった巨匠に値する絵師の作品も見事ではあるのだが、小村雪岱には彼らにはないモダンで粋なおんなが描かれている・・・と有り体な評ではあるが、鏑木や夢二の描く美しく、可愛く、といったセンチな女性イメージとは離反していると感じる。とくに彼ら(鏑木、竹久)は主人公である女性の描写の具合を中心に描いているためか背景の描写は雑である(に見える)・・・というか「間(ま)」や「気(き)」が存在しない。雪岱の繪には人のいない気配を描いた「青柳」「落葉」「雪の朝」といったアンフラマンス(デュシャンの造語で、可視的なものの背後にある、ほとんど不可視な部分の表象)な感覚が存在する、あくまで前にあった出来事の余韻を残した侭に表象を描ききっている。・・・実に優れている。また、構図も色彩も表情も背後の描写も抜群である。洋画のような美しく形式的なる構図ではなく、粋な構図といったらよいのであろうか・・・。九鬼周造の『いきの構造』という哲学書では、「いき」ということを直截な形象的価値ではなく生きる糧のなかで紡がれる二元(上品−下品といったような感覚)的な態度から生まれ得るものとしている。つまりは、繪(図または実)にあるのではなく、その裏側に存在するもの(地または虚)が「いき」や「間」といった現象を補填しているということである。ところで、繪に登場する「おせん」という女性は誰に似ているのだろうか・・・と考えたのだが、いまの例えば女優には存在しないのは一目瞭然であり、たとえ整形したところで「おせん」のアウラを醸し出すまでには及ばないのであろう。それだけに小村雪岱は自身の著書『日本橋檜物町』(平凡社ライブラリー)でも述懐しているのだが、おんなのしぐさや表情をいろいろな場で見つけることに執念を燃やし、近視眼的なまでにその描写(発見)に明け暮れていたそうで、そんな「粋」なおんな、言わば「生ける」おんなの美しさが見てとれよう。そして今回は舞台装置のデッサンも展示されており、プロセニアムカットの構成(トリーミング)が雪岱の「間」の描写を倍加していて感心されよう。因に少し前(10月から12月20日まで)までは、あの谷口吉生の設計した掛川の資生堂アートハウスでも、小村雪岱の展覧会があったとかで・・・また芸術新潮の2月号の特集が、この「小村雪岱」だそうで、こちらも楽しみである。

  44. 伊神誠治on 28 12 月 2009 at 3:51 PM

    「建築のエディターと書肆の哲学」

    書店のことを、古書業界ではとくに「書肆(しょし)」という。辞書では「品物を並べた店」とある。その並べられかた、言わば本を購入しに来るひとたちへの見せ方(プレゼンテーション)とでもいえようか。新刊書店も古書店も千差万別であるが、最近は非常に工夫(ギャラリーを併設したりレクチャーを開催したり・・・と)のあとがどのお店(建築専門で言えば、南洋堂やGAなど)にも見られ、ついそれに同情して買ってしまうこともある。このように書店側の努力は感心するのだが、出版社側の努力となると(大衆側からすると)あまり伺われない・・・というか本の内容(ただ単に売れるということではなく)といい、構造(いわゆる装幀)といい、目利き(いわゆる人選)といい、・・・ポリシー(理念)の軽薄さといい、とくに老舗の出版社には暖簾(歴史)の重さを感じてしまうためなのか痛恨の極みを感じてしまう。・・・ということでとくに昔から名高い建築専門の出版社に就いて紐解いてみよう。今は存在しないが「洪洋社」「城南書院」「国際建築協会」などは、高梨由太郎、中村勝哉、小山正和(建築学会賞を受賞している)という際物の店主(発行人)が存在し建築家と渡り合って優れた本を出版していた。いま残っている「新建築社」「彰国社」「相模書房」「井上書院」「鹿島研究所出版会(旧)」にも戦前戦後を通して吉岡安五郎(建築学会賞授与)、下出源七(建築学会賞授与)、小林美一、井上ハツエ、河相全次郎といった職人肌の創業者が腕を奮ってなんとか今日まで継承してきている。戦後経済成長とともに発行人は単なる社長(経営者)と化して、編集企画が独立して個人に任される時代が到来する。御存じの建築評論家の卵たちもここから巣立っていき、建築評論家として食えるまでになったといえよう。新建築の川添登、宮内嘉久、平良敬一などはその際たるひととなった。そして鹿島出版会では中村敏男が翻訳から著述家として大成したし、こういった出版社の専属カメラマンとして新建築の平山忠治、彰国社の村沢文雄なども出版社を通して活躍した写真家であった。こういった建築書肆史にまで踏み込んだ大学の研究者はいないようであるが、建築出版社仲間の間では酒の席などで語りつがれてきているのだろう。それに反して、いま不況の煽りを受けて出版社は、ひたすら経営重視路線(売れる本に特化)を突き進むしかないのが現状である・・・老舗の出版社と言えども、書肆(経営学ではなく思想として)の理念を放擲(ほうてき)するようであれば、看板は徐々にではあるが褪せてゆくのであろうし、昔のような目利き(建築的センス)をもって建築業界を横断するエディターは生まれ得ないといえよう。

  45. 伊神誠治on 28 12 月 2009 at 3:54 PM

    「ロメオ・カステルッチの「神曲 地獄篇・煉獄 篇・天国篇」」

    年末に世田谷パブリックシアターで上演されたカステルッチの「神曲 地獄篇・煉獄篇・天国篇」の舞台はダンテの古典的詩編を現代調に表現したもので、ローマの詩人ウェルギウスをポップアートの旗手、ウォーホルにメタモルフォーシスし、全編壁画風に視覚化した演出は空間的イルージョンを内包した希有な舞台となっていて感心させられる。最後の天国篇では漆黒の空間に立って高みを凝視すると、かすかに人の姿が見え、「天国の幻影」が浮かび上がる仕掛けである。近頃の3Dやアニメーション画像の高度な技術で見せる仕掛けが若い人達の琴線に触れるのだろうが、人間そのものによる表現、まさしく身体的表現の深みを知った舞台であった。

  46. 重源on 13 3 月 2010 at 11:52 AM

    「ロメオ・カステルッチの「神曲 地獄篇・煉獄 篇・天国篇」」ですが、昨日、教育テレビで放映されていましたね!
    PS
    管理者様からのコメントもないし、画像が貼れないので「My Favorite Architecture BBS」の掲示板に移行します。

  47. 重源on 10 7 月 2010 at 10:54 AM

    *000/今後はつぶやきメッセージを送ります!
    *001/建築雑誌7月号の特集、建築写真小史は面白い視点の企画で見事!さすが、中谷だ!

  48. 重源on 10 7 月 2010 at 11:12 AM

    *002/マックのボブ・ウェルチって面白い

  49. 重源on 10 7 月 2010 at 9:48 PM

    *003/森田茂介と早川文夫の書簡集の存在を知らなかった、彼らのの戦前戦後の活動や緒言はかなり重要とみている。
    *004/建築雑誌の特集、建築写真小史には吉村行雄氏は挙げられてはいない。やはり『THE、建築写真」だからなのであろうか、ホンマタカシののような何気ない日常とか鈴木理策のようなぼやけた詩情を揺さぶる写真にどこが建築写真に迫りくるものを感じれるのだろうか?一種のカラリダネでしかない!でも、畠山には感じるものがある!
    *005/世の指導者たち、まあ尊敬されるべきものたちのは、倫理の点ですでにデッドラインを突破している、それは「装う」ことの立ち振る舞いでしかないからである。だから恵まれている二世の輩たちには未来を託すものは何もないだろう!それにしがみつくのはそれを利しているものたちだけで世論は生温い湯のなかで時代はただただ過ぎ去るだけで・・・何も変わらないのが指導者の思う壷なのであろう!

  50. 重源on 11 7 月 2010 at 11:54 AM

    *006/中央公論社から出版された『ウィトゲンシュタイン家の人びと』は面白そうだ!なにせ奇抜な家系だからねえ!
    *007/日本の選挙の行方の中庸な感覚、自民党がいやなら民主党、それもいやならどこの党なのか?ないないずくしで良い大臣が国民から、強いてはメディアから生まれるはずがないだろ?
    *008/大相撲中継やってくれないかなあ、NHKさん。決して反対者の比率が多い理由ではないぞや、そうじゃなければ、どんな理由があるというのか、それを説明してくれないとなあ
    *009/GAギャラリーの展覧会もくそまじめに、よくもあんな企画を続けていられるなあ・・・と感じるが、このご時世で儲かってんだろうなあ、GAって。

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