12 月 05 2008

喪われた都市 forgone days

Published by 遠州

私は東京に生まれ、東京の恩恵のもとに育ち、東京という都市のおかげで生計を立て日々を暮らしている。だから東京に人一倍愛着があり、この巨大都市の変遷や行く末に憂いと深い関心を持っています。ここでは江戸から帝都東京そして現代の混沌とした東京へ変貌してきた歴史を辿り、その記憶を刻印していきたいと思う。
周知のように、東京の街の骨格は江戸時代につくられた。その骨格は家康の江戸入府(1590)以降、幕府の政治経済的中心地として発展した中で形成されてきたものである。明治2年(1869)、明治天皇が京から江戸に移って遷都し、江戸が東の京,「東京」と改称されて帝都となった。以来、大正12年(1923)9月の関東大震災・昭和20年3月の東京大空襲・昭和39年(1964)の東京オリンピックによる都市改造・1980年代後半~90年代初めのバブル経済期の再開発ラッシュと天変地異や戦災、国家的イベント、経済活動などで東京の風景は幾度も破壊されて変貌を重ね、江戸・明治・大正・昭和初期の遺産の多くが喪われてしまった。これは喪失したもの(街並みや建築)を求めて東京を彷徨い歩く日々の記録でもある。

I live in the making date in the sustenance thanks to the city of which I am born in Tokyo, grow up under the beneficence in Tokyo and it call Tokyo. Therefore, there is devotion in Tokyo and it has fear and a deep interest in the change of these megalopolises and the future. Imperial capital Tokyo and then, the individual thinks that it wants to do the memory in the carved seal, tracing the history which was transformed into confused Tokyo in today from Edo.

To be well-known, the build of the town in Tokyo was made in the Edo period. The build was formed in being developed as Shogunate’s center having to do with politicses and economicses since Ieyasu’s Edo entry (1590). 1869 (1869), the Emperor Meiji moved in Edo from Kyoto and transferred, and it was changed and Edo became an imperial capital, saying Kyoto, ” Tokyo ” in the east. The town improvement by the Tokyo Olympic Games in since then the great Tokyo air raid in Great Kanto Earthquake in September of 1923 (1923) and in March, 1945 and in 1964 (1964) and the scenery of Tokyo was many times destroyed and repeated transformation by the extraordinary natural occurence and the war damage, the state event, the economic activity and so on with redevelopment Rush in the bubble economy period of the beginning of the 90s of the second half of the 1980s and most of the inheritances in the early stages of Edo, Meiji, Taishou and Shouwa had been lost. This is the record of the date to walk by wandering Tokyo, seeking lost one ( the rows of stores and houses on a street and the architecture ).

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6 Responses to “喪われた都市 forgone days”

  1. 重源on 08 12 月 2008 at 5:41 PM

    遠州様

    かなり大きなテーマ「喪失したもの(街並みや建築)を求めて東京を彷徨い歩く日々の記録でもある。」を掲げられたようだが、そんな東京に愛着がある遠州殿は、日本橋を手始めとされたのだが、雑多な箇所を記憶刻印される前に、この都市のどこに、またはどのような構造に興味を持たれているのか・・・ただ単なる歴史探検や街並めぐりの報告(本の解説を描写するのではなく)にならぬためにも是非ともお聞きしたいと思います。

  2. 遠州on 20 12 月 2008 at 3:55 AM

    400余年前、草と湿地が広がる茫漠たる武蔵野の原野にすぎなかった江戸に家康が入国(1590)して本拠地を構えてから江戸・東京の都市建設の歴史が始まりました。そして21世紀初頭の現在も、東京の終わりなき改造(都市建設)は続いているが、江戸期の城下町建設や明治の東京の西欧諸国に追いつくための近代都市化や震災・戦災からの復興、東京オリンピックをにらんでのインフラ整備などのような国家的な計画が喪われ、短期の経済的利益と利便性のみが求められた開発が目立ち、あるべき東京の将来像というものが描かれていないように思われます。東京という都市の基礎構造は江戸期に形成され、道路網などの骨格はほぼ変わらない上に今の東京が成立しているという。江戸期の都市建設の過程で改造を加えられた地形や街割りは現在では高層ビルの群れに取り囲まれて意識されにくいが、丹念に見ていくと山の手の起伏に富んだ丘や谷、下町の集合したグリッドパターンなど江戸以来の変わらぬ痕跡や構成が散見され、現代都市に残された隙間のようなものに興味と魅力を感じています。「喪われた都市」では、東京の忘れ去られた日々の記憶(建築や街の表情や地形など)を今に見い出しまた推測して、この都市の将来像を探っていこうと思います。

  3. 重源on 15 1 月 2009 at 10:49 PM

    『写真・東京の今昔/野沢寛編木村荘五、野田宇太郎監修/再建社/1955』からは新旧交えての写真が特徴ですが、過去の喪われた街から何をわたしたちは学べるのであろうか?いま、街をつくっている建築業界の指導者たちは将来のビジョンへの責任にどう向き合おうとしているのか癒着の温床しか感じられないのは究めて悲しいことである。遠州さんはどう思われますか。

  4. 遠州on 18 1 月 2009 at 9:22 PM

    「写真・東京の今昔」 東京が明治・大正・昭和という時代の変遷とともに近代都市に変貌を遂げる過程で、
    喪われてしまった街の風景や西洋建築、近代建築等など、東京の記憶が満載されていて見ごたえがありました。

    東京の都市・街づくりについては、建設業界というスケールではなく、国家的なレベルで東京の将来像を考え構想し、そのビジョンを広く国民に説明して、コンセンサスをはかってから政策化していかなければいけないのではないか。喪われた過去の記憶から、この都市の将来像を探っていければと思います。

  5. 伊神on 03 2 月 2009 at 10:20 PM

    遠州様

    最近は、東京(山手内区)の言わずと知れた場所に興味があります。神楽坂、高輪、雑司ヶ谷、広尾、牛込といったところを是非とも散策してみたいと思っています。これらに共通する点は何だと思われますか?

  6. 遠州on 18 2 月 2009 at 9:31 AM

    神楽坂や牛込、雑司が谷は東京の西北、武蔵野台地東端の高台に広がる、所謂「山の手」(戦前までの山の手・下町の区分けから)地区の町です。特に牛込は江戸幕府初期に掘られた外濠沿いに位置し、江戸城防衛の為に「見附」(見張所)という城門が架構された軍事拠点であったようです。また江戸城から放射状に伸びる五街道の一つ上州道の「見附」であり、交通の要衝でした。この牛込見附から肴町(現神楽坂五丁目)に到る坂路が花街 神楽坂ですね。池袋と目白の谷間に位置する雑司が谷は、かつて都内を縦横に走っていた都電の生き残り荒川線や昭和が健在な商店街や町並み、樹齢400年に及ぶ欅並木に囲まれた参道に続く鬼子母神など、庶民性と神秘性が同居した場所性に魅せられ何度か散策したことがあります。高輪は赤穂四十七士の眠る泉岳寺、広尾は天現寺と寺の多い町で、高輪から白金を経て広尾に到る経路には坂や庭園美術館、博物館などがあり、いい散策コースです。

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