5 月 06 2009
イタリー大使館日光別邸 Italian Embassy Nikko Villa
敷地:栃木県日光市中宮祠2482
竣工:昭和3年(1928)
設計者:アントニン・レーモンド
Location:Chuguuji,Nikko City,Tochigi Prefecture
Establishment:1928
Architect:Antonin Raymond
「国際避暑地、奥日光中善寺湖畔に佇む木造モダニズム」
Ⅰ.イタリー大使館日光別邸の歴史
明治期から国際避暑地として名高い奥日光、中禅寺湖畔の東岸にイタリー大使館日光別邸はある。周辺はブナを中心とした森林に囲まれて水量豊かな湖水と対岸の山並みの眺望が満喫出来、この地に明治の中頃から昭和にかけて各国大使館の別荘が建てられたということが頷けるような素晴らしい環境です。大正末には、湖畔沿いに英国、仏蘭西、ベルギーなど40ヶ国に及ぶ大使館の別荘があったという。そんな絶好のロケーションにイタリー大使館の別荘が建てられたのは昭和3年(1928)のことで、設計者は大正期から日本で活動していた外国人建築家のアントニン・レーモンド(1888~1976)でした。別荘は昭和3年(1928)の建設から69年の長きに渡り、歴代の大使とその家族に慈しまれて使われてきましたが、老朽化が進んだためと維持管理の費用が賄えなくなったことで平成9年(1997)にイタリア政府から栃木県に売却される。栃木県は国際避暑地、日光の歴史を伝える貴重な拠点として老朽化した別荘を復元し、平成12年(2000)から一般公開しています。
Ⅱ.日本の「近代建築」の先駆者 アントニン・レーモンド
レーモンド(後列中央)と所員達
レーモンドは大正8年(1919)の大晦日、「帝国ホテル」建設のためにアメリカの巨匠建築家フランク・ロイド・ライトとともに設計スタッフとして来日し、帝国ホテルの設計に従事していたが、大正10年(1921)にライトの許から独立し、東京に事務所を構え日本で建築家としてのキャリアをスタートさせています。爾来、レーモンドは第二次大戦中を除き、戦前(1919~38)から戦後(1948~73)にかけて44年の歳月を日本で過し、日本の建築家として400件余りの作品を遺すことになる。日本の外国人建築家として歩み始めたレーモンドは、師であった巨匠ライトの影響から脱すことが出来ず、独立当初はライト調の建築をつくっていた。しかし自由な平面と立体的な空間構成をコンクリート打放しで表現した自邸(霊南坂の自邸1924)を契機にライトの呪縛から離れ、次第にモダニズム建築のスタイルを確立していく。レーモンドは日本に住んで神社や民家など日本の伝統建築に触れることで、そのなかに近代建築の原理を見出し、それを追求し思いのまま表現することで、日本の近代建築の創始していった。イタリー大使館日光別邸は、レーモンドがコンクリート構造のみならず日本建築から学んだ木造技術を駆使して和洋融合のモダニズムを表現した住宅・別荘建築の一つである。
Ⅲ.地元日光の杉皮で包まれた別荘建築
男体山や白根山など栃木の名峰に囲まれ、静かに水を湛えた美しい中善寺湖を右に見ながら、日光市道1059号線と湖畔の間に設けられた遊歩道を歩いていくと、まず英国大使館の別荘が湖畔に向かっている優雅な姿が見えてきます。カーブを描いた湖畔に桟橋が突き出た光景はここが海外にも知られた避暑地であったことを鮮やかにイメージさせてくれる。更に歩を進めると、ブナの森のが広がる中、小さな橋の向こうのに開けた公園が見え、湖畔に向かって立つ木造二階建ての旧イタリー大使館日光別邸の姿が現われました。
別荘南西側外観
階段を降りて中に到ると、真っ先に湖に反射した春の光が北側のガラス戸から射し込んでいる光景が眼に飛び込んできました。北側の湖に向かって東西に長い居間・食堂・書斎が一続きとなった一室空間は奥行き三間(5.4m)、長さ9.5間(17.1m)で、湖側に幅一間半(2.7m)の広縁(欧米風のカバートポーチ)が全面に展開し、開放感と適度な広さが心地よい。この別荘の際立った特徴は杉の皮を竹の竿縁で押さえた意匠で徹底的に統一されたインテリアで、野趣溢れる杉皮のテクスチャーは奥日光の雄大な自然環境と別荘の融和性を高め、心に響くものがある。居間の天井を見上げると、杉皮と竹の竿縁のパターンが織り成す幾何学的な亀甲模様が美しい。全体に天井・壁とも矢羽や石畳など網代に編まれた杉皮に竹の竿縁押さえという日本の草庵茶室の室内意匠が巧みに取り入れられている。こうした伝統的な意匠を用いながら幾何学的な表現をしているインテリアから、日本の伝統に通じた外国人建築家レーモンドの美学が感じられる。
食堂から居間・書斎を臨む 広縁内観
広縁内観 食堂内観
中禅寺湖の美しい風景を堪能すべく北面の長辺一杯に付けられた下屋の広縁に置かれた籐椅子に座って静かに眼を開く。眼前に広がる静かな湖面と遠く対岸に聳える山並み、小春日和の青い空をじっと眺めていると、自然と心が癒され気分は最高!眼下には湖畔の石浜にかつてヨットやボートが湖面を滑るように繰り出した避暑ライフを彷彿とさせるようなプラベートな桟橋が一直線に湖に伸びていて美しい。一階は居間・食堂・書斎などのパブリックなワンルーム空間に客室(現休憩室)や厨房に浴室などが附属し、居間中央の四本の柱が支える二階はプライベートな空間で大使とその家族の部屋だった四つの寝室があり、それぞれの部屋の格子ガラス窓から湖の雄大な眺望が満喫出来る。
階段室内観 大使夫妻寝室内観
別荘内部の見学を終え玄関から再び森に出る。南から別荘東側に回り込みながら北側の湖畔に出ると、そこには先ほど別荘の広縁から眺めた石浜に桟橋が伸び湖面に突き出ている印象的な風景が広がっていました。桟橋の先端に立ち、北東の対岸に聳える男体山の雄姿を眺めつつ静かな漣が立つ湖面に視線を移して、ぐるりと南の高台に立つ別荘を臨むと、真っ直ぐ延びた桟橋の向こうに杉皮と色つきの柿板が模様張りされ、格子のガラス戸と鮮やかな市松模様と縞模様で構成された北面ファサードが印象的です。この市松模様のパターンは別荘の外壁に繰り返し使用されているのだが、このデザインソースは恐らく京都にある宮家の別荘、桂離宮の茶屋・松琴亭の襖や床の間に張られた加賀奉書の白と青の市松文様からきているのであろう。日本の伝統建築に精通したレーモンドが松琴亭の市松文様がその鮮やかな色彩と大柄な模様で部屋の趣を統べていることに習い、同じパターンを導入して外観の統一を図ったように思える。
北東側外観 湖畔の桟橋
桟橋から北側外観を臨む 西側外観
Ⅳ.まとめ レーモンドの日本建築への眼差し
アントニン・レーモンドは著書で*1「私は現代(近代)建築を創始した建築家の一人である。けれども私自身、自分が本当に現代(近代)建築の先頭を歩んでいることを知らなかった。私は、日本の建築から教えられ、啓発されたところに従って、根本原則の実現に努めてきただけのことである。私に現代(近代)建築の原則を教えてくれたのは、日本の建築であった」と語り、アメリカから師のフランク・ロイド・ライトとともにやってきた日本で、モダニズムの求めていたものを発見し、そこに表現されたものこそ近代建築の原理であると見極めた。そして日本建築の特質について*2「このうえなく単純なもの、このうえなく自然なもの、このうえなく経済的なもの、このうえなく直截なもの」と悟ったレーモンドは、ライトの許から独立した後、コンクリート構造のモダニズム建築を手がける傍ら、日本の伝統的な木造技術を学んで、単純な構造と材料で都心や日光、軽井沢などの避暑地で木造住宅を連作する。イタリー大使館日光別邸(1928)は、そういう時期につくられた建築であり、外観・インテリアに草庵茶室や桂離宮という日本の伝統建築の意匠を取り入れて、和風数奇屋風な佇まいに西欧風な住まい方を両立させた和洋融合の木造住宅に仕立てることで、日本建築の特質をモダニズム建築に昇華させている。見学が終わり別荘のある公園を後にしながら、再び湖畔の桟橋方向を眺めると、かつて避暑に訪れた各国大使たちが繰るヨットが走り帆をはためかせていた湖面は西陽に輝き、今も往時と変わらぬ静かな漣を湛えていました。
・「私と日本建築」/アントニン・レーモンド著 三沢浩訳/鹿島出版会発行/1967
・「自伝アントニン・レーモンド」/アントニン・レーモンド著 三沢浩訳/鹿島出版会発行/1970
・「現代日本建築家全集1アントニン・レーモンド」/栗田勇監修/三一書房発行/1971
・「アントニン・レーモンドの建築」/三沢浩著/鹿島出版会発行/1998
・「A・レーモンドの住宅物語」/三沢浩著/建築思潮研究所発行/1999
抜粋
*1 レーモンド「私と日本建築」p180
*2 「現代日本建築家全集1 アントニン・レーモンド」p36












