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	<title>東京カテドラル聖マリア大聖堂 St.Mary&#8217;s Cathedral,Tokyo へのコメント</title>
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	<description>建築における「日本的なもの」　It places an architecture " The Ｎｉｐｐｏｎ one "</description>
	<pubDate>Fri, 30 Jul 2010 16:46:22 +0000</pubDate>
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		<title>遠州 より</title>
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		<dc:creator>遠州</dc:creator>
		<pubDate>Sat, 28 Feb 2009 08:32:17 +0000</pubDate>
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		<description>11年前の「東京カテドラル聖マリア大聖堂」訪問記、興味深く読ませて戴きました。この11年の間に、昭和の国家的建築家　丹下健三氏は永眠されてしまいましたが、氏が後世に遺してくれた数々の近代建築は、この聖堂を始め、いずれも強い社会的メッセージを発信しているように感じられます。ここに書かれているカテドラルの設計主旨の「現代人の心を動かし、精神の高まりを感じさせることを建築の近代技術の中に求めた」とは、近代のテクノロジーを駆使しながら、人の心を揺さぶり感動させるような「美しさ」を顕わすことを志向したと理解しました。それは、この聖堂内の上昇するような垂直的空間と天空の十字架スリットから降り注ぐ光が、祈りの場に相応しい神秘的な崇高さを顕わしていることで結実しているように思います。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>11年前の「東京カテドラル聖マリア大聖堂」訪問記、興味深く読ませて戴きました。この11年の間に、昭和の国家的建築家　丹下健三氏は永眠されてしまいましたが、氏が後世に遺してくれた数々の近代建築は、この聖堂を始め、いずれも強い社会的メッセージを発信しているように感じられます。ここに書かれているカテドラルの設計主旨の「現代人の心を動かし、精神の高まりを感じさせることを建築の近代技術の中に求めた」とは、近代のテクノロジーを駆使しながら、人の心を揺さぶり感動させるような「美しさ」を顕わすことを志向したと理解しました。それは、この聖堂内の上昇するような垂直的空間と天空の十字架スリットから降り注ぐ光が、祈りの場に相応しい神秘的な崇高さを顕わしていることで結実しているように思います。</p>
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		<title>伊神誠治 より</title>
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		<dc:creator>伊神誠治</dc:creator>
		<pubDate>Thu, 26 Feb 2009 02:17:30 +0000</pubDate>
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		<description>こんにちは、伊神です。
下記は平成10年4月4日に企画した第１回「東京カテドラル聖マリア大聖堂」の訪問記です。懐かしい憶いが甦るテクストでした。拙文ではありますが、御参考までに。

近代建築行脚の旅路　０１−東京カテドラル聖マリア大聖堂

『ストラクチャ−と光による幻想的空間』

近代建築行脚の旅路と称し、取り敢えず１２回を目標に１９６０年代前後に建てられた作品を中心としてその当時作家（建築家）が考えていた建築や都市に対する思想、また内側に秘められたデザイン性について触れて行きたいと思います。そして、間もなく訪れる２１世紀への建築がどのような役割を果たすべきか、今回取り上げてゆく日本の近代建築（特にメッセージ性の強い作品）を通して学ぶことができればと考えています。
□
２０世紀、日本において最も影響力のあった建築家と言えば少なくとも過半数の人は丹下健三と答えるでしょう、日本の高度経済成長期に都市計画を初めさまざまな作品を作り続け、今でも東京都庁舎など話題作の多い作家と言えます。そこで敢えて第１回として、非常に有名な「代々木国立屋内総合競技場」ではなく、形態以上に象徴性の高い空間の感じられる「東京カテドラル聖マリア大聖堂」を選択しました。東京カテドラル聖マリア大聖堂は、１９６２年（昭和３７年）に今井兼次、吉武泰水等が加わった審査員により設計競技が行われ丹下案が選ばれました。谷口吉郎や前川國男の案のような四角い箱型のデザインを凌駕するダイナミックなデザインは、当時では群を抜き国際的評価の高い作品であるとされています。また、丹下案の特徴は８枚のHPシェル（双曲放物面薄板構造）で構成されたユニークな造形手法で構造家の坪井善勝の多大な協力により実現され、後に代々木国立屋内総合競技場の大作を生む契機となりました。
□
４月初旬の最も桜の見ごろの季節、護国寺音羽通りを歩きながらマンションの隙間から晴れ上がった空に光り輝く大聖堂のシルバーメタリックな素直な屋根が視界に入り立ち止まった。目白台の起伏ある坂を登り詰めると、新築されたばかりの白く清楚な独協中学・高校の校舎（竹中工務店の設計で、当日赤坂氏（設計担当者）が竣工写真に立ち会っていた）を横目に、漸く目白通り沿いにある大聖堂の前にたどり着きました。入口正面に立ってみると、意外に建物の大きさが感じられなかったのが第一印象であった。今まで、坂を登りながら遠景として感じられた感覚（風景としての形態）とは、別種のものを感じる。これは、マサチューセッツ工科大学教授であったケヴィン・リンチの著書「都市のイメージ」で論じられている研究の成果がこの建築を通して実践されていると考えられる、都市的なスケールにおける視覚的形態と人間の意識構造（人々に見られ、記憶され、楽しまれること）を読み取った外観計画（構造的に成立可能な条件を備えた計画）を含めて、デザイン上優れている点でも私個人として大変評価していたし、あらためて実感させられました。向かって左側には、非常にシンボリックな鐘塔（高さ６２ｍでこれもシェル構造とのこと）が聳え、その西側正面階段を数段上がり室内へとアプローチします。管理事務所の受付からは斜め４５度の方向に祭壇が見えます。受付周辺は、殆ど自然光だけの薄暗い空間で、天井からのスリット光や床のレベルの変化を利用して大聖堂内（高さ４０ｍ）へと引込まれるように導かれます。聖堂内部に立ち止まり、ふと１９９２年の米国研修旅行で訪れたロサンゼルス郊外にあるフィリップ・ジョンソン設計の「ガラスの教会（1977年）」を思い出しました。天空をも引込む程の壮大な内部空間は圧巻であり、ポストモダンの全盛期を象徴する建築であったと思います。しかし、この教会はダイナミックな流動感（ブルータルなコンクリートの表現）、それに伴う視線の変化（シークエンス）、緊張感を生み出す十字形に切り込んだスリットによる光の取り入れ方、その他廊下や地下聖堂等へのガラスブロックによるトップライトなど、コンクリートのヴォリュ−ムから受ける構造的重量感と繊細な光の構成が巧みに生かされ、内部を幻想的で詩情豊かな空間として包み込んでいるように感じました。特に、トップライトの表現には、ル・コルビュジェの影響が見られますが、丹下健三が執筆した「ミケランジェロ頌」にはコルビュジェの生き方に深く肝銘した旨の内容が描かれていることからも考えられます。大聖堂２階に設置されたパイプオルガン（教会用としては日本一）から鳴り響く音色が、ストラクチャ−のコンクリートを通してガラスのスリットから天空に上昇していくようでした。丹下氏はこの教会を設計する前に広島平和記念カトリック聖堂の設計競技（1948年）に参加し惜しくも２等となり実現されませんでした（実施設計は村野藤吾となった）が、当時の設計主旨（下記）からこの教会への憶いも伝わってくるようです。

「現代の人間の心を動かし、精神のかたまりを感じさせることをわれわれは建築の近代技術のなかに求めたのである。」−『建築雑誌』昭和２３年８月より

□
丹下健三が「美しきもののみ機能的である」と宣言したいた時代（1955年）から半世紀が経過しようとしており、間もなく２１世紀を迎えようとしています。その間、日本の生活水準は大幅に向上し、皆安定した生活を送ることができるようになりました。（特に自民党の一党独裁の時代）そして、機能（機関または構造）が発達（情報化時代の速度、利便性の追求等）し、バブル時代を謳歌した人間の欲望（倫理感を逸脱した欲望）を満たしてきました。しかし、昨今絶対神話を翻す出来事が頻繁に起こり始めています。機能（政治、教育、宗教、経済等）の破綻。これは、機能が複雑化し、人間の能力では管理できないまでになってしまったことを示唆するのではないかと思われます。そして、浮かれたバブル期に直面したポストモダン時代の複雑化（プルーレアリズム）した思想が、人間のこころ（河合隼雄氏の『日本人の心のゆくえ』を参照）というものの大切さを疎外してきたのではないかと考えます。先程の丹下氏の言葉に込められた意味が、「単純（素朴）な機能にしか美しさは見い出せない」と言っているようで、今一度、デカルトの二元論（○×的な発想または金銭中心主義）的思考（唯物史観）を脱却すべきであり、オギュスタン・ベルグ氏のメディアンス（風土）やクリスチャン・ノルベク・シュルツ氏のゲニウス・ロキ（地霊）のような概念の実践こそが、これからの建築に求められると考えています。
□
次回は、米国ハーバード大学から帰国した槇文彦が豊田記念講堂（日本建築学会賞受賞）を経て本格的に事務所を開設し活動を始めた頃の作品『立正大学熊谷キャンパス校舎』です。槇氏がメタボリズムに参加していた時期にアーバンデザイン、所謂「群造形理論」「集合体理論」といった概念を作品として実践した代表作で、建築と都市それにコミュニティの問題を改めて考え直すには良い機会と思われます。

１９９８年　卯月　伊神誠治</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>こんにちは、伊神です。<br />
下記は平成10年4月4日に企画した第１回「東京カテドラル聖マリア大聖堂」の訪問記です。懐かしい憶いが甦るテクストでした。拙文ではありますが、御参考までに。</p>
<p>近代建築行脚の旅路　０１−東京カテドラル聖マリア大聖堂</p>
<p>『ストラクチャ−と光による幻想的空間』</p>
<p>近代建築行脚の旅路と称し、取り敢えず１２回を目標に１９６０年代前後に建てられた作品を中心としてその当時作家（建築家）が考えていた建築や都市に対する思想、また内側に秘められたデザイン性について触れて行きたいと思います。そして、間もなく訪れる２１世紀への建築がどのような役割を果たすべきか、今回取り上げてゆく日本の近代建築（特にメッセージ性の強い作品）を通して学ぶことができればと考えています。<br />
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２０世紀、日本において最も影響力のあった建築家と言えば少なくとも過半数の人は丹下健三と答えるでしょう、日本の高度経済成長期に都市計画を初めさまざまな作品を作り続け、今でも東京都庁舎など話題作の多い作家と言えます。そこで敢えて第１回として、非常に有名な「代々木国立屋内総合競技場」ではなく、形態以上に象徴性の高い空間の感じられる「東京カテドラル聖マリア大聖堂」を選択しました。東京カテドラル聖マリア大聖堂は、１９６２年（昭和３７年）に今井兼次、吉武泰水等が加わった審査員により設計競技が行われ丹下案が選ばれました。谷口吉郎や前川國男の案のような四角い箱型のデザインを凌駕するダイナミックなデザインは、当時では群を抜き国際的評価の高い作品であるとされています。また、丹下案の特徴は８枚のHPシェル（双曲放物面薄板構造）で構成されたユニークな造形手法で構造家の坪井善勝の多大な協力により実現され、後に代々木国立屋内総合競技場の大作を生む契機となりました。<br />
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４月初旬の最も桜の見ごろの季節、護国寺音羽通りを歩きながらマンションの隙間から晴れ上がった空に光り輝く大聖堂のシルバーメタリックな素直な屋根が視界に入り立ち止まった。目白台の起伏ある坂を登り詰めると、新築されたばかりの白く清楚な独協中学・高校の校舎（竹中工務店の設計で、当日赤坂氏（設計担当者）が竣工写真に立ち会っていた）を横目に、漸く目白通り沿いにある大聖堂の前にたどり着きました。入口正面に立ってみると、意外に建物の大きさが感じられなかったのが第一印象であった。今まで、坂を登りながら遠景として感じられた感覚（風景としての形態）とは、別種のものを感じる。これは、マサチューセッツ工科大学教授であったケヴィン・リンチの著書「都市のイメージ」で論じられている研究の成果がこの建築を通して実践されていると考えられる、都市的なスケールにおける視覚的形態と人間の意識構造（人々に見られ、記憶され、楽しまれること）を読み取った外観計画（構造的に成立可能な条件を備えた計画）を含めて、デザイン上優れている点でも私個人として大変評価していたし、あらためて実感させられました。向かって左側には、非常にシンボリックな鐘塔（高さ６２ｍでこれもシェル構造とのこと）が聳え、その西側正面階段を数段上がり室内へとアプローチします。管理事務所の受付からは斜め４５度の方向に祭壇が見えます。受付周辺は、殆ど自然光だけの薄暗い空間で、天井からのスリット光や床のレベルの変化を利用して大聖堂内（高さ４０ｍ）へと引込まれるように導かれます。聖堂内部に立ち止まり、ふと１９９２年の米国研修旅行で訪れたロサンゼルス郊外にあるフィリップ・ジョンソン設計の「ガラスの教会（1977年）」を思い出しました。天空をも引込む程の壮大な内部空間は圧巻であり、ポストモダンの全盛期を象徴する建築であったと思います。しかし、この教会はダイナミックな流動感（ブルータルなコンクリートの表現）、それに伴う視線の変化（シークエンス）、緊張感を生み出す十字形に切り込んだスリットによる光の取り入れ方、その他廊下や地下聖堂等へのガラスブロックによるトップライトなど、コンクリートのヴォリュ−ムから受ける構造的重量感と繊細な光の構成が巧みに生かされ、内部を幻想的で詩情豊かな空間として包み込んでいるように感じました。特に、トップライトの表現には、ル・コルビュジェの影響が見られますが、丹下健三が執筆した「ミケランジェロ頌」にはコルビュジェの生き方に深く肝銘した旨の内容が描かれていることからも考えられます。大聖堂２階に設置されたパイプオルガン（教会用としては日本一）から鳴り響く音色が、ストラクチャ−のコンクリートを通してガラスのスリットから天空に上昇していくようでした。丹下氏はこの教会を設計する前に広島平和記念カトリック聖堂の設計競技（1948年）に参加し惜しくも２等となり実現されませんでした（実施設計は村野藤吾となった）が、当時の設計主旨（下記）からこの教会への憶いも伝わってくるようです。</p>
<p>「現代の人間の心を動かし、精神のかたまりを感じさせることをわれわれは建築の近代技術のなかに求めたのである。」−『建築雑誌』昭和２３年８月より</p>
<p>□<br />
丹下健三が「美しきもののみ機能的である」と宣言したいた時代（1955年）から半世紀が経過しようとしており、間もなく２１世紀を迎えようとしています。その間、日本の生活水準は大幅に向上し、皆安定した生活を送ることができるようになりました。（特に自民党の一党独裁の時代）そして、機能（機関または構造）が発達（情報化時代の速度、利便性の追求等）し、バブル時代を謳歌した人間の欲望（倫理感を逸脱した欲望）を満たしてきました。しかし、昨今絶対神話を翻す出来事が頻繁に起こり始めています。機能（政治、教育、宗教、経済等）の破綻。これは、機能が複雑化し、人間の能力では管理できないまでになってしまったことを示唆するのではないかと思われます。そして、浮かれたバブル期に直面したポストモダン時代の複雑化（プルーレアリズム）した思想が、人間のこころ（河合隼雄氏の『日本人の心のゆくえ』を参照）というものの大切さを疎外してきたのではないかと考えます。先程の丹下氏の言葉に込められた意味が、「単純（素朴）な機能にしか美しさは見い出せない」と言っているようで、今一度、デカルトの二元論（○×的な発想または金銭中心主義）的思考（唯物史観）を脱却すべきであり、オギュスタン・ベルグ氏のメディアンス（風土）やクリスチャン・ノルベク・シュルツ氏のゲニウス・ロキ（地霊）のような概念の実践こそが、これからの建築に求められると考えています。<br />
□<br />
次回は、米国ハーバード大学から帰国した槇文彦が豊田記念講堂（日本建築学会賞受賞）を経て本格的に事務所を開設し活動を始めた頃の作品『立正大学熊谷キャンパス校舎』です。槇氏がメタボリズムに参加していた時期にアーバンデザイン、所謂「群造形理論」「集合体理論」といった概念を作品として実践した代表作で、建築と都市それにコミュニティの問題を改めて考え直すには良い機会と思われます。</p>
<p>１９９８年　卯月　伊神誠治</p>
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