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	<title>近代建築　modern へのコメント</title>
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	<description>建築における「日本的なもの」　It places an architecture " The Ｎｉｐｐｏｎ one "</description>
	<pubDate>Fri, 30 Jul 2010 16:55:01 +0000</pubDate>
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		<title>重源 より</title>
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		<dc:creator>重源</dc:creator>
		<pubDate>Thu, 01 Apr 2010 02:22:33 +0000</pubDate>
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		<description>第2回は
2005.3.23/研究会−レム・コールハースより

■レム・コールハース研究会（2/23)への問題提起

『建築のエステティーク解体新書』

まずはじめに、私にとって印象的であったのは、レム・コールハースの経歴である。それは、大学も出ず、18歳という若年でアムステルダムの『ハーグポスト紙』のジャーナリストからはじまり、『デ・ブランケ・スラフィン社』の映画・脚本作家として働いたという社会的ベースを持ち合わせていたことであった。その後に、ロンドンのAAスクールで建築への転身をはかり、いまでは押しもおされぬワールドアーキテクトの地位を不動にしているのだが、彼の建築観というのはやはりそれらを規範とした形式性に依拠していると言わざる得ないのである。

「私は、建築の本質は社会的イマジネーションの一形態だと考えていますから。建築家であればあるほど、私は台本を書く人と建築をする人との間に強い類似性を見い出します。」
（レム・コールハースへのインタヴュー「ディコンストラクティヴィズムへの系譜：レム・コールハース」より）

レム・コールハースのデヴューは、あまり知られてはいないのであるが、実はOMA（Office for Metoropolitan Architecture)結成の以前にある。マイアミを拠点に活動していたアルキテクトニカという建築家集団を御存じであろうか？その５人のヘッド（現在は2人）のひとり、ローリンダ・スピアー女史のもとで設計した彼女の自邸（スピアー邸）に参加協力をしていたのであり、それが実質の処女作となった。見てもおわかりのようにアルキテクトニカのドローイングには、後のOMAのレンダリングのタッチに近似し得るロマンティシズムを漂わせるものがある。そして、1979年まで参加したピーター・アイゼンマン主宰の「IAUS（建築都市研究所）」での成果が、『デリリアス・イン・ニューヨーク（1978)−「大都市の文化が建築に及ぼすであろう衝撃に関する研究」』(邦訳『錯乱のニューヨーク』鈴木圭介訳／1995）という著書として絶賛され、そこに描かれていたのが、妻であり、OMAのひとり、マデロン・フリーゼンドロプのベッドに寝そべるクライスラー・ビルとエンパイヤーステート・ビルの情事を描いた「アプレ・ラムール（愛の営みが終わって）」などのイラストであった。そういったスタイルの延長化で初期OMA（エリア＆ゾエ・ゼンゲリスを加えた４人）は建築単体の美学ではなく都市のなかの建築というものに戦略的意義を見い出していた。私が、というより一般に彼の名声を確乎たるものとしたのは、ベルナール・チュミが最優秀となって実現した1983年のパリ・ラヴィレット公園国際コンペで2等となった案であった。プログラムのなかにフォリーを介した形態学的システム構築を目指したチュミに対し、デザイン的な風景を虚構とし、すべての行為（機能など）、それを呑み込むことのできるグリッドの均質性として提示していた。それは、その後に彼が示したナラティヴ（建築上の事件としての）なプロジェクトの数々、そして今日の若い世代に及ぼした影響を見れば然もありなんことであろう。そのピークとなった作品に1989年のフランス国立図書館（当選−ドミニク・ぺロー）、ベルギー・ゼーブリュッへ・フェリーターミナル（一等で実現せず）、カールスーエ・メディア・テクノロジー・センター（一等で実現せず）の三つのアンビルト・プロジェクトがあった。そして、都市を扱う大きなプロジェクトを主体とするOMAで、割と意外なのは、住宅を設計していることであり、フィー（設計料）としては赤字を覚悟しなくてはならないのに、規模の大きさに関係なく変幻自在に操る設計術を持っていたことである。問題作は多数あり、ボルドーの住宅（1994)をはじめ、初期のダラヴァ邸(1984)、パティオ・ヴィラ(1985)、ダッチ・ハウス(1992)、Y2K（1998)である。レム・コールハースの興味は、とくにジャーナリスト観（ゴーストライターとして）に秘められた「事件」つまりは「出来事」にあると言える。彼はミ−スやヒルベルザイマー、レオニドフ、ハリソンといった建築家にシンパシーを抱いているらしい、彼等に共通する点は、ライトやコルビュジェ、カーンのような表現の明晰さではなく、謎めいた生きざまから滲み出てくる、その内省に秘めたる美学なのであり、ある事件の裏で徘徊する黒幕的な行動（太陽の目を見ない）、そのものといえる。だから当時の彼等からは、積極的なメッセージが喧伝されていない。でもレム・コールハースの行動は、いまでは自己の会社名「OMA」を逆さに読んだリサーチ・コンサルタント業務（都市及びブランド、IT構想）をこなす会社「AMO」を組織し、従来の設計事務所の枠を超えた戦略でもって、最近作の中国中央電視台本社ビル（CCTV)をはじめ精力的に活動を展開している。要するに「事件」「出来事」を挑発する手段として、建築美の洗練からは惹起しえないこと。それが、1995年に出版された『S,M,L,LX』には「ビッグネス（巨大性）」とか「ジャンクスペース」「ジェネリック・シティ」などのキーワードでもってレム・コールハース流プリンシプル（原理）として纏められている。謂わば、『S,M,L,LX』は、建築のエステティーク解体新書となる。1774年に蘭医であった杉田玄白を中心とした西洋解剖学の訳本として著わされたのが「解体新書」であった。いま、建築の美容師は機能を整え、美しく見えるように、また着飾った体裁をつくろうと一心である。身体が老化してるのならともかく・・・なのだが。やはり建築は医師として身体の良き診療、および処方箋・・・・それは、レム・コールハース流に言わせれば「動機」、謂わば、「形式」を問うことでもあり、「社会」に問うことでもあるのだが・・・。

2006.2.22　　伊神誠治</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>第2回は<br />
2005.3.23/研究会−レム・コールハースより</p>
<p>■レム・コールハース研究会（2/23)への問題提起</p>
<p>『建築のエステティーク解体新書』</p>
<p>まずはじめに、私にとって印象的であったのは、レム・コールハースの経歴である。それは、大学も出ず、18歳という若年でアムステルダムの『ハーグポスト紙』のジャーナリストからはじまり、『デ・ブランケ・スラフィン社』の映画・脚本作家として働いたという社会的ベースを持ち合わせていたことであった。その後に、ロンドンのAAスクールで建築への転身をはかり、いまでは押しもおされぬワールドアーキテクトの地位を不動にしているのだが、彼の建築観というのはやはりそれらを規範とした形式性に依拠していると言わざる得ないのである。</p>
<p>「私は、建築の本質は社会的イマジネーションの一形態だと考えていますから。建築家であればあるほど、私は台本を書く人と建築をする人との間に強い類似性を見い出します。」<br />
（レム・コールハースへのインタヴュー「ディコンストラクティヴィズムへの系譜：レム・コールハース」より）</p>
<p>レム・コールハースのデヴューは、あまり知られてはいないのであるが、実はOMA（Office for Metoropolitan Architecture)結成の以前にある。マイアミを拠点に活動していたアルキテクトニカという建築家集団を御存じであろうか？その５人のヘッド（現在は2人）のひとり、ローリンダ・スピアー女史のもとで設計した彼女の自邸（スピアー邸）に参加協力をしていたのであり、それが実質の処女作となった。見てもおわかりのようにアルキテクトニカのドローイングには、後のOMAのレンダリングのタッチに近似し得るロマンティシズムを漂わせるものがある。そして、1979年まで参加したピーター・アイゼンマン主宰の「IAUS（建築都市研究所）」での成果が、『デリリアス・イン・ニューヨーク（1978)−「大都市の文化が建築に及ぼすであろう衝撃に関する研究」』(邦訳『錯乱のニューヨーク』鈴木圭介訳／1995）という著書として絶賛され、そこに描かれていたのが、妻であり、OMAのひとり、マデロン・フリーゼンドロプのベッドに寝そべるクライスラー・ビルとエンパイヤーステート・ビルの情事を描いた「アプレ・ラムール（愛の営みが終わって）」などのイラストであった。そういったスタイルの延長化で初期OMA（エリア＆ゾエ・ゼンゲリスを加えた４人）は建築単体の美学ではなく都市のなかの建築というものに戦略的意義を見い出していた。私が、というより一般に彼の名声を確乎たるものとしたのは、ベルナール・チュミが最優秀となって実現した1983年のパリ・ラヴィレット公園国際コンペで2等となった案であった。プログラムのなかにフォリーを介した形態学的システム構築を目指したチュミに対し、デザイン的な風景を虚構とし、すべての行為（機能など）、それを呑み込むことのできるグリッドの均質性として提示していた。それは、その後に彼が示したナラティヴ（建築上の事件としての）なプロジェクトの数々、そして今日の若い世代に及ぼした影響を見れば然もありなんことであろう。そのピークとなった作品に1989年のフランス国立図書館（当選−ドミニク・ぺロー）、ベルギー・ゼーブリュッへ・フェリーターミナル（一等で実現せず）、カールスーエ・メディア・テクノロジー・センター（一等で実現せず）の三つのアンビルト・プロジェクトがあった。そして、都市を扱う大きなプロジェクトを主体とするOMAで、割と意外なのは、住宅を設計していることであり、フィー（設計料）としては赤字を覚悟しなくてはならないのに、規模の大きさに関係なく変幻自在に操る設計術を持っていたことである。問題作は多数あり、ボルドーの住宅（1994)をはじめ、初期のダラヴァ邸(1984)、パティオ・ヴィラ(1985)、ダッチ・ハウス(1992)、Y2K（1998)である。レム・コールハースの興味は、とくにジャーナリスト観（ゴーストライターとして）に秘められた「事件」つまりは「出来事」にあると言える。彼はミ−スやヒルベルザイマー、レオニドフ、ハリソンといった建築家にシンパシーを抱いているらしい、彼等に共通する点は、ライトやコルビュジェ、カーンのような表現の明晰さではなく、謎めいた生きざまから滲み出てくる、その内省に秘めたる美学なのであり、ある事件の裏で徘徊する黒幕的な行動（太陽の目を見ない）、そのものといえる。だから当時の彼等からは、積極的なメッセージが喧伝されていない。でもレム・コールハースの行動は、いまでは自己の会社名「OMA」を逆さに読んだリサーチ・コンサルタント業務（都市及びブランド、IT構想）をこなす会社「AMO」を組織し、従来の設計事務所の枠を超えた戦略でもって、最近作の中国中央電視台本社ビル（CCTV)をはじめ精力的に活動を展開している。要するに「事件」「出来事」を挑発する手段として、建築美の洗練からは惹起しえないこと。それが、1995年に出版された『S,M,L,LX』には「ビッグネス（巨大性）」とか「ジャンクスペース」「ジェネリック・シティ」などのキーワードでもってレム・コールハース流プリンシプル（原理）として纏められている。謂わば、『S,M,L,LX』は、建築のエステティーク解体新書となる。1774年に蘭医であった杉田玄白を中心とした西洋解剖学の訳本として著わされたのが「解体新書」であった。いま、建築の美容師は機能を整え、美しく見えるように、また着飾った体裁をつくろうと一心である。身体が老化してるのならともかく・・・なのだが。やはり建築は医師として身体の良き診療、および処方箋・・・・それは、レム・コールハース流に言わせれば「動機」、謂わば、「形式」を問うことでもあり、「社会」に問うことでもあるのだが・・・。</p>
<p>2006.2.22　　伊神誠治</p>
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		<title>伊神誠治 より</title>
		<link>http://www.archi-channel.com/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e8%bf%91%e4%bb%a3%e5%bb%ba%e7%af%89%e3%80%80modern-architecture-in-nippon/comment-page-1/#comment-763</link>
		<dc:creator>伊神誠治</dc:creator>
		<pubDate>Thu, 28 Jan 2010 14:28:33 +0000</pubDate>
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		<description>今後は、過去の研究会（近代建築家論）のレビューを掲載してきます。
第１回は
2005.02.26/研究会−篠原　一男より


『住宅は芸術たりえるか』

今回から保戸田氏の企画による新たなる研究会が始まった。第１回は彼の最も敬愛する篠原一男である。「シノハラスクール」と呼ばれる東工大を中心としたシューレ（学派）をはじめとして、いまの現代若手建築家からは、インテリアの倉俣史朗と二分するほど、影響力を持った建築家とされている。その魅力とは何なのか・・・これが、最大の問題提起となるはずであり、その芸術性たる所以を探究することが、今後に展開されるこの研究会の骨子ではないかと感じる。篠原一男のイメージはどうしても住宅作家という歴史的なイコン（評価）が付きまとうのだが、ただ、ここが現代の建築家を惹き付けて病まない点であることも確かな事実であるようだ・・・・。彼がデヴューして間もない頃、「すまいは広ければ広いほどよい（新建築1961年1月号）とか「住宅は芸術である（1962年5月号）」、「現代の住宅が表現するものは、しかし、調和した美ではなく、混乱した美であっていい（『住宅建築（紀伊國屋書店）』1964)」といったアフォリズム（警句）を建築アカデミズムに提起し、非難の矢面に立たされていたのだが、それでも彼は、迷わず数々の言説を建築界に投げかけ、新鮮味あふれる作品（問題作）を提供し続けてきたと言える。・・・とここで終わっては問題提起にはならない。今日、住宅はおしなべて、とても高価な実用品として売られているのがほとんどと言える。それは、いまにはじまったことではないのであるが、ちょっと過去のそれとは異なる気がしているのは住まうであろう家族のイコンや生活美らしきものが存在しないことであり、痕跡も見えないし、またセレクトした生活を嗜んでその気になっている点ではないかと感じる。建築家の設計した住宅にもそれを後押しするセレクターとして臭いがつきまとう。こんな話しは、今回のテーマとしてあげられた「篠原一男」には相応しくないのであるが、先きの論文の「住宅は芸術である」を、いま「住宅は芸術たりえるか」というかたちで問題提起してみたい。篠原一男は、一般には東京工業大学の建築学科を卒業されていると思われがちであるが、実は東北大学理学部の数学科を卒業している。その後東京医科歯科大学で教鞭をとっていたのだが、数学科の助教授の席をあっさり蹴って、建築を一からやりはじめた特異な建築家である。それが、その後の建築作品や論文などにも影響が伺われるのだが、時代は戦後すぐのことである。ちょうどその頃、清家清は東工大助教授として研究室を持ちつ、森邸、斉藤邸、宮城邸といった住宅三部作でデビューし各界から評価を得ていた、そこに篠原は助手としてしばらく在籍した。同研究室には故・林（旧姓山田）雅子、故・番匠谷尭二、宮坂修吉といった、清家研ではあるが、インフォーマルな住宅作家としてそれぞれが活躍していたが、頭角が顕われたのは、篠原と林であった。同じ住宅作家でありながら「住宅＝建築、はたまた芸術」へと推し量った篠原一男に対し、林雅子は「住宅＝建築はたまた生活」だったと言える。ただ、夫の林昌二の影響を見逃す理由には往くまいのだが・・・・。1954年、東工大清家清のもとで設計した実質のデヴュー作、「久我山の家」は、丹下健三設計の「住居（自邸）」よりもやや発表がはやいが、木造の美学を徹底し、追求した丹下の思惑とは裏腹に鉄骨造で挑戦した巧拙が浮き彫りにされた作品ではあった。しかし当時主流とされたモダンリビングとは一線を成していた篠原流の日本伝統に裏打ちされた空間構成のイデアは、その後の第１の様式の最後作「白の家」まで形象化し、数々の論文と併せて、「住宅なるもの」を建築のいき（境界）まで引っ張ってきた。しかしながら1958年にARCHITECTURAL DESIGN誌から「桂離宮とミースの強い影響がある」と紹介された事に対して、篠原は「日本伝統への強い憧憬から変わった私の最初の作品へのこの批評は楽しかった。」と言うオプティミスティックな回答を寄せている。それは、彼のデヴュー作としては最大の褒め言葉であったからであろうか、はたまたその後の民家集落への憧憬や他分野の哲学からの影響を悟って、想起したものだろうか？そうはいっても、桂とミースは晩年にいたるまで、彼の美学の根底に秘めたる武器、弾薬として、就中（なかんずく）登場した芸術を語るキーワードであった。ところで、先きに問題提起した主題から逸れてしまったが、「住宅は芸術である」といった「芸術」の本質を篠原一男は、決してクライアントの意向を無視してまで、己のかたちや空間の美を、小さな住宅に顕示してきた理由ではないと思う。それは豪華絢爛な空間や贅沢な材質を翳すといった芸術を陋劣するような行為がその設計行為には見られないからである。例えば「いま、住宅はアートである」といったらどうであろう？それは西洋言語に置換したとたんに・・・不動産会社が企画するデザイナーズマンションのキャッチコピーの一部と化してしまうだろう、それほどに、いま「芸術」の意味は建築界にとって、骨抜きにされているのであり、・・・だから逆に私は、「住宅は芸術たりえるのか」と問いたいのである。

伊神誠治</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>今後は、過去の研究会（近代建築家論）のレビューを掲載してきます。<br />
第１回は<br />
2005.02.26/研究会−篠原　一男より</p>
<p>『住宅は芸術たりえるか』</p>
<p>今回から保戸田氏の企画による新たなる研究会が始まった。第１回は彼の最も敬愛する篠原一男である。「シノハラスクール」と呼ばれる東工大を中心としたシューレ（学派）をはじめとして、いまの現代若手建築家からは、インテリアの倉俣史朗と二分するほど、影響力を持った建築家とされている。その魅力とは何なのか・・・これが、最大の問題提起となるはずであり、その芸術性たる所以を探究することが、今後に展開されるこの研究会の骨子ではないかと感じる。篠原一男のイメージはどうしても住宅作家という歴史的なイコン（評価）が付きまとうのだが、ただ、ここが現代の建築家を惹き付けて病まない点であることも確かな事実であるようだ・・・・。彼がデヴューして間もない頃、「すまいは広ければ広いほどよい（新建築1961年1月号）とか「住宅は芸術である（1962年5月号）」、「現代の住宅が表現するものは、しかし、調和した美ではなく、混乱した美であっていい（『住宅建築（紀伊國屋書店）』1964)」といったアフォリズム（警句）を建築アカデミズムに提起し、非難の矢面に立たされていたのだが、それでも彼は、迷わず数々の言説を建築界に投げかけ、新鮮味あふれる作品（問題作）を提供し続けてきたと言える。・・・とここで終わっては問題提起にはならない。今日、住宅はおしなべて、とても高価な実用品として売られているのがほとんどと言える。それは、いまにはじまったことではないのであるが、ちょっと過去のそれとは異なる気がしているのは住まうであろう家族のイコンや生活美らしきものが存在しないことであり、痕跡も見えないし、またセレクトした生活を嗜んでその気になっている点ではないかと感じる。建築家の設計した住宅にもそれを後押しするセレクターとして臭いがつきまとう。こんな話しは、今回のテーマとしてあげられた「篠原一男」には相応しくないのであるが、先きの論文の「住宅は芸術である」を、いま「住宅は芸術たりえるか」というかたちで問題提起してみたい。篠原一男は、一般には東京工業大学の建築学科を卒業されていると思われがちであるが、実は東北大学理学部の数学科を卒業している。その後東京医科歯科大学で教鞭をとっていたのだが、数学科の助教授の席をあっさり蹴って、建築を一からやりはじめた特異な建築家である。それが、その後の建築作品や論文などにも影響が伺われるのだが、時代は戦後すぐのことである。ちょうどその頃、清家清は東工大助教授として研究室を持ちつ、森邸、斉藤邸、宮城邸といった住宅三部作でデビューし各界から評価を得ていた、そこに篠原は助手としてしばらく在籍した。同研究室には故・林（旧姓山田）雅子、故・番匠谷尭二、宮坂修吉といった、清家研ではあるが、インフォーマルな住宅作家としてそれぞれが活躍していたが、頭角が顕われたのは、篠原と林であった。同じ住宅作家でありながら「住宅＝建築、はたまた芸術」へと推し量った篠原一男に対し、林雅子は「住宅＝建築はたまた生活」だったと言える。ただ、夫の林昌二の影響を見逃す理由には往くまいのだが・・・・。1954年、東工大清家清のもとで設計した実質のデヴュー作、「久我山の家」は、丹下健三設計の「住居（自邸）」よりもやや発表がはやいが、木造の美学を徹底し、追求した丹下の思惑とは裏腹に鉄骨造で挑戦した巧拙が浮き彫りにされた作品ではあった。しかし当時主流とされたモダンリビングとは一線を成していた篠原流の日本伝統に裏打ちされた空間構成のイデアは、その後の第１の様式の最後作「白の家」まで形象化し、数々の論文と併せて、「住宅なるもの」を建築のいき（境界）まで引っ張ってきた。しかしながら1958年にARCHITECTURAL DESIGN誌から「桂離宮とミースの強い影響がある」と紹介された事に対して、篠原は「日本伝統への強い憧憬から変わった私の最初の作品へのこの批評は楽しかった。」と言うオプティミスティックな回答を寄せている。それは、彼のデヴュー作としては最大の褒め言葉であったからであろうか、はたまたその後の民家集落への憧憬や他分野の哲学からの影響を悟って、想起したものだろうか？そうはいっても、桂とミースは晩年にいたるまで、彼の美学の根底に秘めたる武器、弾薬として、就中（なかんずく）登場した芸術を語るキーワードであった。ところで、先きに問題提起した主題から逸れてしまったが、「住宅は芸術である」といった「芸術」の本質を篠原一男は、決してクライアントの意向を無視してまで、己のかたちや空間の美を、小さな住宅に顕示してきた理由ではないと思う。それは豪華絢爛な空間や贅沢な材質を翳すといった芸術を陋劣するような行為がその設計行為には見られないからである。例えば「いま、住宅はアートである」といったらどうであろう？それは西洋言語に置換したとたんに・・・不動産会社が企画するデザイナーズマンションのキャッチコピーの一部と化してしまうだろう、それほどに、いま「芸術」の意味は建築界にとって、骨抜きにされているのであり、・・・だから逆に私は、「住宅は芸術たりえるのか」と問いたいのである。</p>
<p>伊神誠治</p>
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	</item>
	<item>
		<title>伊神 より</title>
		<link>http://www.archi-channel.com/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e8%bf%91%e4%bb%a3%e5%bb%ba%e7%af%89%e3%80%80modern-architecture-in-nippon/comment-page-1/#comment-742</link>
		<dc:creator>伊神</dc:creator>
		<pubDate>Wed, 02 Dec 2009 02:21:57 +0000</pubDate>
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		<description>「モダニズム古書REVIEW-06」

申し訳ありません、前回（REVIEW-05）の補遺を致します。
わたしが崇敬する夭折した優秀なる建築家は、恐れながら彼らだけではありません。わたしの記憶では、岩元禄（1893-1922、享年29才）、野田俊彦（1891-1929、享年38才）、立原道造（1914-1938、享年24才）が脳裏に過ります。立原道造は大東亜戦争動乱の折で「四季」の追悼号や「新建築」の追悼記事が出版、掲載されただけで遺稿集は、山本書店で発刊された「立原道造全集３巻」に建築のことが詳らかに追記されたに過ぎませんでした。また、岩元禄に関しては遺稿としての出版はありませんでしたが、先頃亡くなられた向井覚さんの手によって纏められた著作がそれを補填し得るものとして戦後の昭和52年に出版されました。そして、野田俊彦も遺稿集といった本ではありませんが、「建築画報」という戦前の雑誌の特集號（故野田俊彦遺作集）に全頁に亘って掲載され、それはさながら遺稿集の体裁をとっております、如何せん「雑誌」というペーパーなので残存する可能性が少なく業界では幻的なるものとされているようです。こういった書籍から非凡なるものを彼らから享受されるのですが、昨今の社会的評価ありきだけに与しない彼らのパトス（情念乃至は信条）の強さを改めて感じさせてくれます。
−『建築画報第21巻第4号（1930年4月号）　春季特集　故野田俊彦遺稿集／建築画報社発行／１９３０』
−『建築家・岩元禄／向井覚著／相模書房／１９７７』
−『立原道造全集　全三巻／堀辰雄、生田勉他編／山本書店／１９４１』
＊その後、建築に於ける未資料を補填して本年に下記が出版されています。
−『立原道造全集　第四巻／中村稔、鈴木博之他編／筑摩書房／２００９』</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>「モダニズム古書REVIEW-06」</p>
<p>申し訳ありません、前回（REVIEW-05）の補遺を致します。<br />
わたしが崇敬する夭折した優秀なる建築家は、恐れながら彼らだけではありません。わたしの記憶では、岩元禄（1893-1922、享年29才）、野田俊彦（1891-1929、享年38才）、立原道造（1914-1938、享年24才）が脳裏に過ります。立原道造は大東亜戦争動乱の折で「四季」の追悼号や「新建築」の追悼記事が出版、掲載されただけで遺稿集は、山本書店で発刊された「立原道造全集３巻」に建築のことが詳らかに追記されたに過ぎませんでした。また、岩元禄に関しては遺稿としての出版はありませんでしたが、先頃亡くなられた向井覚さんの手によって纏められた著作がそれを補填し得るものとして戦後の昭和52年に出版されました。そして、野田俊彦も遺稿集といった本ではありませんが、「建築画報」という戦前の雑誌の特集號（故野田俊彦遺作集）に全頁に亘って掲載され、それはさながら遺稿集の体裁をとっております、如何せん「雑誌」というペーパーなので残存する可能性が少なく業界では幻的なるものとされているようです。こういった書籍から非凡なるものを彼らから享受されるのですが、昨今の社会的評価ありきだけに与しない彼らのパトス（情念乃至は信条）の強さを改めて感じさせてくれます。<br />
−『建築画報第21巻第4号（1930年4月号）　春季特集　故野田俊彦遺稿集／建築画報社発行／１９３０』<br />
−『建築家・岩元禄／向井覚著／相模書房／１９７７』<br />
−『立原道造全集　全三巻／堀辰雄、生田勉他編／山本書店／１９４１』<br />
＊その後、建築に於ける未資料を補填して本年に下記が出版されています。<br />
−『立原道造全集　第四巻／中村稔、鈴木博之他編／筑摩書房／２００９』</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>伊神 より</title>
		<link>http://www.archi-channel.com/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e8%bf%91%e4%bb%a3%e5%bb%ba%e7%af%89%e3%80%80modern-architecture-in-nippon/comment-page-1/#comment-741</link>
		<dc:creator>伊神</dc:creator>
		<pubDate>Tue, 01 Dec 2009 14:42:49 +0000</pubDate>
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		<description>「モダニズム古書REVIEW-05」

随分御無沙汰になりました。
大正から昭和初期にかけて夭折した優秀なる建築家には逸材が多い。就中、東大の伊東忠太が惜しんで已まなかったのは長谷川輝雄であり、また早稲田大の佐藤功一が惜しんで已まなかったのは中村鎮、それに東京美術学校（芸大）の岡田信一郎が惜しんで已まなかったのは後藤慶二であった。彼らの作品及び評論は突然の死によって書籍として纏められずして逝くなってしまい、死後に妻君や雄志によって遺稿集（非売品）として残されたのであるが、これぐらいしか彼らのことを理解する術がないため、いまでは大変な稀少本（高価）として夙に有名である。もうひとり曽根中條建築事務所の高松政雄を加えれば、遺稿集４部作と建築古書業界から呼ばれているようである。戦中や戦後の遺稿集などは追悼文などが主であるものが多いのだが、とくに今回紹介するものは作品・評論集の体裁であり、彼らを知る決定版的なるものであるが、そこに顕現される寡黙な作品から伺われるデザインの秀逸さは同時代の建築家たちを凌駕するほど魅惑的であり、今日の建築界に於いても見劣りしないほどの内容であることは疑いようはないでしょう。因にわたしは、『高松・・・』以外を所持しています。
−『後藤慶二氏遺稿／中村鎮編集／後藤芳香発行／１９２５』
−『長谷川輝雄氏遺稿／長谷川輝雄氏遺稿刊行會編集／二見秀雄発行／１９２７』
−『高松政雄君の制作と著作／中村啄治郎編集／中村啄治郎発行／１９３５』
−『中村鎮遺稿／中村鎮遺稿刊行會編集／中村音羽発行／１９３６』</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>「モダニズム古書REVIEW-05」</p>
<p>随分御無沙汰になりました。<br />
大正から昭和初期にかけて夭折した優秀なる建築家には逸材が多い。就中、東大の伊東忠太が惜しんで已まなかったのは長谷川輝雄であり、また早稲田大の佐藤功一が惜しんで已まなかったのは中村鎮、それに東京美術学校（芸大）の岡田信一郎が惜しんで已まなかったのは後藤慶二であった。彼らの作品及び評論は突然の死によって書籍として纏められずして逝くなってしまい、死後に妻君や雄志によって遺稿集（非売品）として残されたのであるが、これぐらいしか彼らのことを理解する術がないため、いまでは大変な稀少本（高価）として夙に有名である。もうひとり曽根中條建築事務所の高松政雄を加えれば、遺稿集４部作と建築古書業界から呼ばれているようである。戦中や戦後の遺稿集などは追悼文などが主であるものが多いのだが、とくに今回紹介するものは作品・評論集の体裁であり、彼らを知る決定版的なるものであるが、そこに顕現される寡黙な作品から伺われるデザインの秀逸さは同時代の建築家たちを凌駕するほど魅惑的であり、今日の建築界に於いても見劣りしないほどの内容であることは疑いようはないでしょう。因にわたしは、『高松・・・』以外を所持しています。<br />
−『後藤慶二氏遺稿／中村鎮編集／後藤芳香発行／１９２５』<br />
−『長谷川輝雄氏遺稿／長谷川輝雄氏遺稿刊行會編集／二見秀雄発行／１９２７』<br />
−『高松政雄君の制作と著作／中村啄治郎編集／中村啄治郎発行／１９３５』<br />
−『中村鎮遺稿／中村鎮遺稿刊行會編集／中村音羽発行／１９３６』</p>
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	</item>
	<item>
		<title>伊神 より</title>
		<link>http://www.archi-channel.com/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e8%bf%91%e4%bb%a3%e5%bb%ba%e7%af%89%e3%80%80modern-architecture-in-nippon/comment-page-1/#comment-737</link>
		<dc:creator>伊神</dc:creator>
		<pubDate>Sun, 22 Nov 2009 01:15:43 +0000</pubDate>
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		<description>「東京中央郵便局舎の情けない姿形に一言」

先日、「逓信建築から郵政建築への軌跡」と題して元郵政省建築部の観音克平氏による講演会があり参加してきました。しかし、期待していた逓信・郵政建築の真髄とは何か・・・謂うなれば、建築界での位置づけといったものまで及ばず、歴史的変遷の紹介と各々の作品の概要説明に留まり、また最後のスライドで東京中央郵便局の工事現況と大阪中央郵便局の構想案（設計は日建設計）の映像を見せられ、それを冷静に説明し聴講しされていた郵政省のOBたちの楽観した雰囲気や態度に驚くばかりでした。そのこと以上に、東京駅に降り立って、東京中央郵便局舎はいま、どうなっているのかな？・・・と仰ぎ見て、愕然とした光景の映像に・・・ショックを隠しきれないほどの脱力感で、ただ呆然とするばかりでした。あの鳩山問題以後の郵政の方針である東京駅に面した部分は少なくとも保存するとの話しはどうなったのか？それは、あくまでフェイク（見せ掛け）にするつもりでのカット（一部解体）なのか？？？？。旧・設計者であった吉田鉄郎デザインの命であるカーブのついた面へメスを入れた現・設計者である三菱地所・建築家（担当者）の見識を疑うのと同時に、・・・これが２１世紀型建設術なのだろうか・・・と。資本経済で民衆を手玉にとって会社存続のために、建築家の魂を売って生きてゆかねばならない建築家と呼ばれるサラリーマンの性なのでしょう。いま、山口文象と大谷幸夫との対談「建築はどうなる」（1972年夏季号『建築家』より）を読み返し鑑みますと、彼らが危惧していたこと（社会には迎合しない姿勢や精神、思想が消えゆくこと）、そのものが今の建築家に侵犯していると・・・このような行為（責任の所在のわからない）を見て憶う次第でありますが、郵政社長であられた西川氏更迭が引き金なのか、東京中央郵便局舎を愛するひとへの腹いせともとれる行為・・・わたしには一生忘れ得ぬ出来事となってしまった。因に帝国ホテルが陥落（解体）したのは昭和42年（1967）で42年前の出来事でした、いわば「死に（４シ2ニ）」再び居合せてしまったともとれよう。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>「東京中央郵便局舎の情けない姿形に一言」</p>
<p>先日、「逓信建築から郵政建築への軌跡」と題して元郵政省建築部の観音克平氏による講演会があり参加してきました。しかし、期待していた逓信・郵政建築の真髄とは何か・・・謂うなれば、建築界での位置づけといったものまで及ばず、歴史的変遷の紹介と各々の作品の概要説明に留まり、また最後のスライドで東京中央郵便局の工事現況と大阪中央郵便局の構想案（設計は日建設計）の映像を見せられ、それを冷静に説明し聴講しされていた郵政省のOBたちの楽観した雰囲気や態度に驚くばかりでした。そのこと以上に、東京駅に降り立って、東京中央郵便局舎はいま、どうなっているのかな？・・・と仰ぎ見て、愕然とした光景の映像に・・・ショックを隠しきれないほどの脱力感で、ただ呆然とするばかりでした。あの鳩山問題以後の郵政の方針である東京駅に面した部分は少なくとも保存するとの話しはどうなったのか？それは、あくまでフェイク（見せ掛け）にするつもりでのカット（一部解体）なのか？？？？。旧・設計者であった吉田鉄郎デザインの命であるカーブのついた面へメスを入れた現・設計者である三菱地所・建築家（担当者）の見識を疑うのと同時に、・・・これが２１世紀型建設術なのだろうか・・・と。資本経済で民衆を手玉にとって会社存続のために、建築家の魂を売って生きてゆかねばならない建築家と呼ばれるサラリーマンの性なのでしょう。いま、山口文象と大谷幸夫との対談「建築はどうなる」（1972年夏季号『建築家』より）を読み返し鑑みますと、彼らが危惧していたこと（社会には迎合しない姿勢や精神、思想が消えゆくこと）、そのものが今の建築家に侵犯していると・・・このような行為（責任の所在のわからない）を見て憶う次第でありますが、郵政社長であられた西川氏更迭が引き金なのか、東京中央郵便局舎を愛するひとへの腹いせともとれる行為・・・わたしには一生忘れ得ぬ出来事となってしまった。因に帝国ホテルが陥落（解体）したのは昭和42年（1967）で42年前の出来事でした、いわば「死に（４シ2ニ）」再び居合せてしまったともとれよう。</p>
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	</item>
	<item>
		<title>伊神 より</title>
		<link>http://www.archi-channel.com/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e8%bf%91%e4%bb%a3%e5%bb%ba%e7%af%89%e3%80%80modern-architecture-in-nippon/comment-page-1/#comment-240</link>
		<dc:creator>伊神</dc:creator>
		<pubDate>Mon, 23 Mar 2009 02:49:41 +0000</pubDate>
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		<description>「東京・大阪中央郵便局の緊急シンポジウムに参加して」

昨日、東京・大阪中央郵便局の文化的価値を知ると称した「緊急シンポジウム」に参加してきました。わたしは、以前から国宝級の価値がこのモダニズム建築（大阪ではなく東京に於いて）には存在するという一点に於いて、その動向に注視し、且つ保存活動をしている会の方々にも微力ながら協力も惜しむなく、それまでに行われてきた合計３回ものシンポジウムに参加してきました。今回の「東京中央郵便局」という建物の重要性についての認識が一般は疎か専門家（著名な建築家たち）並びに学者にも甚だ薄いという状況に落胆は隠せないのですが、パネリストであった法律家の五十嵐敬喜氏（法政大学教授）が述懐したように「「文化的価値」はお題目で「営利」が本意の都市開発を民間の大手企業（ジャーナリズムや広告、メディア、建設など）、政治家、官僚、学会（都市計画学会）といった国策巨大連合（「大、丸、有」と言っていた）で薦められれば、これは小さな保存運動の会など太刀打ちできないであろう」・・・という意見は核心をついていて、これは民意を果たして反映している社会構造なのだろうか・・・と五十嵐氏も問うていたのだが？。そもそも民意など虚構で、知らないところで真の民意が反映されない国家政策が確立されているのではないだろうか・・・云々と思いたくもなる発言であり、興味を惹いた。しかし、学会会長の齋藤公男氏は開会の挨拶をして半ばで退席されたし、建築評論家（学者でもある）である布野修司氏（滋賀県立大教授）、建築家（学者でもある）である宇野求氏（東京理科大教授）はその国策巨大連合への配慮を込めた玉虫色の意見で茶を濁したぐらいで説得力を欠いたものであった。彼らも所詮、主催である建築計画委員会の立場上（逆に歴史意匠委員会からの積極的な参加が見られなかった）のことで参加されていることが見え見えであり、以前から保存運動に関わられていたパネリスト（前野、南、多児氏）のお話を補填するような見解は聞かれなかったことは残念であった。それ以上に、参加者の少なさは決定的であった。これが丹下健三の「代々木屋内競技場」となれば変わるのだろうか・・・？。ひょっとしてその国策巨大連合形成の中心的な人物であった丹下であろうから、瞬時に保存すべきであろうという見解が、現在の著名な建築家たちも含めて検討されるのだろう。・・・恐らく建築ということに限って言うと、いまの日本には真の文化的価値を公平、平等に判断できるひとは皆無といってよかろう・・・国策巨大連合に迎合していては・・・。それよりも最近のモーガン邸、俣野別邸、吉田茂邸といった文化財の全焼（放火とも噂されている）もそういった風潮批判に起因していなければよいのだが・・・思う次第である。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>「東京・大阪中央郵便局の緊急シンポジウムに参加して」</p>
<p>昨日、東京・大阪中央郵便局の文化的価値を知ると称した「緊急シンポジウム」に参加してきました。わたしは、以前から国宝級の価値がこのモダニズム建築（大阪ではなく東京に於いて）には存在するという一点に於いて、その動向に注視し、且つ保存活動をしている会の方々にも微力ながら協力も惜しむなく、それまでに行われてきた合計３回ものシンポジウムに参加してきました。今回の「東京中央郵便局」という建物の重要性についての認識が一般は疎か専門家（著名な建築家たち）並びに学者にも甚だ薄いという状況に落胆は隠せないのですが、パネリストであった法律家の五十嵐敬喜氏（法政大学教授）が述懐したように「「文化的価値」はお題目で「営利」が本意の都市開発を民間の大手企業（ジャーナリズムや広告、メディア、建設など）、政治家、官僚、学会（都市計画学会）といった国策巨大連合（「大、丸、有」と言っていた）で薦められれば、これは小さな保存運動の会など太刀打ちできないであろう」・・・という意見は核心をついていて、これは民意を果たして反映している社会構造なのだろうか・・・と五十嵐氏も問うていたのだが？。そもそも民意など虚構で、知らないところで真の民意が反映されない国家政策が確立されているのではないだろうか・・・云々と思いたくもなる発言であり、興味を惹いた。しかし、学会会長の齋藤公男氏は開会の挨拶をして半ばで退席されたし、建築評論家（学者でもある）である布野修司氏（滋賀県立大教授）、建築家（学者でもある）である宇野求氏（東京理科大教授）はその国策巨大連合への配慮を込めた玉虫色の意見で茶を濁したぐらいで説得力を欠いたものであった。彼らも所詮、主催である建築計画委員会の立場上（逆に歴史意匠委員会からの積極的な参加が見られなかった）のことで参加されていることが見え見えであり、以前から保存運動に関わられていたパネリスト（前野、南、多児氏）のお話を補填するような見解は聞かれなかったことは残念であった。それ以上に、参加者の少なさは決定的であった。これが丹下健三の「代々木屋内競技場」となれば変わるのだろうか・・・？。ひょっとしてその国策巨大連合形成の中心的な人物であった丹下であろうから、瞬時に保存すべきであろうという見解が、現在の著名な建築家たちも含めて検討されるのだろう。・・・恐らく建築ということに限って言うと、いまの日本には真の文化的価値を公平、平等に判断できるひとは皆無といってよかろう・・・国策巨大連合に迎合していては・・・。それよりも最近のモーガン邸、俣野別邸、吉田茂邸といった文化財の全焼（放火とも噂されている）もそういった風潮批判に起因していなければよいのだが・・・思う次第である。</p>
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	</item>
	<item>
		<title>伊神 より</title>
		<link>http://www.archi-channel.com/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e8%bf%91%e4%bb%a3%e5%bb%ba%e7%af%89%e3%80%80modern-architecture-in-nippon/comment-page-1/#comment-199</link>
		<dc:creator>伊神</dc:creator>
		<pubDate>Fri, 06 Mar 2009 14:42:55 +0000</pubDate>
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		<description>「建築家たちの東京中央郵便局に対する不穏な憶い」

この東京中央郵便局の保存問題が、鳩山大臣のおかげでメディアに取り上げられるなか、建築諸団体の動きが鈍いのは、やはり建設業の馴れ合い体質を意識しての実態であろうと思われる。況してや建築家協会のマスコミへのアッピールも名声のない建築家の集まり（運動）ではどうしようもないのは扱く当然ではないだろうか。少なくとも日本における世界的な賞を受賞している建築家の先生方から何らかのメッセージが必要なのであり、それが聞こえてこないのはどういうことなのか？。帝国ホテルを守れなかったのが惜しまれて忍びないと語っていたのは、壊されてゆく明治の建築を保護し、明治村の開設に尽力した建築家谷口吉郎であった。大正や昭和の建築も、一般にひとが抱くほど明治の建築に比べて劣るような建築では決してなかったはずであろう。一般のひとが東京中央郵便局をどうでもよい建築と評するのはしょうがないにしても、いまの建築家の姿勢がデザインの既得権益だけで建築家として署名され、旧いものを顧みない・・・これは将来、日本に於いて大きな痛手を負うであろうことは間違いない・・・果たして建築家の責務とは何だろうか・・・考えさせられる。きっと吉田鉄郎だけではなく戦前の建築家たちの落胆乃至は罵声が聞こえてきそうであるのだが、いまの建築家たちの東京中央郵便局に対する不穏な憶いが本意であるならば残念でならない。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>「建築家たちの東京中央郵便局に対する不穏な憶い」</p>
<p>この東京中央郵便局の保存問題が、鳩山大臣のおかげでメディアに取り上げられるなか、建築諸団体の動きが鈍いのは、やはり建設業の馴れ合い体質を意識しての実態であろうと思われる。況してや建築家協会のマスコミへのアッピールも名声のない建築家の集まり（運動）ではどうしようもないのは扱く当然ではないだろうか。少なくとも日本における世界的な賞を受賞している建築家の先生方から何らかのメッセージが必要なのであり、それが聞こえてこないのはどういうことなのか？。帝国ホテルを守れなかったのが惜しまれて忍びないと語っていたのは、壊されてゆく明治の建築を保護し、明治村の開設に尽力した建築家谷口吉郎であった。大正や昭和の建築も、一般にひとが抱くほど明治の建築に比べて劣るような建築では決してなかったはずであろう。一般のひとが東京中央郵便局をどうでもよい建築と評するのはしょうがないにしても、いまの建築家の姿勢がデザインの既得権益だけで建築家として署名され、旧いものを顧みない・・・これは将来、日本に於いて大きな痛手を負うであろうことは間違いない・・・果たして建築家の責務とは何だろうか・・・考えさせられる。きっと吉田鉄郎だけではなく戦前の建築家たちの落胆乃至は罵声が聞こえてきそうであるのだが、いまの建築家たちの東京中央郵便局に対する不穏な憶いが本意であるならば残念でならない。</p>
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	</item>
	<item>
		<title>遠州 より</title>
		<link>http://www.archi-channel.com/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e8%bf%91%e4%bb%a3%e5%bb%ba%e7%af%89%e3%80%80modern-architecture-in-nippon/comment-page-1/#comment-186</link>
		<dc:creator>遠州</dc:creator>
		<pubDate>Wed, 04 Mar 2009 12:46:06 +0000</pubDate>
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		<description>建築学会シンポジウムの連絡、ありがとうございます。

西欧で生み出された近代建築とそれを受容した日本。西欧における近代と日本の近代を問い
直す意義深いテーマですね。特に、山口文象氏と前川國男氏がどう論じられるかに興味があります。
何とかスケジュールを都合して、3月13日は出席しようと思います。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>建築学会シンポジウムの連絡、ありがとうございます。</p>
<p>西欧で生み出された近代建築とそれを受容した日本。西欧における近代と日本の近代を問い<br />
直す意義深いテーマですね。特に、山口文象氏と前川國男氏がどう論じられるかに興味があります。<br />
何とかスケジュールを都合して、3月13日は出席しようと思います。</p>
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	</item>
	<item>
		<title>伊神 より</title>
		<link>http://www.archi-channel.com/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e8%bf%91%e4%bb%a3%e5%bb%ba%e7%af%89%e3%80%80modern-architecture-in-nippon/comment-page-1/#comment-180</link>
		<dc:creator>伊神</dc:creator>
		<pubDate>Wed, 04 Mar 2009 01:34:22 +0000</pubDate>
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		<description>遠州様、時間があったら御参加ください。

シンポジウム「近代建築史の最先端」
第5回　近代(日本)×近代(西洋)−「機能主義」再読の可能性

 近年の近代建築史研究の深まりは、これまで通説として理解されてきた
近代建築の理論とその枠組みに対し、さまざまな角度から再考をうながし
てきている。その成果は、従来の近代建築史像に修正を迫るだけでなく、
新たな研究手法の展開を予期させるものがある。近代建築を生み出した
西洋と、それを受容してきた日本、両者の近代建築史研究を横断する共通
のプラットホーム構築の可能性も、そのひとつと言えよう。たがいの問題
意識を共有させることで、近代建築の新たな読解可能性や、これまで見過
ごされてきた姿が逆に浮かび上がってくるのではないだろうか。両分野で
新たなアプローチを試みている研究者を招き、その研究成果を披露いただ
きながら、近代(日本)と近代(西洋)の「交配」の作業を試みていきたい。

＜主催＞建築歴史・意匠委員会　近代建築史小委員会
＜日時＞ ２００９年３月１３日（金）13：00〜17：00
＜会場＞建築会館会議室
＜定員＞５０名
プログラム
１．主旨説明：藤谷陽悦(日本大学)
２．各論発表
Part ㈵：モダニズム運動の震源へ
1）「ヴァルター・グロピウスの機能主義とその特性」
　                        冨田英夫(呉工業高等専門学校)
2）「山口文象の『ドイツ日記』を読む」
 　　　　　              田所辰之助(日本大学)
コメンテーター：大川三雄(日本大学)

Part ㈼：合わせ鏡としてのル・コルビュジエ
1）「フーゴー・ヘーリンクのＣＩＡＭ離脱と高層住宅−低層住宅論争」
　　　　　　　　　　　 中江研(神戸大学)

2）「前川國男と日本−太平洋戦争下の思考」
 　　　　　             松隈洋(京都工芸繊維大学)
コメンテーター：千代章一郎(広島大学)
３．パネル・ディスカッション−「機能主義」再読の可能性をめぐって
司　　会：西澤泰彦(名古屋大学)
パネラー：各論発表者
４．まとめ ：足立裕司(神戸大学)

参加費：会員1,500円  会員外2,500円
　　　　  登録メンバー2,000円 学生 1,000円
申込方法：E-mailまたはFaxにて、催物名称、氏名、勤務先・所属、
          同電話番号、E-mailアドレスを明記のうえ、申し込んでくだ
          さい。定員に達した場合は、お断りの方にのみご連絡します。
申込先：研究事業Ｇ　酒井
　　　　　　E-mail: sakai@aij.or.jp　　Fax:03-3456-2058</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>遠州様、時間があったら御参加ください。</p>
<p>シンポジウム「近代建築史の最先端」<br />
第5回　近代(日本)×近代(西洋)−「機能主義」再読の可能性</p>
<p> 近年の近代建築史研究の深まりは、これまで通説として理解されてきた<br />
近代建築の理論とその枠組みに対し、さまざまな角度から再考をうながし<br />
てきている。その成果は、従来の近代建築史像に修正を迫るだけでなく、<br />
新たな研究手法の展開を予期させるものがある。近代建築を生み出した<br />
西洋と、それを受容してきた日本、両者の近代建築史研究を横断する共通<br />
のプラットホーム構築の可能性も、そのひとつと言えよう。たがいの問題<br />
意識を共有させることで、近代建築の新たな読解可能性や、これまで見過<br />
ごされてきた姿が逆に浮かび上がってくるのではないだろうか。両分野で<br />
新たなアプローチを試みている研究者を招き、その研究成果を披露いただ<br />
きながら、近代(日本)と近代(西洋)の「交配」の作業を試みていきたい。</p>
<p>＜主催＞建築歴史・意匠委員会　近代建築史小委員会<br />
＜日時＞ ２００９年３月１３日（金）13：00〜17：00<br />
＜会場＞建築会館会議室<br />
＜定員＞５０名<br />
プログラム<br />
１．主旨説明：藤谷陽悦(日本大学)<br />
２．各論発表<br />
Part ㈵：モダニズム運動の震源へ<br />
1）「ヴァルター・グロピウスの機能主義とその特性」<br />
　                        冨田英夫(呉工業高等専門学校)<br />
2）「山口文象の『ドイツ日記』を読む」<br />
 　　　　　              田所辰之助(日本大学)<br />
コメンテーター：大川三雄(日本大学)</p>
<p>Part ㈼：合わせ鏡としてのル・コルビュジエ<br />
1）「フーゴー・ヘーリンクのＣＩＡＭ離脱と高層住宅−低層住宅論争」<br />
　　　　　　　　　　　 中江研(神戸大学)</p>
<p>2）「前川國男と日本−太平洋戦争下の思考」<br />
 　　　　　             松隈洋(京都工芸繊維大学)<br />
コメンテーター：千代章一郎(広島大学)<br />
３．パネル・ディスカッション−「機能主義」再読の可能性をめぐって<br />
司　　会：西澤泰彦(名古屋大学)<br />
パネラー：各論発表者<br />
４．まとめ ：足立裕司(神戸大学)</p>
<p>参加費：会員1,500円  会員外2,500円<br />
　　　　  登録メンバー2,000円 学生 1,000円<br />
申込方法：E-mailまたはFaxにて、催物名称、氏名、勤務先・所属、<br />
          同電話番号、E-mailアドレスを明記のうえ、申し込んでくだ<br />
          さい。定員に達した場合は、お断りの方にのみご連絡します。<br />
申込先：研究事業Ｇ　酒井<br />
　　　　　　E-mail: <a href="mailto:sakai@aij.or.jp">sakai@aij.or.jp</a>　　Fax:03-3456-2058</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>伊神 より</title>
		<link>http://www.archi-channel.com/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e8%bf%91%e4%bb%a3%e5%bb%ba%e7%af%89%e3%80%80modern-architecture-in-nippon/comment-page-1/#comment-178</link>
		<dc:creator>伊神</dc:creator>
		<pubDate>Tue, 03 Mar 2009 13:26:24 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://www.archi-channel.com/?page_id=194#comment-178</guid>
		<description>伊神です。酩酊といえば中川大臣であったが、再開発案が決まって動きだしたかにみえた東京中央郵便局に待ったがかかった。（選挙からみもあるやもしれないが、救世主となってくれればと思っている）

「酩酊する東京中央郵便局」

いま、かんぽの入札問題で、日本郵政と国で揺れている。これが発端で鳩山邦夫大臣が日本郵政に噛み付いてる。そこで本丸の「東京中央郵便局」の建て替え計画へ、ついには波及したかたちとなった。わたしから言わせれば「いまさら何だ！」と言いたい。これまで保存に尽力し活動してきたひとたちのエネルギーが吹っ飛んでしまう出来事と感じた。聞くに及ぶと日本郵政は文化庁から言われた「改築案では重要文化財指定を解除する」ということを東京都に話しをせずに役所手続きをし本計画を実施しようとしていたらしい。まあ、これまでの経緯を見れば、設計入札（ヤーンは表向きで三菱地所が獲得）や業者入札（大成建設）も、これまでの対応を見れば怪しまれることも承知で強引に奨める開発業者の利益優先の方針と日本郵政の姿勢は、いくら民と言えども歴史的（一般からすれば建築なんかは文化というよりも資産としか感じないのであろうが）観点にたてば、鳩山大臣が言われるとうに国の恥じとか国辱と言われてしかるべきであろう。前から一部の議員（河村氏など）を巻込んでの保存要望の運動を起していのだが、それが鳩山大臣には届いていなかったのか?。こんな文化庁や申請を許可した東京都、それに政治家たちの本意は、国を良い方向へ舵をとるというヴィジョンがすでに欠けているし、以前にも話したのだが建築に携わるひとたちのモダニズム建築への理解が一般人は疎か優秀なる建築家のあいだでも議論とならないのは寂しい限りである。この惨事を見ていて日本の将来が、このこと（麻生政権）だけではなく行末が偲ばれてしようがない。即刻、文化財に指定して郵政博物館として本体を使い継続させ国民にこれまでの郵便事業の歴史やあり方などを公開する場として活用して欲しい旨を望む次第である。言っておきたいのは、日本にとってモダニズム建築の最高峰（端緒でありデザイン的にすぐれ、教育的価値が存する）でああったということを・・・。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>伊神です。酩酊といえば中川大臣であったが、再開発案が決まって動きだしたかにみえた東京中央郵便局に待ったがかかった。（選挙からみもあるやもしれないが、救世主となってくれればと思っている）</p>
<p>「酩酊する東京中央郵便局」</p>
<p>いま、かんぽの入札問題で、日本郵政と国で揺れている。これが発端で鳩山邦夫大臣が日本郵政に噛み付いてる。そこで本丸の「東京中央郵便局」の建て替え計画へ、ついには波及したかたちとなった。わたしから言わせれば「いまさら何だ！」と言いたい。これまで保存に尽力し活動してきたひとたちのエネルギーが吹っ飛んでしまう出来事と感じた。聞くに及ぶと日本郵政は文化庁から言われた「改築案では重要文化財指定を解除する」ということを東京都に話しをせずに役所手続きをし本計画を実施しようとしていたらしい。まあ、これまでの経緯を見れば、設計入札（ヤーンは表向きで三菱地所が獲得）や業者入札（大成建設）も、これまでの対応を見れば怪しまれることも承知で強引に奨める開発業者の利益優先の方針と日本郵政の姿勢は、いくら民と言えども歴史的（一般からすれば建築なんかは文化というよりも資産としか感じないのであろうが）観点にたてば、鳩山大臣が言われるとうに国の恥じとか国辱と言われてしかるべきであろう。前から一部の議員（河村氏など）を巻込んでの保存要望の運動を起していのだが、それが鳩山大臣には届いていなかったのか?。こんな文化庁や申請を許可した東京都、それに政治家たちの本意は、国を良い方向へ舵をとるというヴィジョンがすでに欠けているし、以前にも話したのだが建築に携わるひとたちのモダニズム建築への理解が一般人は疎か優秀なる建築家のあいだでも議論とならないのは寂しい限りである。この惨事を見ていて日本の将来が、このこと（麻生政権）だけではなく行末が偲ばれてしようがない。即刻、文化財に指定して郵政博物館として本体を使い継続させ国民にこれまでの郵便事業の歴史やあり方などを公開する場として活用して欲しい旨を望む次第である。言っておきたいのは、日本にとってモダニズム建築の最高峰（端緒でありデザイン的にすぐれ、教育的価値が存する）でああったということを・・・。</p>
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