9 月
28
2008
大きな地図で見る
敷地:東京都東久留米市学園町
竣工:昭和10年(1935年)
Location:Gakuencho,Higashikurume City,Tokyo
Establishment:1935
感想 Impression
4月20日、自由学園南澤キャンパスを見学してきました。フランク・ロイド・ライトに師事し、旧帝国ホテルの設計工事監理に従事した遠藤新氏の設計で、1929年に初等部、1934年に女子部そして1935年に男子部の順に各校舎が竣工し今も尚、現役で使用されている初等部から高等部まで一貫教育の私立学校です。以下にその印象を纏めましたので、ご一読戴ければ幸いです。
東久留米市南澤の緑豊かな敷地に広がるキャンパスの正門を入って直ぐ左側にあるクラブハウスに集合してから見学は始まりました。各校舎は分散して配置され、まず最も古い初等部の講堂及び教室棟の外観だけを見学しました。簡素な素材で意匠された端正な外観が好ましく、中庭を挟んで講堂から渡り廊下、教室が左右対称に有機的につながっている平面からは師のフランク・ロイド・ライトの影響が感じられます。
初等部の渡り廊下を通り抜けて、緩やかに北に向かって下っていくと突然、視界が開けて広々とした緑の芝生が眼に飛び込んできました。南側に広大な芝生の庭(運動場)を抱えた女子部の校舎が土堤の丘から一望に見渡せる爽快な景観です。女子部の校舎も初等部と同じように、中庭を挟むように北側奥の食堂を中心に、その両翼は池を挟んで教室を向かい合わせに並べ、食堂から伸びる廻廊でそれらを繋いでいます。南に下った地形に合わせて低く置かれた体操館によって、ぐるりと緩やかに囲まれた芝の中庭の小さな広場のようなスケール感が心地良く、美しいハーモニーを奏でるような全体構成が秀逸です。女子部の見学では、講堂と食堂の内部を見ることが出来ましたが、西側に一段高く構えられた講堂は生憎、外部が改修中でした。遠藤氏には講堂に対する独自の考えがあり、自ら魚料理になぞらえて「三枚おろし」と呼んだ構造と断面上の工夫を施して数々の講堂の設計をしていたという。魚を三枚におろすように、建物を縦に割いて中身の中央と脇身の左右両側に3分割する。中央と左右の間の魚の中骨にあたる部分に長手の組梁を入れ、これに屋根を架けることで、小屋組が小さくなり、中央部分の天井は高くなる。両側の脇身部分は葺きおろして軒高を低く抑えることで、建物全体の高さが低くなって経済的になり、断面も美しく引き締まった姿になるなどのメリットを挙げている。この女子部の講堂でもこの構造方式がとられ、三分割された中央部分の天井は高く、両サイド部分の天井は低く軒高が抑えられ、内部空間にメリハリをつけ落ち着いた雰囲気を生み出しているようです。整然とした全体構成の中、西側の高い地盤に位置する講堂の高さが抑えられ、低い地盤に建つ平屋の食堂棟や教室、体操館のボリュームと違和感なく調和している姿が好ましい。食堂棟は女子部の中心施設としての象徴性が、切妻屋根と列柱、縦長の開口で構成された相称的な立面で表現され、ライトが手掛けた自由学園明日館の意匠を踏襲しながら更に近代主義の美学で味付けをしたような印象を持ちました。
敷地の北側奥にある女子部を巡ってから、再び広い芝生のグラウンドを横切って南下すると、一番おそくに建てられた男子部校舎に辿り着きます。初等部・女子部と共通した中庭を囲んだ配置で、中央東側奥の体育館の両サイドに片流れ屋根の教室が直線的に並ぶ構成です。正面体育館の立面も女子部食堂棟と同様、列柱と縦長の開口のパターンでデザインされていますが、フラットな屋根と両翼に伸びる廻廊の大きな壁面とアーチ型開口の存在によって、全体が男性的に力強く纏められています。
見学が終わり正門を出ると、今観たキャンパスの風景が再び頭に浮かびました。70年以上の長い歳月が経過した学園の大らかで人間的な環境が良好に維持され、今も現役として生徒達をはぐくんでいることは、建築が社会資産しての使命を全うしている理想的な姿ではないでしょうか。
On April 20th, it visited Jiyu Gakuen Minamisawa campus. By the design of Arata Endou to have done a teacher thing to Frank Lloyd Wright and to have engaged in old Imperial Hotel’s design supervision of construction work, a beginning class has been completed in 1929 and and then, each schoolhouse has [...]
Tags: modern
9 月
19
2008
大きな地図で見る
敷地:滋賀県甲賀市水口町名坂
創建:江戸時代(1624~1643年)
Location:Nasaka,Minakuchicho,Kouka City,Shiga Prefecture
Establishment:Edo period(1624~1643)
感想 Impression
山中を切り開いた薄暗いアプローチの路を曲がりながら歩いて往くと、突然視界が開け、寺院の南門に通じた一直線の舗石道が現われます。ここ大池寺は四周を山と満々と水を湛えた大きな貯水池に囲まれた静寂な禅刹です。
低い刈り込みで両側を縁取られた舗石道を直進して南門を入ると、美しい松が置かれた白砂の平庭が広がっている。平庭に敷かれた舗石道を右折して庫裏の玄関に到り、中に入って庫裏書院でしばし待たされてから案内して貰い、西に進んで廊下を右折して北へ向かうと、右手にある書院の東に波のようにうねるサツキの大刈り込みの蓬莱庭園が眼に飛び込んできました。
この鑑賞式庭園は江戸時代初期の17世紀の寛永時代に作庭されたと言われています。背景のサツキの二重刈り込みと左右の刈り込みは打ち寄せる大波を表現し、その前の白砂の水面上に小さく整形されたサツキを乗せた刈り込みは、宝を積んだ宝船が到着した姿を現しているという。訪れた時期が五月下旬という季節であったため、曲線を描いて柔らかく刈り込まれたサツキの表面を紅白の花が入り乱れて咲いている華麗な光景を運よく眺めることが出来ました。刈り込みという手法で植物をこれほど柔らかく美しいものであることを伝える作庭者の優れた造形感覚に感心するばかりです。
The scenery spreads out suddenly and the straight pavement stoue road which is well-informed about the gate of the south at the temple appears when turning at the route of the dim approach which opened to be in the mountains, but walking and going. Separate Daichi-ji temple is the silent Zen temple [...]
Tags: tradition
9 月
19
2008
大きな地図で見る
敷地:滋賀県彦根市金亀町
創建:江戸時代(1643年)
Location:Konkicho,Hikone City,Shiga Prefecture
Establishment:Edo period(1643)
感想 Impression
彦根城の外堀と内堀に囲まれた玄宮園と楽々園は、江戸時代(17世紀)に作庭された一つの庭園が二つに分けられた形になっています。西側にある楽々園が玄宮園の一部を19世紀初めに改造して作ったものと謂われ、枯山水形式の庭園になっていますが、規模も小さく東隣の玄宮園の添え物的な感が否めません。
玄宮園は、琵琶湖から引いた水を満々と湛えた大きな池を中心にした廻遊形式の広大な庭園です。園内には数奇屋風な建築が池に張り出し、島が浮かび、橋が架けられ、巨大な石組があり、この園を訪れる者を飽きさせない多彩な仕掛けがちりばめれていて、大いに楽しめます。池の周囲の遊歩道を歩いて北岸から池を望むと、西北岸に渡る橋や小さな中島の向こうに臨池閣と呼ばれる茅葺きの建築が水面に浮かぶように架け出されている。その背後の樹林越しには彦根城天守閣の白く美しい姿が借景として望見され、この庭園の見所と言えるでしょう。更に池沿いに北岸から東岸へ廻り込んでいくと、土橋が架かった大きな凹形の中島がある。この島の西岸に沿って鶴を模した石組の巨石が自然に立てられ、後ろの松や刈り込みともよく調和した景色がつくられている。東岸から南下して行くと、池に浮かぶ三つ目の中島が現れ、ここに架かる石の橋脚に支えられた橋を渡ると、さっきの池に張り出した臨池閣より南西の築山の上に位置する茶屋に出ます。鄙びた趣のある建築ですが、鳳翔台と呼ばれ、江戸時代には彦根藩主が客をもてなすための客殿だったと伝えられています。いかにも客殿に相応しく玄宮園全体の眺望を鑑賞するには絶好の場所でした。座敷に上がり、供された薄茶を喫しながら庭園の美しい景色を眺めていると、しばし時の流れを忘れさせてくれます。
Rakurakuen becomes the form which the 1 corner garden which was done with the landscape in the Edo period ( the 17th century ) was completely classified into with Genkyuen who was surrounded by the outer moat and the inner moat in Hikone-jo. It becomes the garden of the one [...]
Tags: tradition
9 月
19
2008
大きな地図で見る
敷地:兵庫県小野市浄谷町
創建:鎌倉時代(1192年)
Location:Kiyotanicho,Ono City,Hyogo Prefecture
Establishment:Kamakura period(1192)
感想 Impression
兵庫県南西部、かつて播磨の国と呼ばれた地域を走る神戸電鉄粟生線に長々と揺られ、小野駅で降りてから1時間程、北東に歩くと、道路沿いの右側に開いた空地に国宝極楽山浄土寺と大書された看板が見えてきます。奥を望むと、小高い丘の上に本瓦屋根が載せた阿弥陀堂が巡礼者を迎えてくれるかのように西に向かって建っていました。浄土寺へはここから東へ伸びた道を進み、突き当たりの丘を迂回した南側から石の階段を上がって到ります。
丘の上は、ひっそりとうらぶれた雰囲気の境内が拡がり、中央の池を挟んで東西に薬師堂と浄土堂が対峙し、目的の浄土堂(阿弥陀堂)は拍子抜けするほどあっけらかんと建っていました。その外観は3スパン約18㍍四方の正方形平面に本瓦葺きの宝形の寄棟屋根が載り、柱・梁・肘木などの架構は朱色に塗られ、三方に濡れ縁が廻されている。寺院建築には珍しく、屋根はまっすぐ葺かれてほとんど反りがなく、立方体に宝形屋根が乗せられた幾何学的なフォルムをもつ阿弥陀堂です。浄土寺は12世紀末、東大寺再建の大勧進職にあった重源が東大寺所領の播磨の地に創建した念仏道場と伝えられています。その阿弥陀堂である浄土堂は、昭和30年代の修復はあったものの、8世紀に及ぶ時の流れに耐え当初の姿のまま残っています。浄土堂は大仏様という中国の特異な建築様式でつくられており、この様式は著名な東大寺南大門の他は浄土堂だけがその遺構とされている貴重な建築です。
石階段から濡れ縁に上がり北側から堂内に足を踏み入れると、そっけない外観とは打って変わって、正方形平面の中央に置かれた円形台座に立つ金色の阿弥陀立像を中心とした劇的な空間が展開していました。丈5m余りの阿弥陀立像を囲むように四本の朱色の太い独立円柱が天井のないピラミッド状の屋根裏まで達して伸び、各円柱からは直角と斜めの三方向に朱色の丸太梁が上方に三段に組まれながら側柱に向かって飛び交っている。その姿は和様の寺院建築とは一線を画す荒々しくダイナミックな構築力に満ち溢れています。阿弥陀立像は東を向き、その背後の西面は全てスパン一杯の蔀戸で開放されるようになっています。夏の夕刻時に蔀戸を上げると西陽が堂内に射し込み、金色の阿弥陀如来が後光を発して輝き、阿弥陀仏来迎の光景が現出すると伝えられています。蔀戸を上げるのは年に一回らしく、体験するのは難しい。ただそういう光景に立ち会ってみたいと思う程、巨大な阿弥陀立像を囲んで念仏を唱える人々が集まる空間を覆う架構体に漲る力強さは圧倒的なものがありました。
浄土堂を建立した重源は12世紀末の同時代に焼亡した東大寺の大仏殿と南大門を勧進による資金で再建するという大事業を成し遂げています。1190年に東大寺大仏殿、1192年に浄土寺浄土堂、1199年に東大寺南大門という順で完成し、いずれも中国から技術移転した大仏様(天竺様)という建築様式でつくられている。それまでの日本の寺院建築には見られないような豪壮な架構が特徴ですが、特にこの浄土堂は小規模ながら大仏様に基づいた構築性が最も純粋に表現されているようです。
When walking for about 1 hour northeast after being for a long time jolted by Kobe Electric Railway Ao Line which runs in the storehouse Agata southwest, the area which was called a country in Harima formerly and getting off in Ono station, national treasure sky mountain Jodoji and the signboard which [...]
Tags: tradition
9 月
17
2008
大きな地図で見る
敷地:奈良市水門町
創建:江戸時代(1670年代)
Location:Suimoncho,Nara City
Establishment:Edo period(1670s)
感想 Impression
依水園は江戸時代の1670年代に作庭された奈良市唯一の池泉回遊式庭園です。池は園の南を流れる吉城川から給水され、敷地は東西に長く西側の前園と東側の後園から構成されている。
玄関を通って園内に入ると、まず前園の池が広がり、池向こうの西端に茅葺きの田舎家「三秀亭」があります。前園はこの三秀亭を中心に前面の池の護岸の石組みと池に浮ぶ二つの中島や石橋、要所に配置された灯籠など縮小江戸時代の作庭を偲ばせる雰囲気があります。園内を西から東に走る流れに沿って路地を進んでいくと自然と後園に導かれます。すると視界が一気に広がる開けた庭が展開し、東方のツツジの刈り込みの向こうに浮び上がる東大寺南大門の雄姿や遠く若草山、春日山、御蓋山など奈良の山々が借景として取り入れられた素晴らしい眺望が楽しめます。池を中心とした作庭は前園と同じですが、開けた庭に広がる池の中央に浮ぶ中島とその向こうにあるなだらかに隆起した芝山が遠景の山と連なり、庭園に深い奥行き感をもたせているようです。依水園は世界遺産の東大寺に囲まれた環境にあり、現在も古の奈良の景観を守りながら四季の趣きを楽しめる庭園として維持されています。
Isuien Garden is the only garden which migrates in the pond of Nara City which was done with the landscape in the 1670s of the Edo period. Watered from Yoshiki river which flows in the south at Garden by the pond and Site’s consisting of pre- garden in the west side and rear [...]
Tags: tradition
9 月
17
2008
大きな地図で見る
敷地:奈良市雑司町
創建:江戸時代(1669年)
Location:Zoushicho,Nara City
Establishment:Edo period(1669)
感想 Impression
<!– @page { size: 21cm 29.7cm; margin: 2cm } P { margin-bottom: 0.21cm } –>
三月堂北の階段を登った高台には、懸崖造の二月堂が西面して聳え立っています。有名なお水取り(修二会)の時期であったためか、二月堂周辺には多くのアマチュアカメラマンの群れが陣取って、盛んに二月堂のベストアングルを探っていました。下から二月堂を見上げると三方を取り囲んだ舞台を支える肘木と床下に連続する柱、格子が織りなすパターンが美しい。堂の脇の石階段を登って、南から入堂し西側に跳ねだした舞台に出ると目前に大仏殿屋根の遠景が見え、奈良の街や遠く生駒の山まで一望です。北へ廻って屋根の架かった渡り廊下を降りて、二月堂裏の緩やかな石畳の参道を土壁や石垣の壁に囲まれて降りて行くと、辺りは長閑な雰囲気が漂い、振り返ると石階段の上に二月堂の優美な姿が浮かび上がっていました。
Nigatsudo of the over hanging bluff appearance faces to the west and dominates the hill which climbed stairs in the Sangatsudo north.The group of a lot of amateur photographers was occupied around Nigatsudo and explored the best angle of [...]
Tags: tradition
9 月
17
2008
大きな地図で見る
敷地:奈良市雑司町
創建:天平時代(738年)
Location:Zoushicho,Nara City
Establishment:Tenpyo period(738)
南大門から大仏殿をぬけ、東方の丘に上って奥に進んで緩やかな階段を登っていくと、まず法華堂こと三月堂の悠然とした姿が見えてきます。三月堂は東大寺創建より以前(738~748年)に建立されていたと謂われており、天平時代の建築である寄棟造りの本堂(南棟)に後世の鎌倉時代(1199年)に増築された礼堂(北棟)が繋がって成り立っている。
東の側面を観ると、増築した部分の軒先が若干膨らんでいるが、巧みに屋根全体の形が整えられ、さほど目障りになることもありません。古来より日本の建築に於いては、屋根が美的上重要な要素とされてきたが、この三月堂を観ると、重厚な本瓦葺き屋根が描く大らかで優美な曲線に魅了されます。屋根の形態のよさや棟両端部の納まりの簡素さ、軒先の微妙な反り具合などが相まって、屋根全体を軽快に表現することに成功しているように感じられました.。尚、南側の本堂背面に廻ると、この建築の原形の姿が見られましたが、大陸的な左右対称の悠然としたプロポーションには品格があります。三月堂は、八世紀の創建の姿から後世に改変を加えられることで更に秀逸な建築に昇華した美しい寺院建築です
The leisure appearance of Hokkedo thing Sangatsudo can be almost seen when it is possible to pull out the Great Buddha Hall from the Great South Gate, and rising up to the hill in the east and advancing towards the back and climbing gentle stairs. The place of worship to have said that [...]
Tags: tradition
9 月
17
2008
大きな地図で見る
敷地:奈良市雑司町
創建:鎌倉時代(1199年)
Location:Zoushicho,Nara City
Establishment:Kamakura period(1199)
感想 Impression
春日大社を行った道を西に戻り、奈良公園を歩き鹿を観たりしながら北へ歩くと、東大寺伽藍の正門である南大門に到達します。2層の大屋根が聳え、高さ26mに及ぶ威風堂々たる南大門ですが、オリジナルは1180年の平氏の焼打ちで焼失してしまい、現在の姿は朝廷から東大寺勧進職に任じられた俊乗房重源上人によって1199年に再建されたものです。南大門は大仏様(天竺様)と言われる南中国の建築様式を導入して造られており、基壇上から直径約1mの列柱が宙高く約24m伸びて、上層の屋根裏まで達しています。また柱の上部には深い屋根を支える肘木という大仏様特有な組み物が水平に迫り出し、その先端を門の間口一杯に繋ぎの貫きが何本も横に走りながら、屋根裏まで重層しています。その架構は荒削りで素朴ですが、構築の力強さが漲っていて迫力を感じます。門に入って内部を見上げると、更に迫力ある構造が見られます。林立する円柱群が頂部の化粧屋根裏まで伸び、それを繋ぐ貫きが四方に何段にも出ている眺めは壮観の一言です。現在、南大門と同様に鎌倉時代に重源によって再建された大仏殿は戦国時代の戦乱で再び焼失してしまい、江戸時代に経済的な理由から天平時代の創建より間口が縮小された形でみたび再建されましたが、本来の桁外れに巨大な姿が見られません。それ故、南大門はその後の日本では見られなくなった豪放磊落な大仏様の貴重な遺構です。
It reaches the Great South Gate which is a front gate at the Todai-ji temple when returning to the west and walking to the north in Nara Park in the way of doing Kasuga-taisha while seeing a walking deer. The big roof in 2 layers towered and was the Great South Gate which [...]
Tags: tradition
9 月
17
2008
大きな地図で見る
敷地:奈良県天理市布留町
創建:室町時代(1300年)
Location:Furuchou,Tenri City, Nara Prefecture
Establishment:Muromachi period(1300)
感想 Impression
有名な天理教の教会本部から南東約1km、 布留山の麓の鬱蒼とした森の中に石上神宮はあります。県道から東方向へ入る緩やかな参道を登って往くと、古色蒼然とした鳥居に迎えられ、潜ってさらに東に 進むと、さほど広くない境内に古代の社が広がっていました。石上神宮は、飛鳥時代の豪族、物部氏の氏神で日本最古の神社の一つとして、古代国家の信仰の中 心的存在であったといわれています。鶏が放し飼いにされた社務所のある広場を過ぎ、奥の緩やかな石段を上ってゆくと、南向きの楼門があり、この楼門向かい の急峻な石段を上がった丘の上に、摂社出雲建雄神社と拝殿が鎮座しています。
広場を挟んで東側の神社と対面して建つ拝殿には、中央に馬道(めどう)と呼ばれる通路を設けた割拝殿という様式の典型的なものであるという。拝殿は平屋で細長く、檜皮葺の切妻屋根が架かり、中央1間 に土間で裏の崖側に通り抜けられる吹き放しの馬道がつけられ、南北に室が割られた形になっている。馬道の上部には桁行方向の切妻の棟と直交する柔らかな起 りと先端に反りをもった唐棟が切妻の軒先に被って突き出し、馬道左右の室部分は三方に縁が廻り、正面、裏面、馬道側の柱間には上部に格子が入った引違舞良 戸が建てられいる。この拝殿を下の階段から見上げると、切妻屋根の軒先が描く鋭いラインと対比的な柔らかく優美な曲面の棟の重なりが美しい。また軒先端部 や軒裏の垂木の緩やかな反り、柱間に連続する格子のパターンなどが織り成すハーモニーによって、近代建築に通じるような透明感や軽快感を漂わせているよう です。
There is Isonokamijinguu in the forest in the foot in about 1 km of the southeast, on Furu mountain to be thick from the church headquarters in flagrant Tenrikyo. It was greeted by the aged torii when climbing the gentle approach to Shrine [...]
Tags: tradition
9 月
17
2008
敷地:奈良市忍辱山町
創建:平安時代(1026年)
Location:Ninnikusenchou,Nara City
Establishment:Heian period(1026)
感想 Impression
奈良市街から北東の山里、石仏で著名な柳生街道沿いにある円成寺は、平安時代末期に創建されたとみられています。境内の東に吊り下げられた注連縄を潜って中 に入ると、左手に中島のある池を中心とした平安時代の面影を残す静かな浄土式の庭園が広がっています。池の中島にはかつて南岸からは太鼓橋が、北岸へは平 らな橋が架かっていて、池の南から寺院のある北岸(彼岸)側へ渡ることができたといわれています。ぐるりと池を西から南に巡ってみると、池の向こう岸の正 面、石階段上の高台に優美な檜皮葺きの楼門が聳え、その奥に燈籠、本堂が鎮座しているのが見えます。楼門は三間一戸、反りのある軒をもつ入母屋檜皮葺きの 重厚な屋根とスレンダーな円柱で構成された姿からは均整がとれた美しさが感じられました。池の南岸から中島を経由して北岸(彼岸)へ橋を優雅に渡って正面の楼門から浄土の世界へアプローチした面影が中島に残る橋が架かっていた痕跡の石組から偲ぶことができます。参拝するにはこの楼門からではなく、西寄りにある惣門を潜り本坊を経て寺院に到ります。
円成寺の建築群は、本堂を中心にその東の石垣上に鎮守社の白山堂、春日堂が並んで立ち、他に宇賀神本殿、運慶作の大日如来坐像を安置する多宝塔などがあります。本堂は、入母屋造、檜皮葺風銅板葺き(元は柿葺き)ですが、勾配が緩く、軒・庇の先端が軽快に反った優美な曲線の屋根はオリジナルの柿葺きのほうがしっくりくる感じです。寺院には珍しく妻側から入り、中央に階段がつけられ左右の柱間に一段上がった高床式の舞台が設けられている。深い庇に覆われ、綺麗 に手入れされた床の舞台は、能など催されていたかと思わせるような野外ステージ仕立てになっています。この舞台にどんな機能があったのかは知る由もありま せんが、本堂の正面を風が吹き渡るような快い空間にしています。
堂内に入ると、鮮やかに彩色された円柱が眼に飛び込んできました。中央の四方柱に菩薩の絵が描かれ、柱の足許を装飾した飾り物の盛り上がった金箔の曲面が暗い堂内に艶かしい光を放っています。奥の柱の囲まれたところに阿弥陀如来坐像が座り、その外側部分の天井は化粧した垂木が間隔を詰めてびっしり配列され、 隙間に見える白い天井化粧板と織り成す黒白のパターンが心地良く響いています。見学が終わり、再び静かな庭園に出て、池の南に廻って北岸を眺めると、深い 山懐に抱かれ、浄土に到る玄関のような楼門の端正で美しい姿に心が自然と安らかになってくるような感覚になりました。
Enjoji who boils in the famous Yagyu highway going-along on the mountain village in the northeast, in Ishibotoke in it from the Nara City town and is is regarded as being established in the last years in the Heian Period.The garden of the quiet Pure [...]
Tags: tradition