9 月
19
2008
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敷地:滋賀県甲賀市水口町名坂
創建:江戸時代(1624~1643年)
Location:Nasaka,Minakuchicho,Kouka City,Shiga Prefecture
Establishment:Edo period(1624~1643)
感想 Impression
山中を切り開いた薄暗いアプローチの路を曲がりながら歩いて往くと、突然視界が開け、寺院の南門に通じた一直線の舗石道が現われます。ここ大池寺は四周を山と満々と水を湛えた大きな貯水池に囲まれた静寂な禅刹です。
低い刈り込みで両側を縁取られた舗石道を直進して南門を入ると、美しい松が置かれた白砂の平庭が広がっている。平庭に敷かれた舗石道を右折して庫裏の玄関に到り、中に入って庫裏書院でしばし待たされてから案内して貰い、西に進んで廊下を右折して北へ向かうと、右手にある書院の東に波のようにうねるサツキの大刈り込みの蓬莱庭園が眼に飛び込んできました。
この鑑賞式庭園は江戸時代初期の17世紀の寛永時代に作庭されたと言われています。背景のサツキの二重刈り込みと左右の刈り込みは打ち寄せる大波を表現し、その前の白砂の水面上に小さく整形されたサツキを乗せた刈り込みは、宝を積んだ宝船が到着した姿を現しているという。訪れた時期が五月下旬という季節であったため、曲線を描いて柔らかく刈り込まれたサツキの表面を紅白の花が入り乱れて咲いている華麗な光景を運よく眺めることが出来ました。刈り込みという手法で植物をこれほど柔らかく美しいものであることを伝える作庭者の優れた造形感覚に感心するばかりです。
The scenery spreads out suddenly and the straight pavement stoue road which is well-informed about the gate of the south at the temple appears when turning at the route of the dim approach which opened to be in the mountains, but walking and going. Separate Daichi-ji temple is the silent Zen temple [...]
Tags: tradition
9 月
19
2008
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敷地:滋賀県彦根市金亀町
創建:江戸時代(1643年)
Location:Konkicho,Hikone City,Shiga Prefecture
Establishment:Edo period(1643)
感想 Impression
彦根城の外堀と内堀に囲まれた玄宮園と楽々園は、江戸時代(17世紀)に作庭された一つの庭園が二つに分けられた形になっています。西側にある楽々園が玄宮園の一部を19世紀初めに改造して作ったものと謂われ、枯山水形式の庭園になっていますが、規模も小さく東隣の玄宮園の添え物的な感が否めません。
玄宮園は、琵琶湖から引いた水を満々と湛えた大きな池を中心にした廻遊形式の広大な庭園です。園内には数奇屋風な建築が池に張り出し、島が浮かび、橋が架けられ、巨大な石組があり、この園を訪れる者を飽きさせない多彩な仕掛けがちりばめれていて、大いに楽しめます。池の周囲の遊歩道を歩いて北岸から池を望むと、西北岸に渡る橋や小さな中島の向こうに臨池閣と呼ばれる茅葺きの建築が水面に浮かぶように架け出されている。その背後の樹林越しには彦根城天守閣の白く美しい姿が借景として望見され、この庭園の見所と言えるでしょう。更に池沿いに北岸から東岸へ廻り込んでいくと、土橋が架かった大きな凹形の中島がある。この島の西岸に沿って鶴を模した石組の巨石が自然に立てられ、後ろの松や刈り込みともよく調和した景色がつくられている。東岸から南下して行くと、池に浮かぶ三つ目の中島が現れ、ここに架かる石の橋脚に支えられた橋を渡ると、さっきの池に張り出した臨池閣より南西の築山の上に位置する茶屋に出ます。鄙びた趣のある建築ですが、鳳翔台と呼ばれ、江戸時代には彦根藩主が客をもてなすための客殿だったと伝えられています。いかにも客殿に相応しく玄宮園全体の眺望を鑑賞するには絶好の場所でした。座敷に上がり、供された薄茶を喫しながら庭園の美しい景色を眺めていると、しばし時の流れを忘れさせてくれます。
Rakurakuen becomes the form which the 1 corner garden which was done with the landscape in the Edo period ( the 17th century ) was completely classified into with Genkyuen who was surrounded by the outer moat and the inner moat in Hikone-jo. It becomes the garden of the one [...]
Tags: tradition
9 月
19
2008
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敷地:兵庫県小野市浄谷町
創建:鎌倉時代(1192年)
Location:Kiyotanicho,Ono City,Hyogo Prefecture
Establishment:Kamakura period(1192)
感想 Impression
兵庫県南西部、かつて播磨の国と呼ばれた地域を走る神戸電鉄粟生線に長々と揺られ、小野駅で降りてから1時間程、北東に歩くと、道路沿いの右側に開いた空地に国宝極楽山浄土寺と大書された看板が見えてきます。奥を望むと、小高い丘の上に本瓦屋根が載せた阿弥陀堂が巡礼者を迎えてくれるかのように西に向かって建っていました。浄土寺へはここから東へ伸びた道を進み、突き当たりの丘を迂回した南側から石の階段を上がって到ります。
丘の上は、ひっそりとうらぶれた雰囲気の境内が拡がり、中央の池を挟んで東西に薬師堂と浄土堂が対峙し、目的の浄土堂(阿弥陀堂)は拍子抜けするほどあっけらかんと建っていました。その外観は3スパン約18㍍四方の正方形平面に本瓦葺きの宝形の寄棟屋根が載り、柱・梁・肘木などの架構は朱色に塗られ、三方に濡れ縁が廻されている。寺院建築には珍しく、屋根はまっすぐ葺かれてほとんど反りがなく、立方体に宝形屋根が乗せられた幾何学的なフォルムをもつ阿弥陀堂です。浄土寺は12世紀末、東大寺再建の大勧進職にあった重源が東大寺所領の播磨の地に創建した念仏道場と伝えられています。その阿弥陀堂である浄土堂は、昭和30年代の修復はあったものの、8世紀に及ぶ時の流れに耐え当初の姿のまま残っています。浄土堂は大仏様という中国の特異な建築様式でつくられており、この様式は著名な東大寺南大門の他は浄土堂だけがその遺構とされている貴重な建築です。
石階段から濡れ縁に上がり北側から堂内に足を踏み入れると、そっけない外観とは打って変わって、正方形平面の中央に置かれた円形台座に立つ金色の阿弥陀立像を中心とした劇的な空間が展開していました。丈5m余りの阿弥陀立像を囲むように四本の朱色の太い独立円柱が天井のないピラミッド状の屋根裏まで達して伸び、各円柱からは直角と斜めの三方向に朱色の丸太梁が上方に三段に組まれながら側柱に向かって飛び交っている。その姿は和様の寺院建築とは一線を画す荒々しくダイナミックな構築力に満ち溢れています。阿弥陀立像は東を向き、その背後の西面は全てスパン一杯の蔀戸で開放されるようになっています。夏の夕刻時に蔀戸を上げると西陽が堂内に射し込み、金色の阿弥陀如来が後光を発して輝き、阿弥陀仏来迎の光景が現出すると伝えられています。蔀戸を上げるのは年に一回らしく、体験するのは難しい。ただそういう光景に立ち会ってみたいと思う程、巨大な阿弥陀立像を囲んで念仏を唱える人々が集まる空間を覆う架構体に漲る力強さは圧倒的なものがありました。
浄土堂を建立した重源は12世紀末の同時代に焼亡した東大寺の大仏殿と南大門を勧進による資金で再建するという大事業を成し遂げています。1190年に東大寺大仏殿、1192年に浄土寺浄土堂、1199年に東大寺南大門という順で完成し、いずれも中国から技術移転した大仏様(天竺様)という建築様式でつくられている。それまでの日本の寺院建築には見られないような豪壮な架構が特徴ですが、特にこの浄土堂は小規模ながら大仏様に基づいた構築性が最も純粋に表現されているようです。
When walking for about 1 hour northeast after being for a long time jolted by Kobe Electric Railway Ao Line which runs in the storehouse Agata southwest, the area which was called a country in Harima formerly and getting off in Ono station, national treasure sky mountain Jodoji and the signboard which [...]
Tags: tradition