Archive for 11 月, 2008

11 月 22 2008

東京カテドラル聖マリア大聖堂 St.Mary’s Cathedral,Tokyo

敷地:東京都文京区関口3-16-15
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竣工:昭和39年(1964年)
設計者:丹下健三+都市建築研究所
DOCOMOMO Japan 079
Location:3-16-15 Sekiguchi,Bunkyo-ku,Tokyo
Establishment:1964
Architect:Kenzo Tange,City Construction and Planning Research Center
感想:Impression
「形態と構造が美しく調和した宗教建築の傑作」
” Masterpiece at the religion architecture which the form and the structure harmonized with beautifully “
再建された聖堂  The reconstructed temple
この聖堂を訪れた時は、秋晴れの青空が高く広がった好日でした。JR目白駅から目白通りを西へ向かい日本女子大を過ぎると、間もなく向かい側の右手に著名な椿山荘、左手の奥に銀色に輝き、屏風を広げたような特異な形態の建築が見えてくる。「東京カテドラル聖マリア大聖堂」は40余年前に竣工したとは思えない斬新な造形で、古臭さを微塵も感じさせない存在感がありました。かつてこの地には、1899年に建てられた聖母聖堂があり、それが1920年に東京カテドラルとなり、東京大司教区の活動の中心となっていたが、45年の東京大空襲で焼失してしまった。戦後しばらくは日本の経済的事情により再建されない状態が続いたが、国内カトリック信者の熱烈な要請とドイツ・ケルン大司教区の援助により、復興計画が実現の運びとなった。そして1961年に指名競技設計が行われた結果、丹下健三氏の大胆な造形案が一等当選を果たし、丹下氏の設計により64年12月に東京カテドラル聖マリア大聖堂が落成しました。
When visiting this temple, it was to do the good day being the blue sky of the clear weather of autumn was spread high where. When passing [...]

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11 月 09 2008

パレスサイド・ビル Palaceside Building

敷地:東京都千代田区一ツ橋
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竣工:昭和41年(1966年)
設計者:日建設計(林昌二)
DOCOMOMO Japan 020
Location:Hitotsubashi,Chiyoda-ku,Tokyo
Establishment:1966
Architect:Nikken Sekkei(Shoji Hayashi)
感想:Impression

「皇居の御濠端に、戦後日本の60年代を象徴する近代建築が聳える」
パレスサイド・ビルという名称が現しているように、首都東京の象徴である皇居の御濠端にこのオフィスビルは建っている。竣工は日本が高度経済成長をひた走っていた1960年代(1966)で、既に40年以上の歳月が流れているが、良好なメンテナンスや空調設備類の更新・増強に支えられて、現役のオフィスビルとして老朽化することなく機能している。東西に細長い不整形な敷地に、全長200mに及ぶ長方形の二棟のビルが雁行して並び、その両端部に白亜の円筒コアが取り付いた外観は、周囲に異彩を放っています。都心にありながら、南側の皇居の平川門や東の大手町、西の竹橋から濠越しに全景が望める素晴らしいロケーションもこのビルの魅力の一つになっている。
外観から受ける印象は長大なファサードでありながら、単調さに陥らない豊かな表情を湛えていることに感心します。60年代当時では最大サイズのガラスのカーテンウオールに日照を調節するアルミ鋳物のルーバーと外部に露出させた雨樋といった実用的な各部品が意匠的に水平、垂直のラインを構成し、ファサードの表情に味わいある陰影を作り出すことに成功している。また、東西端部に取り付く円筒コアの白いプレキャストコンクリートのクールな表情や妻側のシャフトに空高く積まれた茶褐色の煉瓦が醸し出す重厚感が対比をなして、このビルの外観に多彩な表情を与えているようです。尚、竣工から40年余年が経過しているだけに、社会環境の変化から改修を余儀なくされた部分があります。それは皇居御濠側の前面道路が拡幅され、ビルと道路間にあった幅12mの空地がなくなり、正面玄関前の車寄せ上部にあったユニークな庇が撤去されてしまったことで。竣工時の写真では、庇を上から見ると日の丸を模した白地に赤丸が塗装されています。毎日新聞社と並ぶオーナーでアメリカの著名企業であるリーダーズ・ダイジェスト社が入居するビルの庇に、日本の国旗の日の丸をデザインするという設計者の大胆不適な意匠心に感銘を受けました。現在も小さい庇はありますが、そのデザインは凡庸なものであり、環境の変化からやむを得ないとはいえ、オリジナルの魅力が損なわれてしまったのは残念です。
内部に目を向けると、1階と地下1階にまたがるコンコースには当初から相当入れ替わったようだが現在も多くのテナント賑わっている。中央の吹きぬけ空間を上下に繋ぐ階段はステンレスを大胆に使った特異なデザインから「夢の階段」と呼ばれ、60年代当時はステンレスが建築材料として先端をゆくものであったので、世界から注目を集めたという。空中に浮かんだ雲のような造形をイメージして試行錯誤を重ねた末、吊り橋の構造を参考に製作された。ステンレス線で編んだ両サイドのネット状のフレームからアルミ鋳物の段板を吊る方式でディテールが考えられている。段板に体重かけると微妙にしなるが、しなることでフレームのステンレス製ネットが引き締まり、バネのような弾力が段板を踏み心地の良いものにしているようで、繊細に表現された構造が強度を生んでいるところが面白い。中央廊下の突き当たりには外観で際立っていた東西の円筒形コアの内部、エレベーターホール・トイレ・階段などの諸機能が円弧を描いて納まっています。各階においては、長い直線の幅広い廊下の両端部に大きなガラスが入り、視線が遮られることなく外部に抜けながら、円形のエレベーターホールに吸い込まれるように接続している巧みな設計がオフィスという職場環境に住宅のような心地良さを感じさせている。心地良さという細かい配慮はコア周りのトイレや階段にも見られる。円弧という形を利用してエレベーターホールの外側にトイレ配置することで、扉をつけずに視線を遮りながら、円筒の外壁に刻まれたスリット状の開口部からトイレというプライベートスペースにも自然光を入れ気持ちよく用を足せるように考えられている。また階段も円弧に沿って僅かに角度をふって設計され、昇降していても柔らかく包まれるような雰囲気がある。外壁に面した踊り場では少しスペースがとられてトイレ同様、スリットから柔らかな自然光が降り注ぐ。機能が優先されるコア周りのトイレや階段に心地良さが配慮されている辺りに、40年以上前からオフィスビルを生活環境と考えていた設計者の先見性が感じられるのである。
見学の終点は、皇居の豊かな自然環境が一望出来る広大な屋上です。60年代当時では群を抜いた巨体を誇るこのビルの面積がそっくりそのまま地上36m上空に出現している様子は圧巻です。竣工時のインパクトはかなりなものであったと想像出来る程、セキュリティが厳しくなった現在では見られないような巨大な屋上が広場として開放されている。南側に近づけば、眼下に畏れ多くも皇居を見下ろす状態になりますが素晴らしい眺めです。都心のど真ん中に延々と広がる緑の樹海や水を湛えた濠、古びた石垣などを眺めていると、かつてここが江戸城或いは千代田城と呼ばれていた140年前の往時はいかばかりかと想像を逞しくするばかりです。屋上には、通常露出している空調設備機器が雁行した二棟間の中央廊下に相当する隙間に床レベルを下げて納められている為、視界が遮られることなく広々とした景観を楽しめます。都市的な景観を背景に屋上を歩いていると、まるで大形客船の甲板にいるような気分の良さを感じる。それは、このビルの屋上が単なる屋根ではなく人工の土地として庭園化され、ビルで働く人たちや見学者が気持ちよく憩える広場となるように設計されているからでしょう。
パレスサイド・ビルが建つ以前、この皇居の御濠端には日本がまだ連合国の占領下にあった1950年代初め(1951)、リーダーズ・ダイジェスト社の東京支社が建てられていました。建築家の*アントニン・レーモンドが設計した社屋はこの皇居を望む広い敷地に、パビリオンと見紛う明るく透明な空間をもった瀟洒な二層の建築に、イサム・ノグチがデザインした庭園や池、屋外彫刻が付属した名建築でした。その名建築をオーナーのリーダーズ・ダイジェスト社の企画とはいえ、完成後10年余りで取り壊して新しいオフィスビルを建てるということに設計者は相当なプレッシャーを感じていたという。同じ敷地に在った戦後日本の建築遺産の建て替えと向き合い、智恵と労力を注ぎ込んで自分達の時代の新しい建築をつくりだした。それから40余年の歳月が流れた今、このオフィスビルは、過去の記憶を継承した現代の建築遺産となっており、次の時代にも価値を放ち続けていくことでしょう。

*アントニン・レーモンド(1888-1976):1919年、「帝国ホテル」建設のため建築家
フランク・ロイド・ライトと伴にアメリカから来日し、そのまま日本に留まり、東京で建築家として活動するようになった。戦前(1919-1937)、戦後(1948-1973)の二つの時代の日本に多くの作品を残し、日本の近代建築の発展に大きな貢献を果た
しました。

” The modern architecture which symbolizes Japan’s the 60s after the war at the end of the moat at the imperial palace towers “.
This office building is built at the end of the moat at the imperial palace which is a symbol in metropolitan Tokyo as the name, the palace side [...]

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