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	<title>空を喪った日本橋　Nihonbashi who lost the sky へのコメント</title>
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	<description>建築における「日本的なもの」　It places an architecture " The Ｎｉｐｐｏｎ one "</description>
	<pubDate>Thu, 09 Sep 2010 05:13:29 +0000</pubDate>
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		<title>重源 より</title>
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		<dc:creator>重源</dc:creator>
		<pubDate>Sun, 07 Dec 2008 02:25:44 +0000</pubDate>
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		<description>遠州様へ

日本橋の史的背景、興味深く拝読いたしました。元来、築地ではなく日本橋にあった魚河岸の本家の移転は知りませんでした。また、石本喜久治の白木屋ですが、1958年に坂倉準三の手で全面改装され、あのスラブを強調した彫りの深いデザインがなくなり商業ビルの定番ともなった平滑な水平ラインのエレヴェーションに、とって変わられました。石本喜久治のデザイン的な評価（優柔不断なデザインボキャブラリーの使用）は、建築界ではよいとは言えませんが、彼の実績は、分離派から竹中、山口文象、海老原一郎、立原道造、武基雄、片岡安、上野伊三郎主催の大阪の日本インターナショナル建築会など、建築活動としては専ら営利中心主義的と囚われがちですが、１９３０年代でいえば最もインターナショナルな思考を実現できた建築家であったともいえます。藤井厚二を引き継いだ石本の竹中時代の名作には「山口銀行東京支店（1923）」「東京朝日新聞社（1927）」があり、独立してからは「東郷青児邸」「三宅やす子邸」や商業ビルで話題となった「銀座パレス（1938）」などを手掛けている。また、晩年の作品には意外にも、本年をもって解体される広島市民球場や鈴鹿サーキットなどもそうなのです。話しを戻すと、日本橋上空の高架橋（高速道路）の付け替えですが、当時のよすがを偲ぶことなど、一部の付け替えで実現でき都民を納得させることできると自負している点にビジョンの無さを感じていました、案の定、小泉氏はリタイヤしましたね！都民の皆様（遠州様を含め）、お金の使い所を考えなおした方がよいと思いますよ！</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>遠州様へ</p>
<p>日本橋の史的背景、興味深く拝読いたしました。元来、築地ではなく日本橋にあった魚河岸の本家の移転は知りませんでした。また、石本喜久治の白木屋ですが、1958年に坂倉準三の手で全面改装され、あのスラブを強調した彫りの深いデザインがなくなり商業ビルの定番ともなった平滑な水平ラインのエレヴェーションに、とって変わられました。石本喜久治のデザイン的な評価（優柔不断なデザインボキャブラリーの使用）は、建築界ではよいとは言えませんが、彼の実績は、分離派から竹中、山口文象、海老原一郎、立原道造、武基雄、片岡安、上野伊三郎主催の大阪の日本インターナショナル建築会など、建築活動としては専ら営利中心主義的と囚われがちですが、１９３０年代でいえば最もインターナショナルな思考を実現できた建築家であったともいえます。藤井厚二を引き継いだ石本の竹中時代の名作には「山口銀行東京支店（1923）」「東京朝日新聞社（1927）」があり、独立してからは「東郷青児邸」「三宅やす子邸」や商業ビルで話題となった「銀座パレス（1938）」などを手掛けている。また、晩年の作品には意外にも、本年をもって解体される広島市民球場や鈴鹿サーキットなどもそうなのです。話しを戻すと、日本橋上空の高架橋（高速道路）の付け替えですが、当時のよすがを偲ぶことなど、一部の付け替えで実現でき都民を納得させることできると自負している点にビジョンの無さを感じていました、案の定、小泉氏はリタイヤしましたね！都民の皆様（遠州様を含め）、お金の使い所を考えなおした方がよいと思いますよ！</p>
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