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	<title>江戸・東京の下町と山の手を分ける境界　九段坂 へのコメント</title>
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	<description>建築における「日本的なもの」　It places an architecture " The Ｎｉｐｐｏｎ one "</description>
	<pubDate>Thu, 09 Sep 2010 05:17:01 +0000</pubDate>
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		<title>たけだ より</title>
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		<dc:creator>たけだ</dc:creator>
		<pubDate>Sun, 11 Apr 2010 15:57:43 +0000</pubDate>
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		<description>九段坂の件，大変面白く拝見いたしました。
花見の帰り，街中に｢牛｣をかたどった看板やレストラン
を見かけたのがきっかけで｢牛が淵｣という地名を初めて知ったものです。
と，いうことで勝手にリンク張らせていただきました。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>九段坂の件，大変面白く拝見いたしました。<br />
花見の帰り，街中に｢牛｣をかたどった看板やレストラン<br />
を見かけたのがきっかけで｢牛が淵｣という地名を初めて知ったものです。<br />
と，いうことで勝手にリンク張らせていただきました。</p>
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		<title>村山 より</title>
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		<dc:creator>村山</dc:creator>
		<pubDate>Fri, 12 Feb 2010 10:13:39 +0000</pubDate>
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		<description>はじめまして。私は九段三丁目に６０年近く居住しているものです。野々宮アパートは確かに戦争中の焼夷弾空襲で全焼しましたが、建物躯体自体は無事で、戦後進駐軍に接収されて内部をそっくりリフォームし、真っ白に塗り替えられて「NONOMIYA APARTMENT」という名で占領軍住宅として長く使われました。建物の上部に大きく「NONOMIYA 」と書いてあり、一階には派手な白赤ストライプのテントが張り出していたのが印象的でした。昭和30年頃接収解除されて返還され、以降はオフィスビルになっていました。取り壊したのは日本興業銀行ビルを建設するときですから、昭和４５年頃だと思います。野々宮アパートの米軍の接収と改築につきましては「占領軍住宅の記録（上）小泉和子著・住まいの図書館出版局刊」の158〜169ページに記述および接収中の外部写真があります。またインターネットのgoo地図で現地の航空写真を見ますと、昭和22年および昭和38年のどちらの航空写真にも、特徴あるZ型の野々宮アパートの姿がはっきり映っています。ご参考まで。失礼致しました。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>はじめまして。私は九段三丁目に６０年近く居住しているものです。野々宮アパートは確かに戦争中の焼夷弾空襲で全焼しましたが、建物躯体自体は無事で、戦後進駐軍に接収されて内部をそっくりリフォームし、真っ白に塗り替えられて「NONOMIYA APARTMENT」という名で占領軍住宅として長く使われました。建物の上部に大きく「NONOMIYA 」と書いてあり、一階には派手な白赤ストライプのテントが張り出していたのが印象的でした。昭和30年頃接収解除されて返還され、以降はオフィスビルになっていました。取り壊したのは日本興業銀行ビルを建設するときですから、昭和４５年頃だと思います。野々宮アパートの米軍の接収と改築につきましては「占領軍住宅の記録（上）小泉和子著・住まいの図書館出版局刊」の158〜169ページに記述および接収中の外部写真があります。またインターネットのgoo地図で現地の航空写真を見ますと、昭和22年および昭和38年のどちらの航空写真にも、特徴あるZ型の野々宮アパートの姿がはっきり映っています。ご参考まで。失礼致しました。</p>
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		<title>遠州 より</title>
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		<dc:creator>遠州</dc:creator>
		<pubDate>Mon, 05 Jan 2009 23:35:11 +0000</pubDate>
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		<description>「野々宮アパート」焼失についてはウエブサイトから引用しました。ネットで「野々宮アパート」のことを検索していたら、偶然、Ｗｅｂ草思という草思社のサイト(http://www.soshisha.com/)に「田中角栄を歩く」というノンフィクションが掲載されており、その記述の中に田中角栄が終戦の8月末に飯田橋から自分の会社・田中土建に向かう際に「野々宮アパート」が焼け落ちたという内容がありました。この他に野々宮アパートの最後についての記事が見つからなかったのでここから引用させて戴いた次第です。

一面、焼け野原だった。ほーっと深く、息を吐いた。大きな建物では日本医大病院、靖国神社と向かい合う陸軍軍人の親睦機関「偕行社」、九段の武張った帝冠様式の屋根が光る「軍人会館」、その向こうの「憲兵司令部」などが辛うじて建っていた。偕行社の隣、建築家の土浦亀城がモダニズム建築の粋を集めて設計した「野々宮アパート」は、上階が焼け落ち、２階から下しか残されていなかった。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>「野々宮アパート」焼失についてはウエブサイトから引用しました。ネットで「野々宮アパート」のことを検索していたら、偶然、Ｗｅｂ草思という草思社のサイト(http://www.soshisha.com/)に「田中角栄を歩く」というノンフィクションが掲載されており、その記述の中に田中角栄が終戦の8月末に飯田橋から自分の会社・田中土建に向かう際に「野々宮アパート」が焼け落ちたという内容がありました。この他に野々宮アパートの最後についての記事が見つからなかったのでここから引用させて戴いた次第です。</p>
<p>一面、焼け野原だった。ほーっと深く、息を吐いた。大きな建物では日本医大病院、靖国神社と向かい合う陸軍軍人の親睦機関「偕行社」、九段の武張った帝冠様式の屋根が光る「軍人会館」、その向こうの「憲兵司令部」などが辛うじて建っていた。偕行社の隣、建築家の土浦亀城がモダニズム建築の粋を集めて設計した「野々宮アパート」は、上階が焼け落ち、２階から下しか残されていなかった。</p>
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		<title>重源 より</title>
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		<dc:creator>重源</dc:creator>
		<pubDate>Sat, 03 Jan 2009 06:51:00 +0000</pubDate>
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		<description>以下の記述はどこからの引用ですか？
「九段坂界隈のモダニズムのシンボルだった野々宮アパートは惜しくも、戦災で2階から上の大部分が焼け落ち喪われてしまった。」
知りませんでした。戦後も数年間存在したと思っていました。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>以下の記述はどこからの引用ですか？<br />
「九段坂界隈のモダニズムのシンボルだった野々宮アパートは惜しくも、戦災で2階から上の大部分が焼け落ち喪われてしまった。」<br />
知りませんでした。戦後も数年間存在したと思っていました。</p>
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