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	<title>忘却された帝都の停車場　萬世橋駅 へのコメント</title>
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	<description>建築における「日本的なもの」　It places an architecture " The Ｎｉｐｐｏｎ one "</description>
	<pubDate>Thu, 09 Sep 2010 05:17:44 +0000</pubDate>
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		<title>遠州 より</title>
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		<dc:creator>遠州</dc:creator>
		<pubDate>Fri, 20 Mar 2009 00:21:57 +0000</pubDate>
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		<description>Ⅰ.外濠沿いを横断し帝都の中心部を走った甲武鉄道
上部のの甲武鉄道の二枚の画像のうち左側は、「写真の中の明治・大正」　http://www.ndl.go.jp/scenery/index.html　というサイトにアップされている写真をダウンロードしたもので、右側は参照文献にある「中央線誕生」という書籍からスキャンしたものです。

Ⅱ.喪われたもう一つのターミナルステーション
上部の初代万世橋駅舎の絵葉書は、万世橋周辺に関するサイト　http://www.geocities.jp/a1115b/sub43.htm　からダウンロードしています。また下の関東大震災の被害状況や震災後の二代目の万世橋駅舎の画像は下記のサイトからダウンロードしています。
http://research.kahaku.go.jp/rikou/namazu/index.html
http://www.geocities.jp/a1115b/sub43.htm
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/shinsai/kanto/s_koji/s_koji.html

Ⅲ.萬世橋駅に移植された鉄道博物館
鉄道博物館の画像や平面図は重源殿から借用した国際建築からスキャンしたものです。
初代萬世橋駅舎の平面図はこの　http://tanken.com/manse.html　サイトからダウンロードしたものです。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>Ⅰ.外濠沿いを横断し帝都の中心部を走った甲武鉄道<br />
上部のの甲武鉄道の二枚の画像のうち左側は、「写真の中の明治・大正」　http://www.ndl.go.jp/scenery/index.html　というサイトにアップされている写真をダウンロードしたもので、右側は参照文献にある「中央線誕生」という書籍からスキャンしたものです。</p>
<p>Ⅱ.喪われたもう一つのターミナルステーション<br />
上部の初代万世橋駅舎の絵葉書は、万世橋周辺に関するサイト　http://www.geocities.jp/a1115b/sub43.htm　からダウンロードしています。また下の関東大震災の被害状況や震災後の二代目の万世橋駅舎の画像は下記のサイトからダウンロードしています。<br />
<a href="http://research.kahaku.go.jp/rikou/namazu/index.html" rel="nofollow">http://research.kahaku.go.jp/rikou/namazu/index.html</a><br />
<a href="http://www.geocities.jp/a1115b/sub43.htm" rel="nofollow">http://www.geocities.jp/a1115b/sub43.htm</a><br />
<a href="http://library.jsce.or.jp/Image_DB/shinsai/kanto/s_koji/s_koji.html" rel="nofollow">http://library.jsce.or.jp/Image_DB/shinsai/kanto/s_koji/s_koji.html</a></p>
<p>Ⅲ.萬世橋駅に移植された鉄道博物館<br />
鉄道博物館の画像や平面図は重源殿から借用した国際建築からスキャンしたものです。<br />
初代萬世橋駅舎の平面図はこの　http://tanken.com/manse.html　サイトからダウンロードしたものです。</p>
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	</item>
	<item>
		<title>重源 より</title>
		<link>http://www.archi-channel.com/2009/02/27/%e5%bf%98%e5%8d%b4%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%9f%e5%b8%9d%e9%83%bd%e3%81%ae%e5%81%9c%e8%bb%8a%e5%a0%b4%e3%80%80%e8%90%ac%e4%b8%96%e6%a9%8b%e9%a7%85/comment-page-1/#comment-236</link>
		<dc:creator>重源</dc:creator>
		<pubDate>Mon, 16 Mar 2009 01:04:54 +0000</pubDate>
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		<description>遠州様

それぞれの画像、図版の出処を教えてください。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>遠州様</p>
<p>それぞれの画像、図版の出処を教えてください。</p>
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		<title>遠州 より</title>
		<link>http://www.archi-channel.com/2009/02/27/%e5%bf%98%e5%8d%b4%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%9f%e5%b8%9d%e9%83%bd%e3%81%ae%e5%81%9c%e8%bb%8a%e5%a0%b4%e3%80%80%e8%90%ac%e4%b8%96%e6%a9%8b%e9%a7%85/comment-page-1/#comment-185</link>
		<dc:creator>遠州</dc:creator>
		<pubDate>Wed, 04 Mar 2009 12:30:01 +0000</pubDate>
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		<description>鉄道博物館（1936)を設計した鉄道省の担当者は、重源氏が書かれているように、後に建築学会長を務めた伊藤滋氏であることや、他にもＪＲ御茶ノ水駅(1932)や日野駅（1937)などの駅舎建築を設計していることを、万世橋駅界隈のことをネットで調べている時、関連サイトで知りました。代表作の御茶ノ水駅は、学生の頃から馴染み深い駅舎ですが、竣工当時の写真（フォトタイムス1933　渡辺義雄撮影）などを見ると、ほんとにピカピカのモダニズム建築ですね！伊藤滋氏は文献によると、御茶ノ水駅舎の設計にあたって次のような考えを持っていたようです。『停車場建築は内部に停滞居住するものではなく、むしろ道路の一部であるという所にその特徴がある。単純と秩序と迅速の観念の上に設計されるべきである。』(鉄道路線変遷史探訪より)。鉄道博物館、御茶ノ水駅とも鉄・ガラス・コンクリートという近代的素材で構築されたモダニズム建築でありますが、外観や内部の平面構成、インテリアなどから鉄道という近代的交通網のもつ機能性や躍動感が表現されているように感じられます。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>鉄道博物館（1936)を設計した鉄道省の担当者は、重源氏が書かれているように、後に建築学会長を務めた伊藤滋氏であることや、他にもＪＲ御茶ノ水駅(1932)や日野駅（1937)などの駅舎建築を設計していることを、万世橋駅界隈のことをネットで調べている時、関連サイトで知りました。代表作の御茶ノ水駅は、学生の頃から馴染み深い駅舎ですが、竣工当時の写真（フォトタイムス1933　渡辺義雄撮影）などを見ると、ほんとにピカピカのモダニズム建築ですね！伊藤滋氏は文献によると、御茶ノ水駅舎の設計にあたって次のような考えを持っていたようです。『停車場建築は内部に停滞居住するものではなく、むしろ道路の一部であるという所にその特徴がある。単純と秩序と迅速の観念の上に設計されるべきである。』(鉄道路線変遷史探訪より)。鉄道博物館、御茶ノ水駅とも鉄・ガラス・コンクリートという近代的素材で構築されたモダニズム建築でありますが、外観や内部の平面構成、インテリアなどから鉄道という近代的交通網のもつ機能性や躍動感が表現されているように感じられます。</p>
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		<title>重源 より</title>
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		<dc:creator>重源</dc:creator>
		<pubDate>Sat, 28 Feb 2009 02:20:08 +0000</pubDate>
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		<description>遠州様

須田町界隈のことなど、興味深く拝読いたしました。わたしもあの周辺になにか東京の雑踏とは異なる魅力を感じているこの頃であります。とくに聖橋、湯島天神と丸の内線、そして萬世橋を境として秋葉原の電気街と靖国通りの路地裏界隈に立ち並ぶ老舗のお店など、そちらが指摘するように高架橋の即物的なストラクチャ−の大胆さやそれを立体的にした様相といい、それぞれの場所からの風景の妙味は、外国のどこにもないゲニウス（土地の霊）を発しています。現在は秋葉原の超高層（あの一体の街づくりは不満であるが）との対比もそれを助長していて薄暮の頃のあの界隈の雰囲気は絶品であります。渋谷や池袋、新宿などはすでに過去の遺物的風景と化していて、いまの旬なスケープは須田町界隈といえるでしょう。ところで惜しまれて閉館した鉄道博物館はいまも現存しておりますが、一部、サッシュのアルミ化や屋上を一層付足しているぐらいで、往時の様子を、何とか維持しているバリバリのモダニズム建築です。この設計は鉄道省の技士で、且つ戦後の混乱期に学会会長として尽力された伊藤滋（1898-1972）とル・コルビュジェの門下生（お馴染みの前川、坂倉、吉阪以外にもいたのである）であった土橋長俊（1901-1959）の設計であり、ちょうど現在の御茶ノ水駅（1932）が伊藤滋の代表作であり、これも竣功当初は写真家渡辺義雄などのモダニストに撮られるほど前衛的な駅舎として名高い建築であった。また、最近取り壊されてしまった大丸のビル「東京八重洲ビル本屋（鉄道会館）（1954）」、そして駿河台下の富永譲設計の香取ビルのあたりにあった目黒書店（1931）も同様なビルとして有名でありました。一方、土橋はル・コルビュジェのアトリエから帰国して川喜田煉七郎が４等となった国際コンペ「ウクライナ劇場」に応募した敏腕なる建築家で、その後、鉄道省に入所し伊藤とのコンビで、同時期に竣功した上野駅の様式化したデザインを凌駕するモダニズム建築を顕現せしめたのである。また、彼の秀逸なる作品として「八王子駅（1937）」は平家であるが庇の水平ラインが特徴的なデザインで、今で言えばアルヴァロ・シザを伺わせるに足るデザインであったが、戦災で破壊されてしまった。このふたり、伊藤は東大であるが、土橋は早稲田であり、異なる学肌ではあるのだが、須田町を散策すればこの師弟のデザインが偲ばれて懐かしい。新しい建築（当時ではモダニズム）を羨望していたのは、丹下や前川、村野だけではなかったのであり、こういった人達の凡庸ではあるが、商業主義的に媚びしない設計姿勢というものを、いまの企業内で働く建築家のトップは目先の生き残り対策などに終始するのではなく、人間の血のかよった企業理念を将来の子供たち（メディアでお題目のように語られて後ろめたいのだが）に堂々と語っていただける存在になってほしい。決して形式的な言葉ではなく・・・子供もそんなまやかし的な物言いは気づいているということを・・・ヴィジョンを。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>遠州様</p>
<p>須田町界隈のことなど、興味深く拝読いたしました。わたしもあの周辺になにか東京の雑踏とは異なる魅力を感じているこの頃であります。とくに聖橋、湯島天神と丸の内線、そして萬世橋を境として秋葉原の電気街と靖国通りの路地裏界隈に立ち並ぶ老舗のお店など、そちらが指摘するように高架橋の即物的なストラクチャ−の大胆さやそれを立体的にした様相といい、それぞれの場所からの風景の妙味は、外国のどこにもないゲニウス（土地の霊）を発しています。現在は秋葉原の超高層（あの一体の街づくりは不満であるが）との対比もそれを助長していて薄暮の頃のあの界隈の雰囲気は絶品であります。渋谷や池袋、新宿などはすでに過去の遺物的風景と化していて、いまの旬なスケープは須田町界隈といえるでしょう。ところで惜しまれて閉館した鉄道博物館はいまも現存しておりますが、一部、サッシュのアルミ化や屋上を一層付足しているぐらいで、往時の様子を、何とか維持しているバリバリのモダニズム建築です。この設計は鉄道省の技士で、且つ戦後の混乱期に学会会長として尽力された伊藤滋（1898-1972）とル・コルビュジェの門下生（お馴染みの前川、坂倉、吉阪以外にもいたのである）であった土橋長俊（1901-1959）の設計であり、ちょうど現在の御茶ノ水駅（1932）が伊藤滋の代表作であり、これも竣功当初は写真家渡辺義雄などのモダニストに撮られるほど前衛的な駅舎として名高い建築であった。また、最近取り壊されてしまった大丸のビル「東京八重洲ビル本屋（鉄道会館）（1954）」、そして駿河台下の富永譲設計の香取ビルのあたりにあった目黒書店（1931）も同様なビルとして有名でありました。一方、土橋はル・コルビュジェのアトリエから帰国して川喜田煉七郎が４等となった国際コンペ「ウクライナ劇場」に応募した敏腕なる建築家で、その後、鉄道省に入所し伊藤とのコンビで、同時期に竣功した上野駅の様式化したデザインを凌駕するモダニズム建築を顕現せしめたのである。また、彼の秀逸なる作品として「八王子駅（1937）」は平家であるが庇の水平ラインが特徴的なデザインで、今で言えばアルヴァロ・シザを伺わせるに足るデザインであったが、戦災で破壊されてしまった。このふたり、伊藤は東大であるが、土橋は早稲田であり、異なる学肌ではあるのだが、須田町を散策すればこの師弟のデザインが偲ばれて懐かしい。新しい建築（当時ではモダニズム）を羨望していたのは、丹下や前川、村野だけではなかったのであり、こういった人達の凡庸ではあるが、商業主義的に媚びしない設計姿勢というものを、いまの企業内で働く建築家のトップは目先の生き残り対策などに終始するのではなく、人間の血のかよった企業理念を将来の子供たち（メディアでお題目のように語られて後ろめたいのだが）に堂々と語っていただける存在になってほしい。決して形式的な言葉ではなく・・・子供もそんなまやかし的な物言いは気づいているということを・・・ヴィジョンを。</p>
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