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3 月 16 2009

国立西洋美術館 The National Museum of Western Art

敷地:東京都台東区上野公園
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竣工:昭和34年(1959)
設計者:ル・コルビジェ
Location:Ueno-koen,Taito-ku,Tokyo
Establishment:1959
Architect:Le Corbusier
感想:Impression
「上野の森に実現したコルビジェのムンダネウム」
Ⅰ.松方コレクションの美術館をル・コルビジェへ依頼
上野公園の敷地を視察するコルビジェ
東京の北の玄関口、JR上野駅の北側に緑豊かな上野恩賜公園が拡がっています。駅の公園側改札口から前面道路を渡って園内にアプローチすると、左右に規模の異なるマッシブなコンクリートの建築が来訪者を迎えてくれます。左手の大きな庇が特徴的な建築は「東京文化会館」という音楽堂で、右手のロダンの彫刻が置かれた石の前庭に、ピロティの列柱に支えられて正方形の石の塊が浮かんでいるように見えるのが「国立西洋美術館」です。公園内にあるこの美術館は、1959年4月に開館して以来、まもなく50周年を迎えようとしています。
国立西洋美術館が創設される経緯は、戦後間もない昭和26年(1951)、時の首相吉田茂が世に言う松方コレクション(印象派などの絵画約300点、彫刻60余点)の返還をフランス政府に切り出したことから始まると謂われています。日本とフランス、二国間の折衝の末、二年後の昭和28年(1953)にフランス政府から日本に戻すことが確約されたが、その際につけられた返還条件の一つが、美術館の建設でした。「松方コレクションは返還ではなくフランス文化財として日本に寄贈するので、コレクションを保管・展示するための美術館を用意せよ。」というフランス政府の主張で、美術館の名もフランス美術館と命名されていたと謂います。「文化の国」フランスの面目躍如といったところか。そこで文部省によって組織された「フランス美術館設置準備協議会」は、新美術館の敷地を上野に定め、また設計をフランス在住の近代建築の巨匠、ル・コルビジェに委託することが決定されます。当初、コルビジェは多忙を極めていることや、遠隔地の日本ということもあって、この設計依頼には消極的だったようです。しかし、日本側(外務省)の熱意ある要請を聞いているうちに「長年、思い描いてきた美術館構想を日本で実現出来る」と乗り気になってこの依頼を受諾し、契約成立後、日本に赴くことになりました。
時に1955年11月、ル・コルビジェは外務省の招待で、美術館の敷地調査と日本の伝統・文化に触れる目的で、初めて日本の土を踏む。当時、壮大な都市計画を手掛けていたインド・チャンディガールへ向かう途上のわずか8日間の滞日でしたが、コルビジェはこの間68才の高齢とは思えぬタフさで、日本の三人の弟子達(前川國男・坂倉準三・吉阪隆正)を旅の随行者として、東京での敷地調査、前川や坂倉、吉阪が設計した近代建築を訪問、更に京都や奈良を旅して寺院など日本の伝統建築を巡っている。
随行した一人の吉阪氏の日記によると、コルビジェは案内された京都や奈良の著名な伝統建築自体にはあまり関心を示さず、桂離宮の杉苔や卍型に腰掛が配置された卍亭(四つ腰掛)、東大寺中門のヒンジ付きの扉、大仏殿の柱・梁のプロポーション、正倉院のピロティの木肌、祇園から先斗町にかけての路地空間等など専らディテールばかり着目していたという。また、当時の東京の状況について、木造低層住宅の不可を説き、車と歩行者の混在など世界中のどの都市にもある「現代の混乱」が最も酷い形で現れていると嘆いて、都市計画の必要性を訴えたという。また自分の下で学んだ日本の三人の建築家、前川・坂倉・吉阪に向かって「ウルバニズム(都市計画)を担うことを覚悟しなさい」と叱咤したともいわれている。いかにも建築と同じように生涯、都市への提案を描き続けたコルビジェらしいエピソードである。こうして、8日間の慌しい日程をこなしながら、上野公園の敷地も5回にわたって視察して、日本からインド・チャンディガールへ旅立っていった。
Ⅱ.コルビジェが上野の森に構想した総合文化センター
コルビジェによる文化センター全体計画スケッチ          美術館2階平面図(螺旋状の動線を黄色で描写)

文化センター全体平面図
日本~インドの旅からパリに戻ったコルビジェは、1929年の「ムンダネウム(世界都市)計画」における世界博物館でそのコンセプトを考案して以来、多年にわたって幾つかのプロジェクトで繰り返し提案しながら実現を果たせずにいたコンセプト「無限成長美術館」を更に追求して、上野公園の敷地にあてはめて展開させていく。この「無限成長美術館」という形式は、美術館のプロトタイプで、特定の正面を持たず、ピロティから建物の中心部へ入り、そこから外側へ向かって螺旋を描く展示回廊が延び、収蔵すべき作品が増えると、回廊がその延長線上に外側へ増築されていくことで、展示スペースを無限に拡げていくことが可能になるというものである。コルビジェが「ムンダネウム計画」以来、手掛けた美術館のプロジェクトは10を超えるといわれているが、彼の生涯で実現させることが出来た美術館は、インドの「アーメダバード美術館」(1957)・「チャンディガール美術館」(1968)・日本の「国立西洋美術館」(1959)の三つに過ぎない。その何れも「無限成長美術館」のコンセプトをベースに応用されたものである。
ムンダネウム世界博物館スケッチ
約半年をかけた基本設計が終わり、1956年の7月、コルビジェから日本へ新美術館の基本設計図書が届く。その内容は美術館のみならず、付属的に臨時の展覧会のための展示場や演劇を探求する「不思議の箱」と呼ぶ劇場などが盛り込まれた総合的な計画で、これら一群が日本政府の求める文化センターであるとコルビジェは提案した。この大胆な総合計画案は、美術館だけの設計を依頼した筈の日本政府にはまったく想定外のことであった。美術館の完成後、コルビジェの弟子である建築家の坂倉準三が雑誌に寄稿した記事に依ると、この周囲の敷地を取り込んだ総合計画は、坂倉らが将来を考慮して基本計画に入れて貰うように依頼したとされている。その意図は、将来の上野公園の計画に、コルビジェが考えた総合計画の示唆が取り入れられて、無計画になりがちな日本の公園計画に正しい方向性や理想を与えたいためであったという。しかし結局、この総合計画案は当時の厳しい予算の前に実現の可能性があろう筈もなく、それどころか美術館単体でみても、設定された総坪数(約1000坪)を遥かに超える(300坪)もので、到底実現不可能なため、美術館の両翼(図書館・小講堂・貴賓室)を削り、また仕上げの質も落として、将来増築し得る余地を配置計画の上に残して、最小ぎりぎりの美術館に縮小を余儀なくされてしまう。
文化センター平面図・展示館スケッチ
1957年3月、基本設計の変更(美術館本館のみに限定した)を了解したコルビジェから実施設計図面が届くが、ここで再び関係者の想定外なことが起きる。実施設計図とは名ばかりのもので、構造図や設備図が全く含まない基本設計に毛が生えた程度の代物であった。添えられたコルビジェの書簡からは「自分が美術館の決定的な方針を示したこれらの図面は、実行のための全ての寸法と処理を備えており、信頼する日本の建築家たちが貴国の慣例的な方法で実行することを確信しています」と記され、実施設計がコルビジェの仕事に慣れている日本の弟子達に丸投げ状態だった。コルビジェは、自分の原案の文化センターが日本側に採用されず、また美術館が縮小されたことでモチベーションを喪ってしまったのか・・・再び日本を訪れることはなく、完成した美術館を眼にすることもないまま、1965年に世を去った。結局、師の尻拭いをする形で、前川・坂倉・吉阪ら日本の建築家が分担して実施設計を仕上げることになるが、設計料の予算はコルビジェに使いきってしまい(約1000万円)、ほとんど労働奉仕であったという。このような紆余曲折の末、三人の献身的な協力で翌1958年には実施設計が完了し、3月に着工した美術館は予定通り1959年3月に竣工し、初来日から3年半を経てコルビジェが考案した美術館のプロトタイプが日本の地に実現した。そして6月13日に開館、松方コレクションの一般公開を迎える。
文化センター断面図・全体模型鳥瞰                 文化センター断面図・19世紀ホールスケッチ

Ⅲ.卍型美術館
前庭と南側外観
1959年6月の開館からまもなく50周年を迎えようとしている「国立西洋美術館」だが、現在の姿は開館時から大きく改変されている。まず目に付くのがかつて彫刻作品も置かれていたピロティの軒下空間の半分が増築のため建物内部に組み込まれて、広いピロティを縫ってメインホールにアクセスするまでの高揚感が減じられてしまったことである。また、「考える人」や「カレーの市民」などロダンの名作が展示されている前庭に囲いが設けられて、美術館建築と彫刻が調和した屋外空間の眺望や開放感が損なわれている。警備など管理面の視点から見ると致し方がない処置とも思うが、開館当初のスクエアーに拡がる抽象的な前庭が公園の緑と一体化した光景が印象的だっただけに残念です。
開館当時のピロティ
石畳の前庭から狭くなったピロティを潜って、玄関ホールに入ると直ぐ右手にコルビジェが19世紀ホールと名づけた上階の展示回廊へ繋がる導入路があります。コルビジェは、この空間に執着し、自らデザインした写真によるモンタージュを壁画として掲げる想定だった。それは、コルビジェが寄稿した建築雑誌によると「19世紀西欧の栄光を讃えたもの」であり、実際、写真壁画のスケッチも描いており、この原案をもって美術館竣工後に現場で指示するべく来日する予定であったようだ。しかし、19世紀ホールの空間に対するコルビジェの執着も、文部省側に予算不足を盾に拒否され、頓挫してしまった。中に入ると、3層吹き抜けの垂直的な空間の中央にコンクリート打ち放しのスレンダーな円柱が天を目指して立ち上がっている光景が眼に入ります。円柱は頂点で十字に架かった梁と交差して止まり、ぽっかり穿たれた三角錐のハイサイドライトから柔らかな自然光が降り注ぎ、彫刻群を仄かに照らしている。彫刻を眺めながら、奥の壁沿いに配されたコルビジェ的なランプ(スロープ)をゆるゆる昇っていくと、ホールの吹き抜け空間が変化する眺めを楽しみながら上階の展示回廊へ自然と導かれます。コルビジェが好んで多用する吹き抜けの垂直空間にスロープを貫入して演出する建築的プロムナードが、シークエンスの変化を観客に体験させ、上階への期待感を高めている。
19世紀ホール                                三角の天窓から光が漏れる

照明ギャラリー                                卍型に配置されたハイサイドライト

緩やかなスロープを昇り切ると、張り出したバルコニーから19世紀ホールを眺め降ろす視点に変化し、異なったシークエンスを観客に楽しませる仕掛けがちりばめられている。スロープで結ばれた正方形の2階は19世紀ホールの吹き抜けを中心に「無限成長美術館」のコンセプトを裏付けるように、螺旋状の展示回廊が四周に配置されており、観客は途切れることなく無限に繋がる動線を回遊しながら作品を鑑賞していきます。中央のスロープを含め内部空間をこのように螺旋に運動する構成は、コルビジェのサヴォワ邸(1931)と酷似している。「無限成長美術館」のアイディアが考案されたのが 1929年の「ムンダネウム計画」で、サヴォワ邸の設計プロセスと時代が重なっており、30年を隔てて同質な空間が実現しているのが面白い。だが「無限成長美術館」のコンセプトにある螺旋状空間を外縁に拡げてゆく増築手法については、この美術館の他インドにおいても敷地条件や実現性の面などから構想通りに実現したものはなく、コルビジェもあくまで空間構成のアイディアに留まるものと考えていたのではないだろうか。2層分の高さを持つ回廊の採光は、天井から吊られたBOX型の照明ギャラリーのハイサイドライトから自然光と補助的な蛍光灯の光りが入り、回廊に飾られた作品に光りをあてるよう設計されていた。現在はこの部分も、自然光が絵画作品の保護上問題ありという理由で改造されており、ハイサイドライトは塞がれ、BOXの中に蛍光灯がぎっしり並ぶ人工照明だけの環境になっている。綺麗に打ち放された円柱が軽やかに群立する展示回廊を回遊し、空間体験をして感じることは、この空間構成が螺旋形というよりも卍型により近いということであった。それは、展示回廊の採光や方向性を決めている照明ギャラリーが屋上から俯瞰すると、明瞭に卍型に配置されていることから理解できる。建築家の磯崎氏が著書(ル・コルビジェとはだれか)で解釈されていたように、コルビジェが日本に滞在した時に訪れスケッチをした桂離宮・卍亭の四つ腰掛のプランにインスパイアーされ、それに「無限成長美術館」のコンセプトを重ねていったのではないだろうか。展示回廊を回遊する鑑賞を終え、再び石畳の前庭へ出る。足許に視線を落とすと、美術館の内部空間やファサードを規定しているモデュロール(コルビジェが考案した寸法体系)で割りつけられた黒御影石のボーダー目地が、園内通路を挟んだ向かい側に立つ音楽堂に向かって真っ直ぐ庭を貫いている。音楽堂は、美術館の実施設計を分担した前川國男が設計したもので、師であるコルビジェの西洋美術館との関係性を考慮してつくられたという。
美術館 平面図・断面図                             展示室・照明ギャラリー断面図

Ⅳ.コルビジェが日本に遺した美術館が世界遺産へ
21世紀初頭の現在、20世紀に遺された近代建築の価値が認識され、所謂世界遺産に推薦、登録される動きが活発化している。リートフェルトのシュレーダー邸(2000)やミースのチューゲントハット邸(2001)、ルイス・バラガンの住宅(2004)等。こうした潮流に乗っかるように、昨年2月、フランス政府の肝入りで、ル・コルビジェが世界6ヶ国(ベルギー・フランス・ドイツ・スイス・アルゼンチン・日本)に遺した22の建築を一括してユネスコの世界遺産に推薦する動きがあった。近代建築思想の普遍化にミースと並んで絶大な貢献をしたコルビジェだけに、世界遺産登録は満を持してという感がある。日本に唯一あるコルビジェの作品が22件に選ばれたのは、コルビジェが繰り返し提案した「無限成長美術館」のプロトタイプが実現したということもあるのだろう。順調に審査が通れば今年の夏にはユネスコの世界遺産のリストに登録される筈だが、これを契機に国内に遺された20世紀の優れた近代建築に対する社会的認識や価値観が好転することを願わずにはいられない。
参照文献 Reference
ル・コルビジェとはだれか/磯崎新著/王国社発行/2000
芸術新潮2009年2月号 特集 開館50周年 なるか、世界遺産 国立西洋美術館のすべて/新潮社発行
ユリイカ 臨時増刊 総特集ル・コルビジェ/青土社発行/1988.12.vol.20-15
ユリイカ 特集*ル・コルビジェ/青土社発行/2007.5.vol39-4
新建築 1959年7月号/新建築社発行

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