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	<title>国立西洋美術館　The National  Museum of Western Art へのコメント</title>
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	<description>建築における「日本的なもの」　It places an architecture " The Ｎｉｐｐｏｎ one "</description>
	<pubDate>Thu, 09 Sep 2010 05:11:37 +0000</pubDate>
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		<title>伊神 より</title>
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		<dc:creator>伊神</dc:creator>
		<pubDate>Tue, 24 Mar 2009 06:54:06 +0000</pubDate>
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		<description>「国立西洋美術館」をモダニズム建築遺産として評価するひとたちと、一方に於いて、昨今話題に取り上げられる「東京中央郵便局」を日本のモダニズム史上でどのような評価をするのか・・・といった建築評の基準が相当にブレているように思います。ル・コルビュジェの建築家としての名声しかりアイデアは世界的に見ても図抜けていることは疑う余地はないと思い至りますが、遠州さんのような見解（世界遺産ということだけで評価してしまう）には建築の専門家は疎か一般のひとへの啓蒙的な面も含め、大きな誤解を生む要因が潜んでいると思います。社会通念的（ネットや書籍からの解釈）な理解を一般に示すのではなく、御自身の見解を忌憚のない言語で訴えてこそ、このウェブサイトの企図が社会に実証されていくと思われるのですが、どうでしょう？・・・でなければ建築を真摯に愛しているひとの琴線に触れることはあり得ないと思われます。形式的なものには利用されるのでしょうが・・・・。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>「国立西洋美術館」をモダニズム建築遺産として評価するひとたちと、一方に於いて、昨今話題に取り上げられる「東京中央郵便局」を日本のモダニズム史上でどのような評価をするのか・・・といった建築評の基準が相当にブレているように思います。ル・コルビュジェの建築家としての名声しかりアイデアは世界的に見ても図抜けていることは疑う余地はないと思い至りますが、遠州さんのような見解（世界遺産ということだけで評価してしまう）には建築の専門家は疎か一般のひとへの啓蒙的な面も含め、大きな誤解を生む要因が潜んでいると思います。社会通念的（ネットや書籍からの解釈）な理解を一般に示すのではなく、御自身の見解を忌憚のない言語で訴えてこそ、このウェブサイトの企図が社会に実証されていくと思われるのですが、どうでしょう？・・・でなければ建築を真摯に愛しているひとの琴線に触れることはあり得ないと思われます。形式的なものには利用されるのでしょうが・・・・。</p>
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		<title>遠州 より</title>
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		<dc:creator>遠州</dc:creator>
		<pubDate>Sun, 22 Mar 2009 13:19:25 +0000</pubDate>
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		<description>フランス政府が主導して「ル・コルビジェの建築と都市計画」という名で、世界遺産の暫定リストに登録されたようです。これは巨匠コルビジェが２０世紀に遺した近代建築群が、偉大な文明の遺跡や貴重な自然環境と同等に人類共通の財産として後世に継承していく価値があるということであり、その内の一つに「国立西洋美術館」が選抜されたということは日本にとって朗報だと思います。今、日本に存在するユネスコの世界遺産が美しい自然環境と伝統建築だけである状況に、うまくいけば今夏にも最初の「近代建築」が加わるのですから。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>フランス政府が主導して「ル・コルビジェの建築と都市計画」という名で、世界遺産の暫定リストに登録されたようです。これは巨匠コルビジェが２０世紀に遺した近代建築群が、偉大な文明の遺跡や貴重な自然環境と同等に人類共通の財産として後世に継承していく価値があるということであり、その内の一つに「国立西洋美術館」が選抜されたということは日本にとって朗報だと思います。今、日本に存在するユネスコの世界遺産が美しい自然環境と伝統建築だけである状況に、うまくいけば今夏にも最初の「近代建築」が加わるのですから。</p>
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		<title>伊神 より</title>
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		<dc:creator>伊神</dc:creator>
		<pubDate>Thu, 19 Mar 2009 02:23:40 +0000</pubDate>
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		<description>国立西洋美術館の概略を拝読し、憶い至ったことを書きます。この建築の世界遺産的価値というのは、この建築にあるのではなく、ル・コルビュジェその人の作ということであろうと感じます。書かれた概要からもル・コルビュジェの案がそのまま実現した理由ではなく、弟子たちの妥協的な産物という邪念的アウラをあの建築から感得するからです。それでもル・コルビュジェのムンダネウムというシェーマは美術館という古典的アルキテヒテの域を超越したアイデアで訴えかけてくるだけのものも感じ得ます。デカルトの言葉に「我思う、故に我あり」（コギト）・・・形式（世情の原理）に拘泥するのも良いが、そのことの意味（思慮深き理解）の存在を我が身をもってして語ることの大事さを、拝読して学んだように思います。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>国立西洋美術館の概略を拝読し、憶い至ったことを書きます。この建築の世界遺産的価値というのは、この建築にあるのではなく、ル・コルビュジェその人の作ということであろうと感じます。書かれた概要からもル・コルビュジェの案がそのまま実現した理由ではなく、弟子たちの妥協的な産物という邪念的アウラをあの建築から感得するからです。それでもル・コルビュジェのムンダネウムというシェーマは美術館という古典的アルキテヒテの域を超越したアイデアで訴えかけてくるだけのものも感じ得ます。デカルトの言葉に「我思う、故に我あり」（コギト）・・・形式（世情の原理）に拘泥するのも良いが、そのことの意味（思慮深き理解）の存在を我が身をもってして語ることの大事さを、拝読して学んだように思います。</p>
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