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	<title>京都御所　Kyoto Palace へのコメント</title>
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	<description>建築における「日本的なもの」　It places an architecture " The Ｎｉｐｐｏｎ one "</description>
	<pubDate>Fri, 30 Jul 2010 16:53:27 +0000</pubDate>
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		<title>伊神誠治 より</title>
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		<dc:creator>伊神誠治</dc:creator>
		<pubDate>Wed, 19 Aug 2009 02:11:06 +0000</pubDate>
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		<description>「狙われた御所」の痕跡

15日の終戦記念日に際して朝日新聞夕刊紙誌上にて「狙われた御所−古都の戦争と平和」と題して５回連載された記事には思いも寄らない京都御所の変貌が語られていたので驚愕した。これまでにわたしは、建築史家藤岡通夫の『京都御所（彰國社）』や岸田日出刀の『京都御所（相模書房）』（ともに入手しにくい書籍−戦前の冩眞が含まれている）の研究成果や緒言、要するに御所の時代考証と建築美から彼らが述懐する戦後の無惨なまでに破壊された御所の復元への憶いが語られていたのをこの書から受容していた。しかし、その仔細な実態は宮内庁の保護化にあってか明らかにはされていなかった。それが、大凡ではあるが今回の記事で明らかとなったのである。第１回は「庭先にただ１度の銃弾」で、空襲に曝され板塀で覆われた春興殿の冩眞や１１箇所の防空壕が整備されていたなど、米国から文化財として保護されていた理由ではなく原爆投下の候補地として広島と京都が挙がっていたという事実（「空襲が比較的少なかったのは原爆の威力を確かめるために街並が温存されたにすぎない」誌記事より）、そして一度だけ空襲を受けていたという記録である。第２回「戻らなかった疎開建物」では、空襲の備え（建物疎開という名のもと）ということで戦前に存在した御所の建物の３分の一が取り壊されていたという事実、そして未だに往時の復元にはいたってはいない（御台所と能舞台などは再建されていない）ということ、記事には岸田日出刀の以下の『京都御所』からの引用文が綴られていた。
「二度とこうした過ちを繰り返さないようにし、貴重な古文化財に対しては、今より以上に慎重な保全策を講じたいものだと念願するだけである」
第３回「植物園、身代わりに消ゆ」では、戦後の連合国軍総指令部（GHQ）に宛てた書簡で京都御所を進駐軍の住宅建設用地とする旨に対して抵抗した日本側の意志「日本国民の精神的なよりどころ」、その結果、代替地として現・京都府立植物園を充てていたという事実（「アメリカ村」の冩眞が掲載されている）が明らかとされていたということ、また進駐軍は小型飛行機の発着場として京都御苑を要求していたらしく、結果二条城東側の堀川通り一帯（掲載冩眞）が使われていたという実態が浮きぼりにされていた。第４回「開かれた門長蛇の列」では、一般公開が1946年11月に実現されていたということ、それも1906年（明治39）に定められた規定で一般人の参観は全く許されていなかったなかでのことである。いまでは年に一度は公開している参観ではあるが、得意な事情で御所にも民主主義の波が押し迫っていたことを示す実証であろう。第５回「新時代の到来示す芋畑」には、敗戦後の食料難を生き抜くために京都御所の用地が国民学校の給食、サツマイモやカボチャの収穫のために使用されていたという、また労働者の集会祭、所謂「メーデー」が1946年5月に御所の正門、建礼門前で早くも開かれ「働けるだけ食わせろ」「財閥・大資本家を倒せ」といったスローガンを掲げての５万５千人もののデモ行進があったことなど、激動の御所変遷が描き綴られている。（詳しくは8/11から8/17までの朝日新聞夕刊を参照）わたしは、これら旧宮内省資料が徐々にではあるが解明されていくことによって往時の京都御所の建築的エートス（情感）みなぎるトポス（場）が復元されていくことを希望して已まない。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>「狙われた御所」の痕跡</p>
<p>15日の終戦記念日に際して朝日新聞夕刊紙誌上にて「狙われた御所−古都の戦争と平和」と題して５回連載された記事には思いも寄らない京都御所の変貌が語られていたので驚愕した。これまでにわたしは、建築史家藤岡通夫の『京都御所（彰國社）』や岸田日出刀の『京都御所（相模書房）』（ともに入手しにくい書籍−戦前の冩眞が含まれている）の研究成果や緒言、要するに御所の時代考証と建築美から彼らが述懐する戦後の無惨なまでに破壊された御所の復元への憶いが語られていたのをこの書から受容していた。しかし、その仔細な実態は宮内庁の保護化にあってか明らかにはされていなかった。それが、大凡ではあるが今回の記事で明らかとなったのである。第１回は「庭先にただ１度の銃弾」で、空襲に曝され板塀で覆われた春興殿の冩眞や１１箇所の防空壕が整備されていたなど、米国から文化財として保護されていた理由ではなく原爆投下の候補地として広島と京都が挙がっていたという事実（「空襲が比較的少なかったのは原爆の威力を確かめるために街並が温存されたにすぎない」誌記事より）、そして一度だけ空襲を受けていたという記録である。第２回「戻らなかった疎開建物」では、空襲の備え（建物疎開という名のもと）ということで戦前に存在した御所の建物の３分の一が取り壊されていたという事実、そして未だに往時の復元にはいたってはいない（御台所と能舞台などは再建されていない）ということ、記事には岸田日出刀の以下の『京都御所』からの引用文が綴られていた。<br />
「二度とこうした過ちを繰り返さないようにし、貴重な古文化財に対しては、今より以上に慎重な保全策を講じたいものだと念願するだけである」<br />
第３回「植物園、身代わりに消ゆ」では、戦後の連合国軍総指令部（GHQ）に宛てた書簡で京都御所を進駐軍の住宅建設用地とする旨に対して抵抗した日本側の意志「日本国民の精神的なよりどころ」、その結果、代替地として現・京都府立植物園を充てていたという事実（「アメリカ村」の冩眞が掲載されている）が明らかとされていたということ、また進駐軍は小型飛行機の発着場として京都御苑を要求していたらしく、結果二条城東側の堀川通り一帯（掲載冩眞）が使われていたという実態が浮きぼりにされていた。第４回「開かれた門長蛇の列」では、一般公開が1946年11月に実現されていたということ、それも1906年（明治39）に定められた規定で一般人の参観は全く許されていなかったなかでのことである。いまでは年に一度は公開している参観ではあるが、得意な事情で御所にも民主主義の波が押し迫っていたことを示す実証であろう。第５回「新時代の到来示す芋畑」には、敗戦後の食料難を生き抜くために京都御所の用地が国民学校の給食、サツマイモやカボチャの収穫のために使用されていたという、また労働者の集会祭、所謂「メーデー」が1946年5月に御所の正門、建礼門前で早くも開かれ「働けるだけ食わせろ」「財閥・大資本家を倒せ」といったスローガンを掲げての５万５千人もののデモ行進があったことなど、激動の御所変遷が描き綴られている。（詳しくは8/11から8/17までの朝日新聞夕刊を参照）わたしは、これら旧宮内省資料が徐々にではあるが解明されていくことによって往時の京都御所の建築的エートス（情感）みなぎるトポス（場）が復元されていくことを希望して已まない。</p>
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