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	<title>法界寺阿弥陀堂　Amida-do of Hokai-ji Temple へのコメント</title>
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	<description>建築における「日本的なもの」　It places an architecture " The Ｎｉｐｐｏｎ one "</description>
	<pubDate>Thu, 09 Sep 2010 05:10:01 +0000</pubDate>
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		<title>重源 より</title>
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		<dc:creator>重源</dc:creator>
		<pubDate>Thu, 19 Nov 2009 02:32:33 +0000</pubDate>
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		<description>遠州様へ

法界寺の存在を注視したことはなかったので、解説を拝読させていただき痛く感心させられました。とくにシェルターと阿弥陀像の安置する部分の柱間（スパン）が異なることは構造的合理性というよりも阿弥陀佛が中心思想としてあることの証しであると顕現できそうですね！重源の大仏様とは異なり、平安密教の和様化の典型的な御堂と感じました。裳階（もこし）なんかも機能（母屋と庇部の分化）というよりも法隆寺金堂などに見られる手法の様式化（だから、和様化）として受容されるのだろうし、また二重の屋根の連なりということに於いて情緒的な美を、また方５間の幾何学（正方形）プランということなどからも大いに堪能させられるのでしょうが・・・わたしには纏まりすぎるくらい凡庸な姿形にしか感受されませんでした。其の点に於いては、奈良の円成寺本堂は緊張感のある屋根構成ですが、裳階の情緒は微塵も感じられません。最後に僕が感じたことで言えることは、法界寺は平等院、浄瑠璃寺のような方向性（時間軸の表象）を持っていないこと、つまりはこの阿弥陀堂の極楽浄土とは、そこで行われる行為（信仰）なるものの象徴（集会目的の場）、それそのものではなかっただろうか・・・どうでしょうか。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>遠州様へ</p>
<p>法界寺の存在を注視したことはなかったので、解説を拝読させていただき痛く感心させられました。とくにシェルターと阿弥陀像の安置する部分の柱間（スパン）が異なることは構造的合理性というよりも阿弥陀佛が中心思想としてあることの証しであると顕現できそうですね！重源の大仏様とは異なり、平安密教の和様化の典型的な御堂と感じました。裳階（もこし）なんかも機能（母屋と庇部の分化）というよりも法隆寺金堂などに見られる手法の様式化（だから、和様化）として受容されるのだろうし、また二重の屋根の連なりということに於いて情緒的な美を、また方５間の幾何学（正方形）プランということなどからも大いに堪能させられるのでしょうが・・・わたしには纏まりすぎるくらい凡庸な姿形にしか感受されませんでした。其の点に於いては、奈良の円成寺本堂は緊張感のある屋根構成ですが、裳階の情緒は微塵も感じられません。最後に僕が感じたことで言えることは、法界寺は平等院、浄瑠璃寺のような方向性（時間軸の表象）を持っていないこと、つまりはこの阿弥陀堂の極楽浄土とは、そこで行われる行為（信仰）なるものの象徴（集会目的の場）、それそのものではなかっただろうか・・・どうでしょうか。</p>
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