1 月 31 2010

帝都の表玄関 三菱が原に聳え立った東京中央停車場

Published by 遠州 at 11:40 PM under 未分類

東京中央停車場194

今、東京駅丸の内駅舎は、2007年から開始された保存・復原工事の真っ最中です。大正3年(1914)12月の竣工・開業以来、永く親しまれてきた赤レンガの外装などを保存し、昭和20年5月の東京大空襲の戦禍で焼失してしまった南北のドーム屋根や3階部分を新に復原し、明治国家の建築家辰野金吾が設計した創建時の壮麗な姿に戻して、2012年春、丸の内に帰還させようと着々と工事が進捗しています。想えば、1950年代から80年代にかけて幾度も当時の国鉄から東京駅の建て替え開発計画が持ち上がり、その度に駅舎の保存・解体論争が巻き起こり揺れ動いてきた。しかし、21世紀初頭の現在、既に保存・復原に至るまでの過去が忘却され始めているように感じられてならない。ここでは、帝都の表玄関且つモニュメントとして東京駅が東京という都市と深く関わってきた歴史を俯瞰しながら、世紀を跨いで未来へ遺すべき建築であったことを確認していきたいと思う。

Ⅰ.開業前夜 「三菱が原」から「一丁倫敦」ヘ

                                 丸の内略図 文久元年(1865)・明治20年(1887)・明治44年(1911)
文久元年丸の内略図明治20年丸の内略図明治44年丸の内略図現在の東京駅が建っている場所は、宮城ことかつての江戸城の外郭にあたり、丸の内の「丸」は城郭内部を示す言葉であったと謂われている。広壮な大名屋敷が立ち並んでいた丸の内一帯は、明治期に入ると、陸軍の兵営や練兵場、官庁舎などに転用されるようになった。明治20年(1887)頃の地図を見ると、丸の内のほとんどが陸軍の軍用地で占められ、後年、東京駅が建つことになる場所には裁判所や司法省、警視庁などが建ち並んでいる。明治21年(1888)東京府が東京市区改正計画を布告、その一環として丸の内一帯を市街地に指定し中央停車場を設けることが立案された。この計画により陸軍兵営施設は移転することになるが、財政が窮乏していた政府は移転費用を調達するため、三菱社の二代目岩崎弥之助を呼んで買収を依頼。そして明治23年(1890)、約10万坪の広大な丸の内を一括150万円で半ば強制的に三菱に払い下げた。

兵営が引き払った後、三菱はここに欧米的なビジネスセンターを建設する計画を立てたが、木造建築を禁止するなど厳しい建築条件を設けたため開発は大幅に遅れ、兵営がなくなった後しばらく荒涼とした野原が広がり、物騒な事件も起きて人影も絶えた状態が続いたため、「三菱が原」と通称されるようになったと謂う。オフィス街として三菱がモデルとしたのが、英ロンドンの金融街ロンバート・ストリートでした。三菱は街づくりにあたって、工部大学校(東京大学工学部の前身)の教官だったジョサイア・コンドル(1852~1920)を顧問に迎え、その教え子の曽禰達蔵(1853~1937)を海軍省営繕から引き抜いて、丸の内ビジネス街計画を推進する。曽禰達蔵は中央停車場を手掛けた辰野金吾とは同郷(唐津)で工部大学校の同窓あり友人であった。コンドル、曽禰の師弟設計チームで、明治27年(1893)赤煉瓦造三階建の三菱一号館(日本最初のオフィスビル)が完成したのを皮切りに、明治44年(1911)までに渡って、宮城へ向かう馬場門先通りの両側に赤煉瓦の外壁を基調としたルネサンス様式のオフィスビルが整然と並び、周辺道路は舗装され街路樹やガス灯が置かれて、「一丁倫敦」と呼ばれる英国風の均質な街並みが形作られた。一丁とは一町の略字で、長さ109mの間にロンドンの金融街が出現したような光景であったと謂う。このように三菱の尽力で丸の内の一画に壮麗なビジネス街できたものの、馬場先門通りを挟んだ「一丁倫敦」を一歩外れると、依然として荒野の三菱が原が残っていた。場末にすぎない丸の内が、帝都のビジネスセンターとしての地位を確立するには、中央停車場の開業を待たねばならなかったのである。
明治末年頃の丸の内「一丁倫敦」 馬場先門通りを挟んで右側が三菱一号館(明治27年竣工)
丸の内一丁倫敦

2 Responses to “帝都の表玄関 三菱が原に聳え立った東京中央停車場”

  1. 重源on 03 2 月 2010 at 10:58 AM

    遠州様へ

    1990年11月に東京ステーションギャラリーで開催された「東京駅と辰野金吾」展を見られたでしょうか?この展覧会のために編集された図録の内容は充実しています・・・というか是非とも再考してもらいたいと望みます。東京駅の復原をどうのこうの言う前にライトの弟子であった遠藤新の建築的批評から遡って、どうして震災後にドーム屋根として再生しなかったのか、といった企図をどう思うのか、そういったことに提起しなければ、一介のノスタルジアの保存会のひとたちが扇動する洋館フェチ紹介では困りますよ!少なくとも建築を多少なりとも齧っているのでしょ・・・遠州さん。

  2. 重源on 06 3 月 2010 at 11:36 PM

    遠州様へ

    パソコンの修復はどうなったのでしょうか?なかなか文章の更新がなされないので心配しています。

Trackback URI | Comments RSS

Leave a Reply